一畑電鉄クハ111号

最近整理をしていたら、昭和62年に走ったDRFC30周年記念列車・マイテ492の8mmビデが出てきました。早速DVDへダビングして改めて見ましたが、EF58150牽くオハなどの旧型客車の快走やマイテの中在家信号所でのスイッチバックなど貴重な記録映像が入っていました。中でも三軸ボギーの走行音がすばらしい!
おそらく一畑電鉄クハ111号もそんな走行音を宍道湖畔に響かせて快走していたのでしょう。もう聞きたくても聞けない音の一つです。

琵琶湖鉄道汽船100型

“琵琶湖鉄道汽船”、京阪電鉄も近鉄並みに色々な中小鉄道を吸収合併して大きくなってきたのですね。

希望のレール~被災地へ燃料を~

テレビを買い換えたら便利な機能が満載です。ネットに接続したり、HDをビデオデッキの代わりに接続出来たり、パソコン並みの拡張機能が付いています。
なかでもキーワードを登録しておけば勝手に録画してくれる機能は大変便利です。

そんなわけで昨日の深夜(今暁)4:55からBS朝日で放送された表記の放送が録画されていました。
内容は、3.11の震災直後に新潟から郡山まで運行された燃料輸送列車の記録です。
もしやと思って注視していると、やっぱり出ていました。
DRFC・OBの志水仁君が当時の機関士手配に苦労した事などを説明していたのです。聞くと当時はDD51 を運転出来る機関士は郡山には一人しかいなくて急遽志願してきた機関士を稲沢で研修させて乗務させたことなど、再現ドラマと記録映像で話していました。

我々の仲間が影ながら活躍していてくれたのを見て誇りに思えましたのでご紹介しておきます。

南海鉄道 電7系

よくもまあ、関先生はこんな電車をよくご存じだと感心いたします。
専門誌でもない一般の日刊新聞に載せて、どれだけの人が理解するのか不安になります。

読んでみて、クイシニの記号で聞いたことがあると分かりました。でもこんな車両だったとは全く以て知りませんでした。

名古屋鉄道トク3号

関先生の“私鉄貴賓車・お召し車”も最終回。
私鉄にこれだけの貴賓車があったとは驚きでした。地元の京阪16号ぐらいはDRFC会員としては興味がなかろうとも耳の周りであれだけ聞かされていれば記憶に残りますが、他の私鉄にもおもしろくて素晴らしい車両があったことに驚きました。しかし、どの車も一形式1両で、さすがの当会員でも一部の先輩会員を除いてはほとんどが無反応であったことを考えると、現役時の写真はおろか格下げ後の話も出てこないのはやむを得ないと納得しております。
それでも会員が撮った写真やウンチクを見たかった!

東の貴賓車 東武トク1型500号

貴賓車の定義が分からないまま、今度は展望車です。
一見すれば“或る列車”を彷彿とさせるデザインではありませんか!

これは電車なのか、客車なのか、分からなくなってきました。
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教えて下さい!

もの知らずのテッチャンこと、米手作市です。
こんな私でも近所では鉄道博士と思われているのです。
そんなことで町内の熊さんがこんな写真を持ってきました。

「この前、踏切で遮断機が上がるのを待っていると棒からこんなモノが下がっていたんだけど、一体全体何の役目をするものですかね?壊れた部品が垂れ下がっているのかと思ったんだけど。ご隠居なら知っているに違いないと思って写真に撮ってきた」
さてはて困りましたが
「いいところに気がついたな。だが、今出かけるところだから帰ってきたら教えてやる」と言ってその場をしのぎました。

これは何をするモノでしょうか?
形は少しずつ違うが、すべての遮断棒に付いています。写真の場所は嵐電の踏切です。
根元にぶらぶらする状態で付いており、遮断中は棒と直角に垂れ下がります。上がっている時は棒と平行になっており、何かの役に立っている様子はありません。

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南海の貴賓車

かつてのBOXでは、京阪ファンと阪急ファンがいつも激論を交わしていました。いたってくだらないひいきの引き倒し論争です。阪急ファン曰く「くずは付近で対岸を追い抜いて行く阪急特急を見て車掌が涙をポロリと流してた!」、京阪ファン曰く「十三のデッドセクションで電気が消えたら追いはぎが出た!」類いです。それから少し離れて寂しそうに見ているのは少数派の阪神ファン(T村君)と南海ファン(M尾君)でした。
今日は南海の貴賓車を見てそんなことを思い出しました。
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近鉄サ2600号

京阪や阪急(新京阪)にあって、近鉄になければおかしいと思っていたらやっぱりありました。
近鉄の貴賓車・サ2600号。
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新京阪貴賓車フキ500型

新京阪にも貴賓車があった。のちにアロハ特急(2012年11月28日掲載:京神直通アロハ特急【26702】参照)として使われた?のか、アメリカ博の宣伝用にのみ使われたのか判然としません。今回の記事では、奥の方に塗り分けられた500が描かれていますが、アロハ特急は2連で、802+852、803+853と書かれています。では後方の500型改造車は中間車ですから使われなかったのか、とも思われますが如何でしょうか?
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貴賓車と言えば、京阪16号!

戦前に各地で私鉄が貴賓車を作りましたが、これらは宮内省や政府からの依頼、許可を得て作ったのでしょうか?勝手に作っても利用されるアテがなければ無駄になるし、天皇陛下が三条京阪から天満橋までご利用になる意味があるのか、よく分かりません。
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青の交響曲余話

現役生達の活躍で、DRFCの歴史に残る一大イベントは成功裏に終わりましたが、その時に現役生、それも一回生のU君から参宮線事故の写真を見せてほしいと言ってきました。
聞けば古い鉄道の歴史に興味があるとのことで、井原さんに紹介されたらしい。写真はお見せするので来訪を快諾しましたが、事故の詳細はよく知らないので、デジ青に湯口先輩の投稿があったので読んでおこうと思い立ちました。
さすがに湯口先輩、ご自分の写真と共に簡単な解説があり、その中に「ピク65号を参照した」旨の注釈がありました。たしか我が家にもあったのではと探したところ、残念!66号からしかありませんでした。それ以前の59号が最初で次は66号まで飛びます。そもそも戦後生まれの私はまだピクを定期購読出来る年齢ではありませんでした(59号が昭和31年6月号)。実は高校時代に寺町の古書店に縄でくくって積まれていたピクを大人買いしたものです。だから飛んでいるのは私のせいではありません。

この機会に整理をしたのですが、なんと本がボロボロ、酸化してもろくなっていました。本の“ビネガーシンドローム”です。表紙や後表紙もとれた本を一冊ずつクリアーホルダーにはさんで並べ直しましたが、どうしても読んでしまいます。

そこでピクトリアル1956年6月号59号をご紹介しましょう。

この当時は48ページで110円です。表紙はEH1013の牽くワキの急行貨物列車。
最初のページにトピックフォトがあります。
曰く、「京阪特急用新テレビカー」1800系が四条に停車しています。「丸の内線新車400系6両増備」「国鉄初の20m2機関のキハ44700誕生」のちのキハ51です。

今月の話題
「東海道本線の電化は本年11月に米原-大阪が完成して、東京-大阪間の電気運転が開始される。北陸本線の電化方針は当初直流を計画していたが、急遽交流に変更された。」「国鉄本庁、4月より本社と改称。ゆくゆくは地方局を支社言うようになるかもしれない」

私鉄車両めぐり
京都市電:地図では千本今出川から白梅町間、河原町今出川から宝ヶ池公園間が予定線になっている。写真には200型、300型が現役で紹介されている

質問に答える
現在建設中の国鉄線
ほとんどがすでに廃止された線ですが、「津軽線:蟹田-三厩」「越美線:福井-朝日」「紀勢線:新鹿ー尾鷲」「赤穂線:日生-西大寺」などの現役線もありました。
私鉄で建設中となっている中で気になるのがありました。「紀泉鉄道:熊取-粉川」どなたかご存じありませんか?

おもしろいのを一つ
問:小海線のオハ608は夏と冬で定員が違うのにオハ607は変わらないのはなぜですか?
答:オハ608は冬期座席を外してストーブを取り付けるため定員が減る。オハ607は未改造のため変わらない。(国鉄運転局客貨車課)

読者短信
京阪ニュース
空気バネの電車が出来る。千チハのキハ48102でテストしたものに似た奴(ママ)。1816を予定する。
大阪地下鉄ニュース
値上げした分だけサービスしましょうと全車両に各6個の扇風機をつける。

こんな内容ですが、この頃でも佐竹保雄先輩は写真に記事に大活躍でした。

現物をご覧になりたい方はいつでもどうぞ!

京王電軌500号

今週は「青の交響曲」や私用で関先生の「昭和の電車」を読むのが今日になりました。
それが幸いしたのです。
今夜(17日)のNHKブラタモリで高尾山をやりましたが、後半に廃線跡を歩く場面がありました。この廃線跡こそ京王電軌の御陵線跡で、番組でも古い写真や地図を使って詳しく説明しておりました。なかでも個人住宅内に現存する高架の橋脚に登ったり、廃線跡にある京王電軌の旧社章入りの境界杭などは、この500が走ったと思いながら見ると感慨もひとしおでした。

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行ってきました、倉吉線鉄道記念館

松江へ行く機会がありましたので帰りに倉吉へ寄り道をして、倉吉線鉄道記念館へ寄ってきました。
以前のご報告の通り、我がクローバー会のコーナーをご用意下さり、丁寧な注釈を入れた展示がされていました。
突然の訪問でしたから連絡もせず寄りましたら、どなたもおられず、壁に勝手に電気を付けて帰りには必ず消してくれとの注意書きがありましたのでその通りにいたしました。

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写真はご覧の通り額に入れてきれいに展示して頂いております。
見ますと、思っていた以上に多くの会員の写真が展示してあり、資料のボリュームに改めて感心しました。

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先輩諸兄から若手の皆様まで多彩な写真内容になかなか去ることができませんでした。

行かれる時は、事前に連絡をしてから行かれることをお勧めします。

玉電デハ80型

その昔、ムーミン型の連接車で三軒茶屋にあった友人の下宿へ遊びに行って、洗面器を使って水炊きをしました。帰りに乗ったのがこの電車です。乗り心地などは覚えていませんが、なにかマンガのような(赤塚不二夫描くところのレレレのおじさん!)顔に見とれていました。

文中に「京阪電鉄の方から80型は保存してない」とのこととありますが、廃車になったのでしょうか?
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京阪電鉄京津線80型

先回の京福電鉄叡山線デオ300とともに驚いた電車がこれ。
静かさと加速減速のスムーズさは、どちらも場違いな、早く言えば“もったいない”電車でした。あまり乗る機会が無いまま廃車されましたが、ポールの時代からあったのですね。なぜ他の地方鉄道に行かなかったのか不思議に思いました。
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叡山電鉄デオ300型

タイトルの、叡山電鉄デオ300型より私には「京福電鉄叡山線デオ300型」のほうがしっくりきます。と言うのは、高校時代はこれで通っていたからです。音が静かで乗り心地がよく、加速性のもいいので「もったいないなぁ」と思いつつ、この電車がくるのを楽しみに待っていました。
当時の京福には知り合いの社員さんがいて、床下機器の配置が悪く、(どちらかに:忘れました)傾いていると教えてもらったことがありましたが、本当だったのかは分かりません。

関先生にしては、ちょっと架線の交差が曖昧ですね!
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北陸鉄道モハ5000型

数年前に山中温泉へ行きましたが、こんな電車が走っていたとは知りませんでした。
それにしてもこの当時の電車はよく似ていますね。よく似た電車の写真展でもしたらおもしろいでしょうね。

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旭川電軌モハ1000型

この電車は、いかに私鉄オンチと言えばオンチに失礼な私でも知っています。どこかに写真があったような気がします。関三平先生は「阪和電鉄のモタ3000」と言われましたが、私は叡電のデオ200型のように思えました。

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京王帝都5000系

この電車は一畑電鉄で乗りました。場違いな洗練された電車で、車内には出雲神話の画が描かれていました。それにしてもこんなに古い電車だとは思いませんでした。
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