昔々のこと

米手氏の小さな親切(大きなお世話)により、「こんなもんありまっせ」にちょこっと参戦してみることになりました。
ベテラン各氏のお目を汚すことになるのをお許しください。

これは誠にナマクラな写真で、自宅(四条堀川西入ル北側)前で、雪の朝に(何の意図もなく)西を向いて何となく撮ったものです。
1962年(昭和37年)頃のはず。まだワンマンカーになる前の600型7系統(四条通ー東山通ー九条通ー大宮通の循環線)です。

 

4 thoughts on “昔々のこと

  1. 湖畔のヒマ人さま
    デジ青への参戦、心からお祝い申し上げます。写真は、なるほどご自宅の真ん前なのですね。でも、55年前の京都の雪の日の情景がよく伝わってきます。原型のままの600型は、まさに京都市電の代表てすし、横の実用自転車に乗ったオッサンも、いい味を出しています。左手の古い商家は、今でこそありませんが、つい最近まであったように思います。奥に京福四条大宮駅の旧舎も見えています。昭和37年と言えば、阪急が大宮から河原町へ延長される前年ですが、それにしては、工事の様子がないのは、大宮終着時にすでに引上線が堀川付近まで来ていた証拠でしょうか。

  2. 総本家青信号特派員さま
    新京阪の京都駅(今の大宮駅)の引き上げ線はちょうど我が家の下あたりまであり、1961年夏頃より上の写真の左手(東側)から工事が始まっていました。
    当時は当然のことながらオープンカット工法で、毎夜市電の終電後にちょっとづつ線路を外して、(今では考えられないことですが)ドカンドカンとドデカイ杭打ち音が始発まで続き、閉口したものです。
    ご存知のように、阪急京都線で阪急が作ったのは大宮ー河原町間だけです。

    (総本家さんほどではありませんが)京都市電の写真も少しはありますので、追々あげていきましょう。

    • 湖畔のヒマ人さま
      コメント、ありがとうございます。
      まず阪急が造ったのは大宮~河原町のたった2キロだけでした。あとはすべて別の会社が造ったのでしたね。たいへん失礼しました。
      引上線は、やはり堀川通の西まで延びていたのですね。今日も米手さんとその話で盛り上がり、以前は地下の路面・壁の汚れ具合で、引上線と新設区間の境が分かったと話合っていました。京都市電の数々のお宝画像も秘蔵されているとも米手さんから聞いています。楽しみにしています。

  3. 思い出しました。
    四条堀川から東方向は車道一杯に鉄板を敷き詰め、レールのところだけに溝を付けて埋め込み、昼間の交通に支障がないようにしていました。しかし、鉄板のためスリップ事故が多発したり、祇園祭の鉾の通行に問題があったりして数年間は大変でした。また、四条烏丸あたりでは、地下街反対の商店街店主たちがムシロに火を付けて気勢を上げたりしたこともありました。おかげで四条通の地下には通路があっても商店街はないのです。そんな思い出の発端になる写真です。

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