① 犍為天波大酒店8:30-(チャーター車)→8:50石渓站9:32-(第2次)→10:01蜜蜂岩駅
② 蜜蜂岩站12:45-(バイク)→石渓站-(チャーター車)→13:20飯店14:00-(チャーター車)→18:50成都
▲ 遅れましたが、これが、切符売場と待合室です。でも、待合室に待つ人はいません。みんな、ホームでたむろしているのが、日常的です。 続きを読む
▲ 遅れましたが、これが、切符売場と待合室です。でも、待合室に待つ人はいません。みんな、ホームでたむろしているのが、日常的です。 続きを読む
見れば、雑貨店です。胡小姐は、何やら交渉をしています。そして、『丁度、お昼ご飯の準備をしているそうです。家族の人と一緒に食べてもいいですか?』と、聞いてきます。原住民の方の食事をいただけるとは、感激です。勿論、OKを出しました。今出川浄福寺さんより、コメントをいただきましたので、ご返信をしたいのですが、JPGファイルを添付できません。申し訳ありませんが、恥かしながら、ここに掲載させていただきます。

上記が、問題のSD-HCです。ケースは、廃棄しましたのでありませんが、現物です。

そして、保存されたファイルは、337カットありましたが、開けるファイルは、84カットのみで、残り253カットは、修復ソフトで、復旧を試みましたが、不可能でした。
デジカメをご使用の皆様、繰り返し使用できるメモリーです。何回も安心して使えるのが、もっとも重要な事です。私のように、『安物買いの銭失い』になって、折角、苦労して撮った写真が、消滅する事がないように、日本で、信頼できる店で、高くとも、間違いないメーカー品を購入される事を、お薦めします。私も帰国後、直ぐに本物を買い求めました。 Part9 へ続く
第5日目 2010年1月2日
① 犍為天波大酒店 8:40(チャーター車)→9:10 石渓站 9:27-第2次)→10:22 菜子埧站
② 菜子埧站-(徒歩)→蜜蜂岩駅
③ 蜜蜂岩站-(観光列車)→石渓站
6:30、今日は、1日中、芭石鉄道を撮影します。張り切って起床し、部屋の窓の外を見ますと、昨日と同様に、霧です。四川盆地特有の気象ですが、とりわけ大渡河沿いのこの辺りは、霧発生が日常的だそうです。何とか、撮影時には、晴れて欲しいと祈りながら、石渓站に向かいました。
途中で、昨日、石炭ガラが目に入って、眼の痛みがひかないのを、心配した胡小姐は、病院に寄ってくれました。同じ症状の患者が多いそうで、目を洗浄してもらいますかと、聞いてくれましたが、芭石鉄道撮影を優先したいので、丁重に断りましたが、しかし、その後も、ゴミは取れず、北京に着くまで、痛みが続きました。
今日は、サングラスとマスクは忘れず、ホカロンも衣服に付けて、準備は万全と思っていましたが、昨夜、今までの撮影をパソコンにバックアップした際に、CFメモリーをカメラに戻すのを、忘れてしまっているのに気づきました。しょっぱなから、また、『ドジ』を踏んでのスタートでした。
しかし、今回の旅のために、デジタル1眼レフを、NIKON-D300からD300Sに買い換え、パワーアップしました。以前のようにCFカードのみの使用から、主流のSDカードも併せての使用が可能です。これで、RWA+JPG画像に分けての使用ができるようになりました。
SDカードは、上海の電器屋街で格安で購入したSD-HC16GBが、入っています。試しに、連写をして、撮影後のモニターを見て確認しましたが、問題ありません。
続きを読む
今日は、阪神大震災から、15年目を迎えました。私ごとで、申し訳ありませんが、当時、私は勤務していた会社の神戸支店の責任者として赴任して、業務も順調で、意気揚々としていましたが、突然の惨事に啞然とするばかりでした。
鉄道網もズタズタとなり、5日後、三田からの神戸電鉄が開通したので、地下鉄新神戸駅圣由で、市内へと、行く事が出来るようになりました。徒歩で、三ノ宮に近づくにつれて、目の前に拡がる光景は、想像を絶するものでした。
高校生時代にも予兆がなかった突然の心臓発作で倒れ、10分搬送が遅れたら死んでいたと言われた経験を持ちます。人間、何処でどうなるか分らない。人生は、1回のみ、一瞬一瞬を大切に生きようと、あらためて思った日でした。
こんな日に、神戸と同様に、四川大地震で大被害を受けた地の、紀行文を書くのは、自然と力が入ります。
第4日目 2010年1月1日
① 成都クラウンプラザ8:30-(チャーター車)→13:50石渓站14:30-(観光列車)→15:08蜜蜂岩站15:20-(観光列車)→16:20黄村井站
② 黄村井站17:35-(観光列車)→石渓站18:45-(チャーター車)→19:15犍為天波大酒店

第4日目 2010年1月1日
①石渓14:30-(観光列車)→15:08蜜蜂岩
13:50、芭石鉄道の石渓站に到着しました。既に、乗車予定間際の14:00発車の第3次は、どの車両も満員で、立っている人もたくさんいます。すし詰め状態で、押し込まないと、乗れません。


石渓站の壁にに大きく貼ってあった、花咲く春の芭石鉄道です。こんな写真を見ると、この頃には、また来て見たくなります。

ご覧のとおりの押し込み状態です。これでは、ただ乗るだけで、やっとです。
通訳兼ツアーコンダクターの胡小姐は、今日の運行予定確認に行ってきました。そして、『この列車は、満員なので、30分後に、座れる観光列車が出るので、そっちにしません?』か、聞いてきました。今日は、全線乗車で撮影地視察の予定でしたので、座っていける観光列車にすると、返事しました。この判断は、後々正解でした。

第3次の発車前に、躍進駅から来た小型ELの牽引する、石炭列車がやってきました。その後、小さいくせに大きな汽笛を鳴らして、発車しました。
7両の客車を牽引して、石渓站を出発する第3次。上の写真は、M・K氏撮影。

№9号機の牽引する第3次。後で分ったのですが、テンダー車は、№10と書かれていました。これって、なぜなのでしょうか? 今回は、一応、機関車番号を優先して、記載します。
第3次の発車シーンを撮り終え、ゆっくりとホームを見ると、まだまだ、人がいます。中国人団体観光客も多いようです。世界的には、有名な芭石鉄道ですが、観光列車が運行され、専用客車まであるとは、現地に来るまで知りませんでした。ましてや、中国人が、芭石鉄道に乗りに来る観光ツアーまであるとは、驚きです。

胡小姐の話ですと、連休で観光客も多いので、普段は運行しない観光列車を、今日と明日は、運行する。3日目は、様子を見るが、ダメでも定期列車に観光用車両を連結すると言っていましたが、予定は、限りなく未定に近いのが、この国の常識ですので、毎日確認するように言いました。




観光列車の編成は、№10号機(機関車)+№14(テンダー車)+8+4+2+6の4両編成客車。一般列車とは違って、ベンチ式クロスシートの座席と、窓ガラスが完備されていますが、車内灯は、ありません。


№10号機の運転席にあった運行表です。帰国後に、訳してみましたのが、上の表です。1日2本の観光列車があって、それぞれ運行予定が異なっています。現地で、通訳さんに訳してもらっておれば、効率的に動けたのにと、反省しました。
我々の乗車する車両は、最後部です。展望デッキもあって、これは最高です。発車間際に機関区から、入場厳禁と表示された車庫から、№14号機(機関車)+№9(テンダー車)が、側線を走って来ました。どうしたのかなと、前頭部を見ると、№10号機の前に連結しました。思いもしなかった重連です。前方へ撮りに行きたいのですが、直ぐの発車でした。

№14号機+№10号機の重連! インターネットや写真集からも見た事がありません。走行写真を是非とも、撮りたかったです。
14:30、定刻に発車。それならと、ハイビジョンムービーカメラを取り出して、身を乗り出しての動画撮影を始めましたが、用意しておいたサングラスと、マスクを車に忘れてきましたので、石炭ガラの細かい燃えカスが、飛んできて目に入ってしまいました。簡単に取れません。瞬きする度に痛みが出ます。今回も、初めから、アクシデント発生です。いつも、ドジばかりで、情けなくなります。
仕方がないので、身を乗り出すのは止めて、手だけを出し、液晶画面を見ながら撮影しました。
出発してから、上り勾配と、山の斜面を切り抜いたS字カーブの連続です。段々畑には、野菜がこれでもかと植えられています。農家も玄関を線路に向けて、線路近くにあります。
架線区間を走行しますが、電柱間には、ロープが張られていて、洗濯物が干してあります。線路横の犬走りは、通行人が大勢歩いています。その都度に、警笛を鳴らし続けて、走りますので、最高です。さすが、平行する道路がなく、この鐡道のみが、沿線住民の足であり、生活道路でもある事を実感できます。
観光列車ですので、ホームのない『幺炭坥站』は、通過しました。第6トンネルを抜けて、30~40km/hで快走しますが、ガタゴトと左右上下振動は激しく、まるで、100km/hで走行しているかのような体感です。
15分後の14:45、広場は、屋根なしの自由市場となった、高層住宅街が突然見え出し、ホーム屋根のある『躍進站』に、停車しました。離合の出来る島式ホームです。躍進站は、石渓站から、4.4km、近くには、大きな炭鉱と、火力発電所があります。

止まっていても良いので、重連列車を撮りに行こうと、降りましたが、直ぐに切り離されて、前方に移動していきました。後部の№10号機のみがホーム反対側車線を戻ってきて、ここで逆行して、ホッパー内へと向かいました。


ホッパー内で、テンダー車への石炭の積み込みを行い、元きた場所へと戻りました。

また重連で走るのかと思いきや、№14号機のみ連結され、№10号機は、ホーム反対側へとバックしてきました。№10号機が、その後石渓站まで回送されたのか、ホッパー内に石炭を満載されていた貨車を牽引したのか、分りませんが、もし後者なら、SL石炭列車が走っている事になります。
14:54、№14号機牽引の観光列車が、発車しました。架線区間は、この站を2キロ程までで終わり、段々畑が続く山間の勾配を登って行きます。S字カーブが続く度に警笛が鳴らされ、またこんな所で警笛が鳴るのかと思うと、人やバイクが行き過ぎますが、これは、最終站まで続きました。
15:08、所要時間14分で、スイッチバックの、『蜜蜂岩站』に到着です。観光客は、降りて、機関車が、切り離され、後部に連結される光景に見入っています。

ここで機関車は、一旦、元来た線路に戻って石炭ガラを捨てます。地元住民は、この石炭ガラで、まだ使用できるものを求めて、待ち構え、拾っていました。

SLが戻ってくると待ち構えた観光客が、記念撮影です。まるで、大井川鉄道にいるようです。こんな光景、中国で、見た事ありません。

静かに発車を待つ、観光列車。C2型蒸気機関車は、現在稼動しているのは、わずか3両です。修理は、自社工場で、全てを行っています。いつまでも、頑張って欲しいと、思いました。
『蜜蜂岩站』からのレポートも、まだまだ続きます。 Part6 へ続く
昨夜、相棒は、ホテルに戻るとホテルマンを捕まえて、得意の英語で、『メタセコイア』の事を聞いていますが、誰も知っていません。植物園にも行きたいようで、尋ねましたら、郊外にあって、タクシーでも約40分はかかると言われました。滞在日程からして行くのは、無理です。
申し遅れましたが、相棒のM・T君は、某女子高校の先生を続けていて、毎年オーストラリアから来る、交換留学生が滞在する6ケ月間の間、直接の担当者ではないが、観光に連れて行ったりして、生の英語を学んでいるそうです。北京科学植物研究所でも、英語が堪能なエリート研究生との会話をしたのも彼です
新年の朝を迎えましたが、中国では、旧正月(2010年は、2月14日)を新年としているので、何の催しも行われません。ホテル内も、クリスマスの飾りつけが残っています。ただ、ホテルマンは、外国人客に向けては、『happy new year』と、声をかけてくれました。
品数豊富な朝食バイキングを食べてから、荷物をまとめ直して、案内人を待ちました。今回は、初めての芭石鉄道訪問です。海外旅行初めての相棒もいますので、いつものように、一人、バスに乗り継いで、分らぬ土地を行くのは、冒険でもあります。高くつきますが、地元旅行社の、芭石鉄道ツアーを申し込んでおきました。8:30、約束の時間にロビーに行くと、若干25歳、成都の大学で日本語を学んで、日本語検定1級の資格を持つ、四川美人の胡小姐が待っていました。旅行社が用意した車は、8人乗りの大型ワゴン車、これなら楽です。

直ぐに、約136km先の楽山市(乐山市)に向けて発車です。2010年4月開業に向けての地鉄建設中で、通行規制が多く、迂回しながら混みあう街を出て、成楽高速公路に入りましたが、3日間の連休で、世界遺産となった楽山大仏や峨眉山へと向かう観光客の車も多く、そして濃霧です。50~100m先しか見えず、最徐行を強いられました。楽山インターチェンジ出口も閉鎖されていて、ここも先まで行っての迂回です。
四川盆地は、山々に囲まれているので、この時期は、霧発生が多いとの説明を、胡小姐から聞きました。多難を思わせるスタートです。車内で。胡小姐と4日間の行程の確認と、芭石鉄道の時刻表を受け取りました。
11:15、予定を大幅に遅れての楽山市に到着でした。普段ですと、約2時間で着くそうです。楽山市は、人口133万人、青衣江、岷江、大渡河の合流点にあるところから、成都市、重慶市などの主要都市につながる水陸交通の要衝として栄えています。合流した川は、ここからは、大渡河となり、長江に注いでいます。
▲ ご飯は、桶に入れて、約40分間蒸します。しかし、ほっくらとした銀シャリではなく、パサパサでした。

楽山市での運転手を入れての、4人分の昼食の総菜です。左上から、川魚と豆腐の煮込み、トマト、野菜と溶き卵のスープ、左下から野菜炒め、ソーセージ、きゅうりとおぼろ豆腐のスープです。これで、291元=4.074円。旅行社の案内する餐馆(レストラン)です。高めは、仕方ありません。
芭石鉄道の始発駅石渓までは、途中で適当な食事場所がないので、ここで昼食タイムです。名物は、ナマズ料理との事で、生簀で品定めをしましたが、60cm級で、測ってもらうと、約4.500円と言われ、パスして、庶民的な川魚にしました。

12:10、霧で川面も見えない岷江大橋を渡り、石渓への約55kmの1本道を大渡河に沿って、向かいます。片側1車線の舗装道路ですが、整備が悪く、所々陥没までしていますので、快走は出来ません。対岸の石渓に渡るフェリーは、1~3日の間、休航でまたまた迂回しました。

13:50、芭石鉄道の石渓站に到着しました。成都から、約188km、途中、迂回を余儀なくされましたので、実際は、約200km、昼食等の休憩を入れて、約5時間半の行程でした。日本から3日間と半日、本当に、ようやくたどり着いたとの感が、ありました。

石渓站前の坂道を駆け上がっていくと、そこには、発展リニューアルを続ける中国鐡路站とは、違っての芭石鉄道沿線の生活感溢れる光景が、広がっていました。
Part5 へ続く
第3日目 2009年12月31日
北京西站16:49-(T7次)→18:39成都

7:15、心地良い、走行振動に熟睡した朝を迎えました。T7次は、北京西站から京广線を南下し、河南省の省都の鄭州北站からは、隴海線を圣由して、乌鲁木齐(ウルムチ)、拉萨(ラサ)方面へ向かう線区との分岐駅の宝鳰站に、15分遅れで、到着していました。外は、遅い夜明けを迎えようとしています。中国国内には、時差はありませんが、実質的には、東北地方(旧;満州)と比べると、1時間以上は、日の出、日の入りが、遅いようです。
宝鳰から成都までは、1956年に開業した宝成線を走ります。直ぐに険しい山間路線となり、大小いくつものトンネルを抜けて、川に沿って、速度も40~70km/hで、ゆっくりと、右へ左へのカーブを走行します。人家が見えると、駅があります。単線ですので、全ての站で、客車や貨物列車の交換がありました。 続きを読む
遅れましたが、新年おめでとうございます。皆様方は、どのようにお過ごしでしたでしょうか。
私は、同じDRFC-OBのM・T君と一緒に、年末から大地に入り、念願だったナローゲージでSLの走る、四川省の芭石鉄道に行ってきました。芭石鉄道は、中国鐡路とは、直結されていなく、省都成都からも、約4時間以上もかかる、独立した鐡路で、簡単にいける所ではありません。今回の旅も、いつもと同様に、ハプニングと出会いの連続でした。
今年も、身体が動ける限り、国内・海外の鉄道を訪ねて、第2の青春を謳歌するつもりです。その都度、ご報告をさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
第2日目 2009年12月30日
① 永安里-(1号線)→苹果园-(Taxi)→北京植物園
② 北京植物園-(Taxi)→北宫门(4号線)→西単-(1号線)→永安里
③ 永安里-(Taxi)→北京西站
④ 北京西16:49-(T7次)→翌日18:39成都
昨日、チェックイン後、両替をして、フロントの日本人のご好意で、立替払いをしていただいた、成都への特快T7列車の寝台切符を、受け取りました。普通は、こうはいきませんので、感謝、感謝です。
北京西站発車は、16:49です。充分に時間があります。M・T君に、故宮、万里の長城、天壇公園等々、北京の観光地をあげて聞きましたら、意外や、植物が好きなので、植物園に行きたいと言います。植物園は、市内中心部から、北西へ約20数キロ、新緑や紅葉で有名な『香山』の麓にあります。
久しぶりに1号線の終点、苹果园站にも行って見たいので、案内することにしました。苹果园站は、客扱いでは、終点ですが、Part1の北京地鉄路線図でもお分かりのように、実際は、まだ先に工務員専用の3駅があります。しかし、その詳細は、公表されていなく、なぞとなっています。
続きを読む
第1日目 2009年12月29日
長岡京 7:00-(快速)→7:27 大阪/梅田 7:34(地下鉄)→7:43 なんば 8:00(ラピート)→8:39 関西空港 10:25(JL785)→12:50 北京空港 14:00-(机場快軌)→三元橋(北京地鉄10号線)→国貿→15:00 ホテル
ホテル→永安里(1号線)-西単(4号線)→北京南站 17:40(京津城際鐡路C2067次)→18:10天津21:00-(C 2090次)→21:30北京南站→西単→永安里→22:30 京倫飯店
北京空港からは、広州地鉄(川崎重工社の技術供与)に続き、中国地鉄2番目となった鉄輪式リニアモーターカー(ボンバルディア社の技術供与)の机場快軌(総延長28.1km)に乗車して、三元橋站で、10号線に乗換え、ホテル近くの国貿站まで行きました。

私が、頻繁に訪中を重ねた10年前は、2路線総延長42.6kmだった北京地鉄ですが、2009年末では、総延長227.2kmまでになりました。5年後には、561kmになる予定です。経済成長も、年10%を越える勢いで発展を遂げている中国ですが、地鉄も脅威の延伸を成し遂げています。

開業当時の天津站 CRH2-300のオンパレードでした。

現在の天津站 CRH3のみの、運用となりました。
北京南站からは、2008年8月開業した、中国鐡路初めての新幹線、京津城際鐡路乗車を案内して、天津に向かいました。開業当初は、殆どの列車は、JR東日本等から技術供与された『はやて』CRH2-300が、最高速度350km/hで、走行していましたが、契約上のトラブルにより、日本側からクレームが入り、もう、1編成も走っていません。
北京からも、成都の宿泊するホテルに依頼しても、購入出来なかった復路、成都→北京西の特快T8夜行寝台列車の軟座寝台の切符ですが、最後の手段として、芭石鉄道を案内してくれる現地旅行社に打診しました。
すると、『後、数枚しか残っていない。しかし、手数料が、200元必要です。航空券なら充分に席はあるが、どちらにしますか。』と、返事が返ってきました。中国鉄路では、切符の約85%が旅行社を通じて購入されています。
日本と違って、上乗せで手数料が必要ですが、北京からの往路は、手数料30元でした。今までも、切符売場に並んで購入する時間がなかったりすると、旅行社に依頼していましたが、せいぜい30~60元が相場です。1枚200元とは、ぼったくり以外ありません。
多分、1本しかない列車なので、どこかの旅行社が裏から手を回して、買い占めているのは、容易に想像できます。分っていて買うのは、しゃくですが、行程が決まっている以上、仕方ありません。OKを出しました。
日本の約45年前あたりと同様に、旅客輸送力が需要に付いていっていないので、こういった事が当たり前に横行しているのが、現状です。気分はよくありませんが、取り合えず、帰路は確定しました。
第11日目 12月2日
足は、完全回復しましたが、願いは通じず、今日も白い世界です。白銀の世界だったら最高ですが、こればっかりはどうしようもありません。出発は、8時30分にずらして、その間に調兵山駅2階の旅行社に行って、今日のSL運行を問い合わせてもらいました。調兵山~大明間は、DL運行です。天候回復の願いをこめて、SL列車を追いました。
▲ 9:01 三家子~調兵山の無名駅から、出発する、大青からの308次
続きを読む
年始・年末の芭石鉄道への旅ですが、北京西→成都への切符は購入できていますが、今日発売の成都→北京西の切符が売り切れと、現地から連絡がありました。やはり、出発駅でないと、買えないようです。また、困りました。でも、よくある事なので、何とかしようと、対応におおわらわです。しかし、どうなるのでしょうか。
第10日目 12月1日
昨夜、夕食を食べに街に出かけた際に、凍結した路面に滑ってしまいました。そのまま、転べばまだ良かったのですが、右足で踏ん張った拍子に、ぎくっと音がしました。ちょっと、まずいなと思いましたが、普通に歩けたので、ホテルに帰ってから、ゆったりと風呂に浸かってから、寝ました。
しかし、朝起きると、右足が曲がりません。何とか立ち上がって、歩こうとすると、痛みが出ます。特に階段は、手摺りにしがみつかないと降りられず、激痛です。かなり、マズそうです。
昔、野球をやっていた頃に、膝のじん帯を伸ばし+た時の症状と似ています。それでも、王千駅着7:52の列車を撮りたいと、運転手の王さんと約束していたので、患部にホカロンを何枚も貼って、出かけました。
続きを読む
第9日目 11月30日
5:30、モーニングコール前に起床して、調兵山行きのバス停に向かいました。道路は、完全に凍っています。バス停周辺には、早朝から早飯屋が開店していますので、ここで小籠包を購入して、発車待ちのバスに乗り込みます。乗客は、私一人です。

定刻より早く、6時過ぎには、発車しました。乗車席は、1番後の特等席です。なんといっても、前の席が撤去してあるので、ゆったりと座れます。定刻より遅く、6:50に沈阳駅前を発車しました。暖かい車内で、満腹感もあって、乗車後は、直ぐに熟睡してしまいました。そして、着いた所は、9月に乗車した沈阳駅前でした。運転手は、前に停車している同じ調兵山行きのバスに乗換えるように言っています。昨日は、6:30に北駅を発車すると言っていたのに、良く分りませんが、乗換えました。こういう事があるので、中国では、時間に余裕を持って駅に行く事が必要不可欠です。

今夜は、クリスマスイブです。皆様方は、どのようにお過ごしのことでしょうか。私は、年末・年始の芭石鉄道への乗車・撮影旅行の手配に大わらわです。ここへ行くのは、初めてです。一人だと、何とかなるのですが、今回は、海外旅行は初めてという友人と一緒です。まだ、在職中ですので、出発・帰国日が決まっています。
問題は、北京から芭石鉄道への玄関口、四川省への成都までの特快夜行寝台列車が、1本しかないことです。北京に着いてからでは、切符は、多分売り切れているでしょう。そのため、現地旅行社に購入を依頼すると、現金前払いが原則と、言われてしまいました。
困り果てて、北京の常宿の日本人スタッフに、泣きついたところ、快く立替払いをして下さいました。往復で、約40,000円です。感謝、感謝です。今回も、出発前から、人の温かさを受けました。 続きを読む
第12日目 11月2日
有珠山SA7:30→8:40昭和新山8:50→10:10長万部駅10:25→11:30森駅11:40→12:30大沼公園駅12:50→13:30函館駅→18:00湯の川温泉
かつて、青森駅から青函連絡船に乗船して、初めて北海道に入る玄関口の函館駅でしたが、昭和63年に青函トンネル開通に伴い、連絡船も廃止されました。現在の駅は、平成15年に第5代目の駅として、建替えられた綺麗で立派な駅です。
大沼公園での撮影後は、函館を目指しました。恥ずかしい話ですが、函館は、いつも乗継駅で、市電を見た事がありません。全線の撮影に挑む前に、函館駅の案内所に向かいました。
と、言うのも、着いてみて分かったのですが、今の温度は、零下で、風も10m以上です。ぶんしゅう7号が、いくら頑丈とはいえ、過酷です。駐車場があって、インターネットができて、とにかく安いホテルと、希望を言ったところ、湯の川温泉で、1泊2食付き6800円の激安ホテルを紹介してくれました。
続きを読む
第12日目 11月2日
有珠山SA7:30→8:40昭和新山8:50→10:10長万部駅10:25→11:30森駅11:40→12:30大沼公園駅12:50→13:30函館駅→18:00湯の川温泉
昨夜は、夕食もまだだったので、食事、宿泊できるSAを探しましたが、行けども、行けどもありません。そのうち、『冬用タイヤ装着必要』の道路サインが出だし、あせりました。氷雨は、雪まじりに変わっていました。ようやく、伊達紋別の高台にある有珠山SAを見つけ、入りました。沼ノ端も40年前によく行った所です。苫小牧、室蘭も立ち寄りたかったのですが、ずいぶんと先まで行ってしまいました。
続きを読む
第11日目 11月1日 その2
三笠道の駅8:30→10:00美唄市郷土資料館10:05→10:55三笠鉄道村クロード公園11:05→11:10三笠鉄道村鉄道記念館12:15→13:20万字線鉄道資料館13:25→15:15開拓の村16:30→19:20有珠山SA






道内に入って、最も寒い朝を迎えましたが、昨日追加購入した湯タンポのおかげで、寒さで寝られない夜は回避できました。旭川方面から来る車の屋根は、雪がたっぷりのっています。朝風呂があるかなと隣の温泉に行きましたが、ダメでした。いつものようにコーヒーを沸かせて、ポットにも入れて、温まりました。本格的な北海道の冬が始まっています。スキーには、家族と毎週のように行きましたので、雪道の経験が多いとはいえ、シーズン初めては、緊張します。道路に雪が消えるのを待っての出発でした。
前回、投稿してから、3週間を迎えました。その間、厳寒の大地へと、再び訪中をしておりました。現地から投稿をしようと試みましたが、ホテルのインターネット回線は遅く、途中で諦めました。申し訳ありません。続編を続けさせていただきます。
第10日目 10月31日
『新冠温泉 レ・コードの湯ホテルヒルズ』8:00→10:45大狩部10:50→節婦付近11:40→13:30追分鉄道記念館14:00→14:40夕張15:00→15:15清水沢15:20→15:30三菱大夕張鉄道車両保存地15:40→三笠道の駅
昨夜は、久しぶりに部屋のベットで寝られましたので、爆睡でした。朝は、露天風呂から、夜明けの新冠の街並みを見ながら、ゆっくりとしました。まともな朝食も久しぶりでした。
厚賀~静内間を丹念にロケハンしましたが、撮影地は、やはり定番の場所が良さそうです、昨日は、道路橋梁から撮った厚別川対岸の丘に車を入れ、撮影ポイントの選択をしますが、川から、ほぼ垂直の崖の上からですので、足場が崩れやすく危険です。また、木々と雑草が生い茂り、全く見晴らしがありません。
庭バサミを取り出し、長靴を履いて、30分以上も、草刈を続けましたが、邪魔な木の枝は、取り除くのは、不可能でした。かといって、他の場所を探すにも、また同じ作業をしなければなりません。ここで撮影するには、電柱作業をするようなクレーン車を必要とします。30分間の労働は、一体、何だったのかと一人呟きながら、列車を待ちました。
▲ 芦別川鉄橋を渡る様似行きの2225D キハ40352
▲ 風・波除けの枕木を植えて、風・波除けの大狩部駅
▲ 撮り終えた後は、節婦付近の海沿いに場所を変えました。
ここでも、釣り人がおられました。列車が来るまで十分時間があります。秋アジを狙っているのかと尋ねますと、ここでは、遡上する川もなく、秋アジは、もう終わった。釣れても、質が悪い。長万部以南なら、80~100㎝級があがる、絶好のシーズンを迎えている等々の釣り談議や、ここでも必要ない箱物や道路ばかりが出来て、困っている等々の話を聞かせてもらいました。
線路と並走する道路は、ひっきりなしに車が走行しています。これだけの往来があるという事は、道路状況が悪く、鉄道を利用するしかなかった時代は、日高本線は、客貨共、大いに盛況だったのだろうと、察しました。
天気予報では、今年1番の寒冷前線が近づいている事を告げています。空も雲が覆い、すぐれません。走行撮影を切り上げて、夕張方面へと向かう事にしました。
▲ 途中、むかわ道の駅で、今が旬の名物“ししゃも”を食しましたが、我々が一般的に食べるのは、一夜干しにして焼いて食べるのが殆どですが、ここでは、刺身、揚げ物や煮物が食べられました。勿論、初めてです。こんな駅弁があったら、列車の旅も一段と楽しくなるでしょうね。
▲ 現在の追分駅、ホームに、構内にも、かつての面影はありません。
▲ 旧追分駅
▲ 40年前は、ホームに乗客があふれていました。




▲ 13:30、追分駅に着きました。
40年前は、とにかく広い構内があって、夕張近辺から集められた石炭貨車が、ヤードを埋め尽くしていました。D51を筆頭に、何本もの煙が上がっていました。広く長いホームにも、SL列車が入線して、じっとしているだけで楽しめました。今の追分駅は、当時の雰囲気は全くなく、殺伐とした光景だけが、広がっていました。






追分駅コンコースには、駅近くにあります追分鉄道資料館の案内が掲載されていましたが、ご覧のとおり、今日は、開館しなく教育委員会に連絡してくださいです。他にも行きたい所がありますので、ちょっと覗いてみるだけにしました。
黒くなってきた雲を見ながら、夕張へと向かいました。JRに乗車すると、約65分を要しますが、今は、道路整備され、高速道路も出来ていて、40分で到着です。


破綻した街、夕張は、車窓を見ても活気は見られず、全国的な名産品となった夕張メロンの道沿い路店が並ぶのみです。夕張駅に立ち寄り、駅員兼観光案内所のおばさんと話をして、SL博物館の場所を聞きましたが、夕張・・・の中にあって、既に廃館となっています。仕方なく、見下ろせる橋まで走り、外観を撮りました。
おばさんの聞くところによると、清水沢駅を曲がって、少し上がった所に、客車が展示されているとの事で、行ってみる事にしました。


車に乗ろうとすると、白い物が降ってきます。細雪です。今年、初めての雪と言っていました。先を急がねばなりません。途中、清水沢駅にも立ち寄りましたが、かつての姿はありません。清水沢を出て、坂道を上がった約30分後に、『三菱大夕張鉄道車輌保存地』に着きました。
除雪車を先頭に3両の客車と、2両の石炭貨車が大事に保存されていました。線路に沿っての道路を走りますが、廃線跡は確認できますが、痕跡は残っていません。この先には、三絃橋がありました。
▲ 1935年(昭和33年)完成した森林鉄道最長の、単線鉄道橋(軌間762mm)、長さ381.80m(最大支間77m、7連)の三弦トラス橋です。貴重な鉄道遺産ですが、新ダム完成後は、水没するそうです。
細雪の中、ゆっくりと道を下り、明日の三笠山鉄道公園視察のために、道の駅『三笠』に停車しました。向かいには、大きな温泉施設とジャスコがありましたが、重宝する湯タンポをもう1つと、残り少なくなったカセットボンベを購入、食事を優先するため、ジャスコとしました。外は、雪まじりの氷雨です。風も強くなり出しましたが、『ぶんしゅう7号』は、安眠を守ってくれました。 Part14 へ続く