2009年 厳寒の大地へ Part3 調兵山 2日目

年始・年末の芭石鉄道への旅ですが、北京西→成都への切符は購入できていますが、今日発売の成都→北京西の切符が売り切れと、現地から連絡がありました。やはり、出発駅でないと、買えないようです。また、困りました。でも、よくある事なので、何とかしようと、対応におおわらわです。しかし、どうなるのでしょうか。

第10日目 
12月1日
昨夜、夕食を食べに街に出かけた際に、凍結した路面に滑ってしまいました。そのまま、転べばまだ良かったのですが、右足で踏ん張った拍子に、ぎくっと音がしました。ちょっと、まずいなと思いましたが、普通に歩けたので、ホテルに帰ってから、ゆったりと風呂に浸かってから、寝ました。
しかし、朝起きると、右足が曲がりません。何とか立ち上がって、歩こうとすると、痛みが出ます。特に階段は、手摺りにしがみつかないと降りられず、激痛です。かなり、マズそうです。

昔、野球をやっていた頃に、膝のじん帯を伸ばし+た時の症状と似ています。それでも、王千駅着7:52の列車を撮りたいと、運転手の王さんと約束していたので、患部にホカロンを何枚も貼って、出かけました。
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2009年 厳寒の大地へ Part2 調兵山 1日目

第9日目  11月30日

5:30、モーニングコール前に起床して、調兵山行きのバス停に向かいました。道路は、完全に凍っています。バス停周辺には、早朝から早飯屋が開店していますので、ここで小籠包を購入して、発車待ちのバスに乗り込みます。乗客は、私一人です。

定刻より早く、6時過ぎには、発車しました。乗車席は、1番後の特等席です。なんといっても、前の席が撤去してあるので、ゆったりと座れます。定刻より遅く、6:50に沈阳駅前を発車しました。暖かい車内で、満腹感もあって、乗車後は、直ぐに熟睡してしまいました。そして、着いた所は、9月に乗車した沈阳駅前でした。運転手は、前に停車している同じ調兵山行きのバスに乗換えるように言っています。昨日は、6:30に北駅を発車すると言っていたのに、良く分りませんが、乗換えました。こういう事があるので、中国では、時間に余裕を持って駅に行く事が必要不可欠です。

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2009年 厳寒の大地へ Part1 旅立ち


今夜は、クリスマスイブです。皆様方は、どのようにお過ごしのことでしょうか。私は、年末・年始の芭石鉄道への乗車・撮影旅行の手配に大わらわです。ここへ行くのは、初めてです。一人だと、何とかなるのですが、今回は、海外旅行は初めてという友人と一緒です。まだ、在職中ですので、出発・帰国日が決まっています。

問題は、北京から芭石鉄道への玄関口、四川省への成都までの特快夜行寝台列車が、1本しかないことです。北京に着いてからでは、切符は、多分売り切れているでしょう。そのため、現地旅行社に購入を依頼すると、現金前払いが原則と、言われてしまいました。
困り果てて、北京の常宿の日本人スタッフに、泣きついたところ、快く立替払いをして下さいました。往復で、約40,000円です。感謝、感謝です。今回も、出発前から、人の温かさを受けました。 続きを読む

2009年 北の大地へ Part17 函館市電

第12日目 11月2日

有珠山SA7:30→8:40昭和新山8:50→10:10長万部駅10:25→11:30森駅11:40→12:30大沼公園駅12:50→13:30函館駅→18:00湯の川温泉

かつて、青森駅から青函連絡船に乗船して、初めて北海道に入る玄関口の函館駅でしたが、昭和63年に青函トンネル開通に伴い、連絡船も廃止されました。現在の駅は、平成15年に第5代目の駅として、建替えられた綺麗で立派な駅です

大沼公園での撮影後は、函館を目指しました。恥ずかしい話ですが、函館は、いつも乗継駅で、市電を見た事がありません。全線の撮影に挑む前に、函館駅の案内所に向かいました。

と、言うのも、着いてみて分かったのですが、今の温度は、零下で、風も10m以上です。ぶんしゅう7号が、いくら頑丈とはいえ、過酷です。駐車場があって、インターネットができて、とにかく安いホテルと、希望を言ったところ、湯の川温泉で、1泊2食付き6800円の激安ホテルを紹介してくれました。
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2009年 北の大地へ Part16 昭和新山、長万部、森、大沼公園

第12日目 11月2日

有珠山SA7:30→8:40昭和新山8:50→10:10長万部駅10:25→11:30森駅11:40→12:30大沼公園駅12:50→13:30函館駅→18:00湯の川温泉

昨夜は、夕食もまだだったので、食事、宿泊できるSAを探しましたが、行けども、行けどもありません。そのうち、『冬用タイヤ装着必要』の道路サインが出だし、あせりました。氷雨は、雪まじりに変わっていました。ようやく、伊達紋別の高台にある有珠山SAを見つけ、入りました。沼ノ端も40年前によく行った所です。苫小牧、室蘭も立ち寄りたかったのですが、ずいぶんと先まで行ってしまいました。
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2009年 北の大地へ Part15 北海道開拓の村

第11日目 11月1日 その2

笠道の駅8:30→10:00美唄市郷土資料館10:05→10:55三笠鉄道村クロード公園11:05→11:10三笠鉄道村鉄道記念館12:15→13:20万字線鉄道資料館
13:25→15:15開拓の村16:30→19:20有珠山SA 

『万字線鉄道資料館』からは、国道12号線をひた走りました。途中で、大好きなそば屋を見つけ、遅い昼食です。旨かったです。40年前は、道内で蕎麦を食した経験はありません。貧乏旅行でしたので、一日2食が、せいぜいでした。唯一、たまに宿泊するYHで食べる夕食が、ご馳走でした。今でも、贅沢は敵と、安いコンビニ弁当で済ませていますが、お酒だけは、忘れません。


15:15、『北海道開拓の村』に到着しました。ここで見たいのは、開拓時代に走った馬車鉄道です。入口の建物は、かつての札幌駅です。入場券を購入すると、馬車鉄道の乗車券がプレゼントされていました。平日ですので、入場者はわずかで、駐車場はガラガラでした。


入場すると正面に馬車鉄道の駅があります。N電そっくりのダブルルーフの客車が止まっていました。発車時刻は、15:40が、最終です。時間がありましたので、近くの手宮駅長官舎を視察しました。

馬は、発車直前にならないと、連結?されません。なぜか、連結すると直ぐに走るので、そうしているそうですが、無理を言って1カット撮るのを許可してもらいました。

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2009年 北の大地へ Part14 三笠鉄道村、万字線鉄道記念館

第11日目 11月1日 その1

三笠道の駅8:30→10:00美唄市郷土資料館10:05→10:55三笠鉄道村クロード公園11:05→11:10三笠鉄道村鉄道記念館12:15→13:20万字線鉄道資料館
13:25→15:15開拓の村16:30→19:00有珠山SA  


道内に入って、最も寒い朝を迎えましたが、昨日追加購入した湯タンポのおかげで、寒さで寝られない夜は回避できました。旭川方面から来る車の屋根は、雪がたっぷりのっています。朝風呂があるかなと隣の温泉に行きましたが、ダメでした。いつものようにコーヒーを沸かせて、ポットにも入れて、温まりました。本格的な北海道の冬が始まっています。スキーには、家族と毎週のように行きましたので、雪道の経験が多いとはいえ、シーズン初めては、緊張します。道路に雪が消えるのを待っての出発でした。

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2009年 北の大地へ Part13 新冠、追分、夕張、三菱大夕張鉄道車両保存地

前回、投稿してから、3週間を迎えました。その間、厳寒の大地へと、再び訪中をしておりました。現地から投稿をしようと試みましたが、ホテルのインターネット回線は遅く、途中で諦めました。申し訳ありません。続編を続けさせていただきます。

第10日目 10月31日

新冠温泉 レ・コードの湯ホテルヒルズ』8:00→10:45大狩部10:50→節婦付近11:40→13:30追分鉄道記念館14:00→14:40夕張15:00→15:15清水沢15:20→15:30三菱大夕張鉄道車両保存地15:40→三笠道の駅

昨夜は、久しぶりに部屋のベットで寝られましたので、爆睡でした。朝は、露天風呂から、夜明けの新冠の街並みを見ながら、ゆっくりとしました。まともな朝食も久しぶりでした。
厚賀~静内間を丹念にロケハンしましたが、撮影地は、やはり定番の場所が良さそうです、昨日は、道路橋梁から撮った厚別川対岸の丘に車を入れ、撮影ポイントの選択をしますが、川から、ほぼ垂直の崖の上からですので、足場が崩れやすく危険です。また、木々と雑草が生い茂り、全く見晴らしがありません。

庭バサミを取り出し、長靴を履いて、30分以上も、草刈を続けましたが、邪魔な木の枝は、取り除くのは、不可能でした。かといって、他の場所を探すにも、また同じ作業をしなければなりません。ここで撮影するには、電柱作業をするようなクレーン車を必要とします。30分間の労働は、一体、何だったのかと一人呟きながら、列車を待ちました。
▲ 芦別川鉄橋を渡る様似行きの2225D キハ40352
▲ 風・波除けの枕木を植えて、風・波除けの大狩部駅
▲ 撮り終えた後は、節婦付近の海沿いに場所を変えました。

ここでも、釣り人がおられました。列車が来るまで十分時間があります。秋アジを狙っているのかと尋ねますと、ここでは、遡上する川もなく、秋アジは、もう終わった。釣れても、質が悪い。長万部以南なら、80~100㎝級があがる、絶好のシーズンを迎えている等々の釣り談議や、ここでも必要ない箱物や道路ばかりが出来て、困っている等々の話を聞かせてもらいました。

線路と並走する道路は、ひっきりなしに車が走行しています。これだけの往来があるという事は、道路状況が悪く、鉄道を利用するしかなかった時代は、日高本線は、客貨共、大いに盛況だったのだろうと、察しました。
天気予報では、今年1番の寒冷前線が近づいている事を告げています。空も雲が覆い、すぐれません。走行撮影を切り上げて、夕張方面へと向かう事にしました。
▲ 途中、むかわ道の駅で、今が旬の名物“ししゃも”を食しましたが、我々が一般的に食べるのは、一夜干しにして焼いて食べるのが殆どですが、ここでは、刺身、揚げ物や煮物が食べられました。勿論、初めてです。こんな駅弁があったら、列車の旅も一段と楽しくなるでしょうね。

▲ 現在の追分駅、ホームに、構内にも、かつての面影はありません。
▲ 旧追分駅
▲ 40年前は、ホームに乗客があふれていました。




▲ 13:30、追分駅に着きました。
40年前は、とにかく広い構内があって、夕張近辺から集められた石炭貨車が、ヤードを埋め尽くしていました。D51を筆頭に、何本もの煙が上がっていました。広く長いホームにも、SL列車が入線して、じっとしているだけで楽しめました。今の追分駅は、当時の雰囲気は全くなく、殺伐とした光景だけが、広がっていました。






追分駅コンコースには、駅近くにあります追分鉄道資料館の案内が掲載されていましたが、ご覧のとおり、今日は、開館しなく教育委員会に連絡してくださいです。他にも行きたい所がありますので、ちょっと覗いてみるだけにしました。

黒くなってきた雲を見ながら、夕張へと向かいました。JRに乗車すると、約65分を要しますが、今は、道路整備され、高速道路も出来ていて、40分で到着です。


破綻した街、夕張は、車窓を見ても活気は見られず、全国的な名産品となった夕張メロンの道沿い路店が並ぶのみです。夕張駅に立ち寄り、駅員兼観光案内所のおばさんと話をして、SL博物館の場所を聞きましたが、夕張・・・の中にあって、既に廃館となっています。仕方なく、見下ろせる橋まで走り、外観を撮りました。

おばさんの聞くところによると、清水沢駅を曲がって、少し上がった所に、客車が展示されているとの事で、行ってみる事にしました。


車に乗ろうとすると、白い物が降ってきます。細雪です。今年、初めての雪と言っていました。先を急がねばなりません。途中、清水沢駅にも立ち寄りましたが、かつての姿はありません。清水沢を出て、坂道を上がった約30分後に、『三菱大夕張鉄道車輌保存地』に着きました。

除雪車を先頭に3両の客車と、2両の石炭貨車が大事に保存されていました。線路に沿っての道路を走りますが、廃線跡は確認できますが、痕跡は残っていません。この先には、三絃橋がありました。
▲ 1935年(昭和33年)完成した森林鉄道最長の、単線鉄道橋(軌間762mm)、長さ381.80m(最大支間77m、7連)の三弦トラス橋です。貴重な鉄道遺産ですが、新ダム完成後は、水没するそうです。

細雪の中、ゆっくりと道を下り、明日の三笠山鉄道公園視察のために、道の駅『三笠』に停車しました。向かいには、大きな温泉施設とジャスコがありましたが、重宝する湯タンポをもう1つと、残り少なくなったカセットボンベを購入、食事を優先するため、ジャスコとしました。外は、雪まじりの氷雨です。風も強くなり出しましたが、『ぶんしゅう7号』は、安眠を守ってくれました。 Part14 へ続く

芭石鉄道撮影・乗車の旅 お誘い

DRFC-OBのM・T氏のご依頼で、中国四川省に残る、最後の軽便SL鉄道『芭石鉄道』の撮影・乗車と、生きている化石『メタテコイア原生林』を見る旅に、年末年始に参ります。今から、手配を行いますので、もしご参加を希望される方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい。勿論、中国内は、全て列車移動で、約25時間乗車の夜行寝台列車の旅、最新のCRH(新幹線)の乗車も堪能します。行程は、日本→北京空港集合→成都→芭石鉄道・沫江煤電です。ゆっくりと、10日間程度を予定しています。費用は、中国内のみで、約20万円を見込んでいますが、節約には努めます。参加者が増えれば、もっと安く、豪華な食事にもありつけます。
ご興味ある方は、コメント欄に、入学年度とイニシャル(例;M・T)をお書き下さい。それで、分ると思います。
芭石鉄道については、下記のホームページに詳しく掲載されていますので、ご覧ください。
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/china/bashi/info.htm
http://c5557.kiteki.jp/html/baseki11.htm
http://travel.railway.org.cn/wuyi/bashi/bashi.html
http://www.geocities.jp/hokuman_hailaer/tentetsuki/china/bashi/top.htm

祇園にジオラマカフェ『デコイチ』オープン

厳寒の大地への旅を終えて、ようやく帰国しました。今日朝、朝日新聞を見ていましたら、祇園にジオラマカフェ『デコイチ』オープンの記事が載っていました。京都に、しかも家賃の高い祇園に出きるとは、ちょっとびっくりしました。模型班の皆様、一度寄ってみませんか。場所は、見つけるのが難しそうな所です。四条通を八坂神社に向かって、花見小路を左に曲がって、約300m直進、祇をん神門荘がある角を右折して、東に入った7軒目、祇園フォレリール2Fです。鉄道好きで、模型を運転してくれるスタッフを募集中だそうで、趣味と実益を望まれる方は連絡してあげて下さい。責任者は、本山支配人です。記事内容は、下記のとおりです。
http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000170912100001

2009年 北の大地へ Part12 富良野線 根室本線 日高本線

第9日目 10月30日

道の駅『うたしないチロルの湯』美瑛11:00→11:25美馬牛11:30上富良野16:20→17:15芦別18:30→19:00道の駅『うたしないチロルの湯』

昨夜は、早く寝付きましたので、夜明け前には、起きました。今日も天気がすぐれない予報でしたので、夕張辺りを目指すつもりではありましたが、空を見上げると、雲の流れが速くなっています。北海道に入ってより、天気予報には、敏感になっていますが、ことごとく外れています。
こういう時は、地元の人に聞く方が、間違いありません。丁度、犬を連れて散歩に来られた方に聞いてみますと、『もう少し様子を見ないと、はっきりと、分らないが、雨は降りそうにないだろう。好天になる可能性は高い。』と言われました。中学校の先生をしておられる方でしたので、石炭最盛期だった頃の話を聞いてみると、
『その頃は、大勢の炭鉱夫が住んでいて、周辺の町は、大盛況だった。蒸気機関車が、走り回り、汽笛の聞こえない時間は、なかった。後ろのサイクリングロードは、歌志内線の廃線跡です。炭鉱夫の住居には、風呂がなかった。共同浴場が向かいにあったが、老朽化したので、新たにできたのが、この温泉だった。

年中無休のはずだが、休館日だったとは、きっと何か問題があったのだろう。ここでは、7年おきに耐寒設備を点検補修しないと、雨漏りしたり屋根が抜けたりもする。箱物がたくさん出来たが、造るだけ造って、後の補修を考慮していない。これからも続く維持管理に相当な費用が必要だが、歳入が減る一方の町には、その予算を捻出できない。とても心配だ』と、嘆かれました。
『鹿の件だが、年々、被害が多くなっている。先日も友人が、鹿と交通事故を起こし、車の修理に、70万もかかったと嘆いていた。轢いた鹿は、持って帰って、生きている内に解体して食べる。』等々、書きつくせない、いろいろなお話を、聞かせていただきました。

ここの湯は、炭鉱の町だったためか、朝湯をやっていましたので、天候の様子を見る時間を兼ねて、入ってみました。通路の天井は、ビニールが張り巡らされていて、昨日は、雨漏りがひどく、臨時休館になったと聞きました。お風呂内の設備も、古くて綺麗ではありません。壊れていたりで、補修が追いついていないのか、よく分りました。
露天風呂から見る空は、どんどんと雲が流れ、青空になってきています。これは、富良野線に再挑戦しなければと思い、道の駅『うたしないチロルの湯』を後にしました。

芦別駅 これは、いったい何だと思わずにはいられない、場違いの五重の塔。日本経済発展を支えた炭鉱の町として、相応しいモニュメントがあって、しかるべきと思うのは、私だけでは、ないと思います

▲ 728D 美馬牛→美瑛 キハ54-502

▲ 727D 美瑛→美馬牛 キハ150単行

峠を越えて、昨夜走った富良野線沿いに出ました。晴れてはいますが、期待した冠雪の山々には、まだ厚い雲がかかった状態です。期待は、吹っ飛びました。仕方なく、前日の撮影地での撮影となりましたが、昨日よりは、幾分ましでした。

富良野線での撮影を諦めて、根室本線の金山~東鹿越間を目指しました。

2432D 東鹿越→金山 キハ40 12:28、山深いこの辺りを走る列車は、極めて少なく、この時間に撮れる列車も、わずか1本です。
▲ 根室本線 富良野駅から狩勝峠へ向かう中間点に『金山駅』がある。このまま、釧路、根室方面に向かうも良しです。ホームには、伊予西条駅で見たと同じ煉瓦造りのカーバイト保管庫?が、残っていました。

慎重に撮り終えて、東の空を見ますと、雲が切れて青空が広がっています。ラジオの天気予報も、内陸部では降雪と、路面の凍結に注意するように、告げていますが、日高方面は、逆の予報です。ナビをセットすると、所要時間3:30と言います。今から行けば、夕日を見れる。その時間に、列車も走っている。太平洋側は、風も強いだろう。旅の疲れも溜まってきている。節約旅行に努めてきましたが、今夜は、初めて、宿を取ろうと、『新冠温泉 レ・コードの湯ホテルヒルズ』に予約を入れました。公共の宿ですが、私としては、大奮発の9950円(一泊2食)です。

途中、道路案内板に鉄道記念公園の看板が見えました。すっかりと、振内鉄道記念館の存在を忘れていました。先を急ぎます
が、見た以上、行かないわけにはいけません。

▲ D5123 昭和18年に汽車会社製造、サハリンで活躍しましたが、1990年に帰国。ここに保存されていますが、状態は極めて悪く、修復が望まれます

客車は、スハ4537と、スハフ42-519です。こちらも。かなりボロボロ状態です。


野ざらしで、ボロボロになっていましたがD5123号機と、2両の客車が静態保存されていました。客車は、夏季には、ライダーハウスとして開放されていました。

富内線は、1964年に全線が開通し、1986戦に廃線となり、極めて短命に終わっている。残念ながら、この路線は、乗車していない。先ほど立ち寄った根室本線金山駅までの延伸計画は、あったそうです。
▲ 当時の路線図、たくさんのローカル線が、ありました。
▲ 15:20、ようやく太平洋が見えました。清畠駅で、時刻表を確認しますと15:30に様似行きの列車が出ます。ホームに上がると、かなたから、DCが走ってくるのが見えます。

▲ 撮影時刻15:39 様似行きの2233D

急いで、撮影予定地の厚賀~大狩部間厚別川橋梁を目指しました。丁度、夕日が太平洋と、川面を染めての絶景です。ただ、車が止められる余地は、道路橋梁にはありません。渡りきった空き地に駐車してから、無我夢中で、走りました。そして、撮影場所に着いた瞬間に、DCが来ました。10秒でも遅ければ、撮影は不可能だったでしょう。ただ、アングルまで決められる余裕は、ありませんでした。また、通常、私は、マニアルモードで撮影していますので、前もっての試し撮影で、最適露光を決める余裕もありませんでしたので、もっと良い写真を撮れたかもしれませんが、美しい自然がカバーしてくれました。
▲ 大狩部駅を発車する苫小牧行きの2236D
ホテルには、17:00には着くだろうと、言っておりましたが、遅れるとの連絡を入れて、夕日が沈んだ後も、暗くなるまで、列車を追いかけました。

宿は、新冠の町並みを見下ろす高台にありました。露天風呂にゆったりと浸かって、久しぶりに、まともな食事を食べました。お風呂では、襟裳岬辺りで、明日、秋アジを釣りに行くという釣好きがおられ、釣る楽しみと、食べる楽しみを聞かせていただきました。 Part13 へ続く

2009年 北の大地へ Part11 かつての常紋信号場

また次の旅立ち準備をしております。香港に、また行こうとのお誘いがありました。トラムや地鉄も撮ったし、乗ったし、他の場所が良いのですが、どうしても行きたいらしく嘆願されれば、断れないぶんしゅうです。この後、広州東→ハルピンの列車も乗りたいし、芭石鉄道、平頂山、調兵山も行って見たいと思って、OKを出しました。と、言う訳で、『北の大地へ』の、残り投稿を急ぎます。
と、思っていたら、インタネットで購入した簡単なフイルムスキャナーが、届きました。もっと早くに頼めば、昔撮った写真と比較しながら、投稿できたのにと思いました。
DRFCメンバーと行った頃の、懐かしい常紋信号場写真をご紹介させていただきます。
昭和44年9月(1969年)、当時の常紋信号場の光景です。9600やD51牽引された、しかも重連もあり、補機もあり、おまけに混合列車もありで、スキャンしながら、ノスタルジアの世界にうっとりしました。


今は、雑草が茂り、見る影もありませんが、当時は、頻繁に列車が、交換をした常紋信号場でした。



▲ こんな混合列車も走っていました。
▲ 今はなき、急行DCです。キハ56とキハ22の混合列車で、長編成でした。
    こういった約40年前の写真を見ますと、もっと一生懸命に撮っていれば思いますが、今のようにデジカメ時代になると、何カット撮っても、問題ありませんが、当時は、フイルム自体、高価でした。100フィート巻きのトライXを購入して、夜、部屋の電気を消し、押入れに入って、カメラ屋でもらった中古パトローネに、巻いた時代を思い出します。  Part12 へ続く

【5391】EVE展示は26日(木)から3日間

私の投稿が長すぎましたので、本家 青信号特派員のご了解をとり、再投稿させていただきます。

鉄道同好会EVE展示

11月26日(木)~28日(土)10:00~17:00
同志社大学今出川キャンパス寧静館401号室にて
内容:Nゲージ展示、研究展示、青信号販売etc

【5382】人間国宝 山科の写真展を開催

「山科の人間国宝」こと佐竹保雄さんの写真展が今週末から開催されます。

多方面への好奇心を失わず、家にはほとんど居ないぐらい、毎日元気に出掛けられている佐竹さん、今年の掉尾を飾るのは、山科限定の写真展です。今までも同様のテーマで開催されていますが、未発表写真も含めた、山科の魅力が詰まった総集編の写真展です。

さらに同時に開催される「石井麻子のニットアート展」とのコラボ、「雪とSLの額絵」も見ものです。

「佐竹保雄 山科国鉄写真展」

日時 11月21日(土)~12月6日(日) 期間中無休

会場 京都市営地下鉄烏丸線烏丸御池駅内

    烏丸御池駅ギャラリー(ラッチ外、中二階通路にある市民ギャラリーです)

 

なお佐竹さんの在廊日時は

11/28 10~13時            12/5 10~13時   

11/29 10~12時 13~17時     12/6 10~14時

となっています。会員との出会いを人間国宝は楽しみにされています。

かつての日本一の撮影地、山科の魅力を余すところなく表現

 

なお、佐竹さんが以前に著された「おじいちゃんのSLアルバム」が“たくさんのふしぎ傑作集”に選ばれ、絵本仕様になり装いも新たに発売中です。お持ちの方も愛蔵本としてぜひご購入をお勧めします。

今度は書店の鉄道書コーナーに並ぶので買い易い(本体1300円)

2009年 北の大地 Part10 富良野線 美瑛~美馬牛

第8日目 10月29日

道の駅『おんねゆ温泉』美瑛11:00→11:25美馬牛11:30上富良野16:20→17:15芦別18:30→19:00道の駅『うたしないチロルの湯』
期待した朝を迎えましたが、冠雪のあった山並みは、全く見えずの曇天です。美瑛駅に発着する列車音を聞いても、カメラに手が向きません。ガラガラの駐車場でしたが、北九州ナンバーの乗用車が止まっていました。まだ、道内に入ったばかりだと言う同年輩の方と、しばらく話をした後、ようやく美瑛駅探索に向かいました。
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2009年 北の大地へ Part9 常紋信号場

第7日目 10月28日

道の駅『おんねゆ温泉』8:10→8:45金華8:55→9:30常紋11:40→12:20留辺蘂13:30→14:00つるつる温泉15:30→旭川市→21:00道の駅『びえい 丘のくら』


昨夜の雨は上がり、青空が広がっていく朝を迎えました。昨日購入した毛布と湯たんぽの威力は絶大で、3度以下にもなった早朝も、問題なく眠れました。道の駅『おんねゆ温泉』内に土産物店は、中央の1軒が、6時過ぎには開店しました。生牛乳の看板に惹かれて、一杯飲んで、朝のスタートです。『ハッカ』が名産品とかで、お土産としました。 続きを読む

2009年 北の大地へ Part8 釧網本線 石北本線

第6日目 10月27日

網走市鉄道記念館8:30→9:30浜小清水付近13:00→13:30呼人付近15:00→15:30美幌駅15:40→15:50美幌市柏ケ丘公園16:00→北見市内→21:00温根湯 

昨日は、長い一日を過ごしましたので、熟睡でした。雨は、少し降った程度でした。朝の車内温度は、暖かい8度。朝霧が漂う能取湖を見ながら、車外で椅子に座って、ゆっくりと朝のコーヒーを入れて、今日はどこへ行こうかと思案です。
空は、今にも降りそうな厚い雲に覆われて、遠景からの撮影は、不可能です。昨日、浜小清水付近で見た、紅葉林の中を走る光景が思い浮かびます。雨上がりで、今日は決めようと、時刻表を見ながら、8:30に出発しました。
▲ 快速『しれとこ』3727D キハ54-522 北浜→浜小清水


 ▲ 4729D 道内ローカルのエース、キハ40-736 北浜→浜小清水

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2009年 北の大地へ Part7 網走市鉄道記念館

10月26日 第5日目

道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』4:00→4:40湧別港5:00→5:20湧別川河口海岸6:00→6:30→中湧別鉄道資料館6:50→7:30計呂地交通公園8:30→9:20佐呂間町交通公園9:45→12:00網走市鉄道記念館12:25→13:30北浜駅13:50→15:00止別駅15:05→19:00網走鉄道記念館

この日の記念館、最終訪問地は、網走市鉄道記念館です。能取湖に面した、国道沿いのひっそりとした、旧卯原内駅にありました。気をつけていないと見過ごしますが、ここはナビ地図に載っていました。
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2009年 北の大地へ Part6 佐呂間町交通公園

私事で恐縮ですが、一昨日は、毎年1回開催される中高等学校の同窓会に行って参りました。終了後に、同学年の2次会を、行いましたが、出席可否の返信FAXの中に1通、私宛の文面がありました。そこには、奥さんから、『主人は、同窓会出席を楽しみにしておりましたが、脳溢血で倒れ、入院しました。後遺症として、徒歩困難での車椅子生活、言語障害が残り、退院後の今も、1週間4日も、つらいリハビリを、強いられています。』と、書かれてありました。

何度も、連絡を取りましたが、応答はなく、心配しておりました。ようやく連絡が取れ、お見舞いに行きましたら、内容どおりの容態で、ついこの間まで、元気だった姿が嘘のようでした。折角、還暦を境に仕事を辞めて、自由に好きな事を楽しみたいと、語っていた彼の言葉を思うと、彼の気持ちのつらさが、痛いほど分ります。  

私の家内は、介護保険が始まる以前より、ご老人のお世話をしていて、その道のプロです。幾多の死や、老後生活の困難に接してきています。 

家内はいつも言います。『人間は、いつ死ぬか分らない。老人になれば、確率は高くなる。ころっと死ぬだけなら、まだ良いが、後遺症で苦しむ場合も多い。生きているうちに、元気なうちに、好きな事を思いっきりしておかないと、悔いが残る。家族も同じ思いを受ける。』

私が、自由に勝手気ままな旅を楽しめるのも、家族の理解が、後押ししてくれるからです。私もいつか、体力尽きる時がやってくると思いますが、それまでは、悔いなき人生をすごせるように、頑張ろうと思いました。

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北の大地へ Part5 計呂地交通公園

10月26日 第5日目

道の駅『かみゆうべつ温泉チューリップの湯』4:00→4:40湧別港5:00→5:20湧別川河口海岸6:00→6:30中湧別鉄道資料館6:50→7:30計呂地交通公園8:30→9:20佐呂間町交通公園9:45→12:00網走鉄道記念館12:25→13:30北浜駅13:50→15:00止別駅15:05→19:00網走鉄道記念館

次いで、サロマ湖沿いに車を走らせ『湧別町計呂地交通公園』を訪れました。途中、線路跡を見ましたが、既に雑草や林の中に埋もれていました。


湧別町計呂地交通公園は、中湧別と同様に、計呂地駅をそのまま残してありました。
撮影していると、管理人さんが出勤されてきましたので、朝のご挨拶をすると、元駅舎の資料室を空けてくだしまして、丁寧なご説明をいただきました。

展示したあったパネル『湧網線のあゆみ』を見ますと、中湧別と、網走の両端駅から延伸が始まり、昭和10年最初の開業から、18年後のの昭和28年に89.6キロが、ようやく全線開業しましたが、昭和62年に廃線となっています。34年間の短命で終わっています。

廃駅当初は、何の資料がなかったそうです。地元の方や駅員さんが、それまで集めていた資料を提供されて、展示ができるようになったそうですが、補修も必要で、町の予算もあって、いつまで続けられるか心配しておられました。


▲ 保存展示車両 C58139+スハ45-6+オハ62-91

C58
の運転台は、通常施錠されていて、保存状態は、極めて良く、このまま走らせても良いようにも思えました。また、注目したのは、オハ62-91です。昭和29年に鋼体化された車両は、TR11の台車を履き、見ごたえがありました。スハ45の方は、宿泊できるように車内は、改装されていました。一泊300円は、格安です。宿泊は、駅長の家でも可能で、こちらは500円です。

オハ62と言えば、気動車不足の北海道にあって、苦肉の策として登場した、オハ62にディーゼルエンジンを付けた珍車、キハ40(初代)を思い浮かべます。現在、『加悦SL広場』に、静態保存されていますが、非力で、狩勝峠を上るのに、9600を補機にして走りました。そんな時に、乗りたかったと思いました。

機関車には、屋根が付けられた機関車には、11月からは、シートで覆い、冬に備えるそうです。管理人もおられ、大事に補修管理されている印象を持ちました。
次の訪問地は、『佐呂間町交通公園』です。国道を右折して向かいました
Part 6 へ続く