貴賓車と言えば、京阪16号!

戦前に各地で私鉄が貴賓車を作りましたが、これらは宮内省や政府からの依頼、許可を得て作ったのでしょうか?勝手に作っても利用されるアテがなければ無駄になるし、天皇陛下が三条京阪から天満橋までご利用になる意味があるのか、よく分かりません。
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青の交響曲余話

現役生達の活躍で、DRFCの歴史に残る一大イベントは成功裏に終わりましたが、その時に現役生、それも一回生のU君から参宮線事故の写真を見せてほしいと言ってきました。
聞けば古い鉄道の歴史に興味があるとのことで、井原さんに紹介されたらしい。写真はお見せするので来訪を快諾しましたが、事故の詳細はよく知らないので、デジ青に湯口先輩の投稿があったので読んでおこうと思い立ちました。
さすがに湯口先輩、ご自分の写真と共に簡単な解説があり、その中に「ピク65号を参照した」旨の注釈がありました。たしか我が家にもあったのではと探したところ、残念!66号からしかありませんでした。それ以前の59号が最初で次は66号まで飛びます。そもそも戦後生まれの私はまだピクを定期購読出来る年齢ではありませんでした(59号が昭和31年6月号)。実は高校時代に寺町の古書店に縄でくくって積まれていたピクを大人買いしたものです。だから飛んでいるのは私のせいではありません。

この機会に整理をしたのですが、なんと本がボロボロ、酸化してもろくなっていました。本の“ビネガーシンドローム”です。表紙や後表紙もとれた本を一冊ずつクリアーホルダーにはさんで並べ直しましたが、どうしても読んでしまいます。

そこでピクトリアル1956年6月号59号をご紹介しましょう。

この当時は48ページで110円です。表紙はEH1013の牽くワキの急行貨物列車。
最初のページにトピックフォトがあります。
曰く、「京阪特急用新テレビカー」1800系が四条に停車しています。「丸の内線新車400系6両増備」「国鉄初の20m2機関のキハ44700誕生」のちのキハ51です。

今月の話題
「東海道本線の電化は本年11月に米原-大阪が完成して、東京-大阪間の電気運転が開始される。北陸本線の電化方針は当初直流を計画していたが、急遽交流に変更された。」「国鉄本庁、4月より本社と改称。ゆくゆくは地方局を支社言うようになるかもしれない」

私鉄車両めぐり
京都市電:地図では千本今出川から白梅町間、河原町今出川から宝ヶ池公園間が予定線になっている。写真には200型、300型が現役で紹介されている

質問に答える
現在建設中の国鉄線
ほとんどがすでに廃止された線ですが、「津軽線:蟹田-三厩」「越美線:福井-朝日」「紀勢線:新鹿ー尾鷲」「赤穂線:日生-西大寺」などの現役線もありました。
私鉄で建設中となっている中で気になるのがありました。「紀泉鉄道:熊取-粉川」どなたかご存じありませんか?

おもしろいのを一つ
問:小海線のオハ608は夏と冬で定員が違うのにオハ607は変わらないのはなぜですか?
答:オハ608は冬期座席を外してストーブを取り付けるため定員が減る。オハ607は未改造のため変わらない。(国鉄運転局客貨車課)

読者短信
京阪ニュース
空気バネの電車が出来る。千チハのキハ48102でテストしたものに似た奴(ママ)。1816を予定する。
大阪地下鉄ニュース
値上げした分だけサービスしましょうと全車両に各6個の扇風機をつける。

こんな内容ですが、この頃でも佐竹保雄先輩は写真に記事に大活躍でした。

現物をご覧になりたい方はいつでもどうぞ!

京王電軌500号

今週は「青の交響曲」や私用で関先生の「昭和の電車」を読むのが今日になりました。
それが幸いしたのです。
今夜(17日)のNHKブラタモリで高尾山をやりましたが、後半に廃線跡を歩く場面がありました。この廃線跡こそ京王電軌の御陵線跡で、番組でも古い写真や地図を使って詳しく説明しておりました。なかでも個人住宅内に現存する高架の橋脚に登ったり、廃線跡にある京王電軌の旧社章入りの境界杭などは、この500が走ったと思いながら見ると感慨もひとしおでした。

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行ってきました、倉吉線鉄道記念館

松江へ行く機会がありましたので帰りに倉吉へ寄り道をして、倉吉線鉄道記念館へ寄ってきました。
以前のご報告の通り、我がクローバー会のコーナーをご用意下さり、丁寧な注釈を入れた展示がされていました。
突然の訪問でしたから連絡もせず寄りましたら、どなたもおられず、壁に勝手に電気を付けて帰りには必ず消してくれとの注意書きがありましたのでその通りにいたしました。

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写真はご覧の通り額に入れてきれいに展示して頂いております。
見ますと、思っていた以上に多くの会員の写真が展示してあり、資料のボリュームに改めて感心しました。

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先輩諸兄から若手の皆様まで多彩な写真内容になかなか去ることができませんでした。

行かれる時は、事前に連絡をしてから行かれることをお勧めします。

玉電デハ80型

その昔、ムーミン型の連接車で三軒茶屋にあった友人の下宿へ遊びに行って、洗面器を使って水炊きをしました。帰りに乗ったのがこの電車です。乗り心地などは覚えていませんが、なにかマンガのような(赤塚不二夫描くところのレレレのおじさん!)顔に見とれていました。

文中に「京阪電鉄の方から80型は保存してない」とのこととありますが、廃車になったのでしょうか?
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京阪電鉄京津線80型

先回の京福電鉄叡山線デオ300とともに驚いた電車がこれ。
静かさと加速減速のスムーズさは、どちらも場違いな、早く言えば“もったいない”電車でした。あまり乗る機会が無いまま廃車されましたが、ポールの時代からあったのですね。なぜ他の地方鉄道に行かなかったのか不思議に思いました。
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叡山電鉄デオ300型

タイトルの、叡山電鉄デオ300型より私には「京福電鉄叡山線デオ300型」のほうがしっくりきます。と言うのは、高校時代はこれで通っていたからです。音が静かで乗り心地がよく、加速性のもいいので「もったいないなぁ」と思いつつ、この電車がくるのを楽しみに待っていました。
当時の京福には知り合いの社員さんがいて、床下機器の配置が悪く、(どちらかに:忘れました)傾いていると教えてもらったことがありましたが、本当だったのかは分かりません。

関先生にしては、ちょっと架線の交差が曖昧ですね!
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旭川電軌モハ1000型

この電車は、いかに私鉄オンチと言えばオンチに失礼な私でも知っています。どこかに写真があったような気がします。関三平先生は「阪和電鉄のモタ3000」と言われましたが、私は叡電のデオ200型のように思えました。

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出発!ローカル線聞きこみ発見旅

という番組があります。
BSジャパン(BS7)の旅番組ですが、6月13日19:00から今話題の木次線をやります。
内容は男女のタレントが一泊二日の間に全線の名所や名物を10ヶ所見つけるという単純なものですが、普通は下りないだろう駅にも立ち寄るのがおもしろいところです。
さて、木次線ではなにをおもしろいものとして選定するかに興味がわきます。

ちょうど話題沸騰中の「木次線」ですからご案内しました。

 

伊豆急100系

いま話題を集めている木次線三段スイッチバックのカラー写真が撮られたのが1971年とか、その10年前に登場した電車とは思えないスマートな車両です。この時代、都会と地方にこれほどの差があったのですね。ところで今でも不思議に思うのですが、伊東線の先に伊豆急があって乗り入れをしています。伊豆急にとってどんなメリットがあるのでしょうか?国鉄が伊東線を延長すればいいだけのことで、東急が飛び地鉄道を作る理由が分かりません。
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木次線に乗ろう!!

ぶんしゅう氏の木次線レポートを見るに付けても行きたくなりました!
三江線と木次線、どちらも似た運命をたどりそうで、心配しております。三段スイッチバックも延命水も有るうちが花!
三江線旅行と同じように乗って残そうを実行しませんか?
木次線の話が出ると、時々投稿してくださる「おろち」さん、現地に在住の方と思いますが、ぜひともお目にかかってお話がしたいのです。
http://ameblo.jp/c56108/entry-12142086571.html

木次駅のはずれの跨線橋も金網が張られて撮影出来なくなるとか、会長様、ご一考下さい。

関三平先生からのお手紙 その2

近鉄・京阪の相互乗り入れに関する会員各氏からの投稿をご覧になって、関先生からお手紙が来ました。談論風発的な投稿はDRFCの特技ですが、今回も貴重な写真や体験談など記録としても残しておきたいことばかりです。そんな中に関先生からも貴重な体験談が来ましたのでお手紙を掲載します。関先生の学生時代と言うことは乙訓の長老の学生時代、昭和30年代初頭でしょうか。京阪三条駅の阪急版です。準特急さん、どう思いますか?
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思い出しました!

子供の頃の思い出は、時として昨日のように鮮明なものがあります。そしてそれがどんな時の出来事なのか、どこでの事なのかなど前後と切り離して覚えているため、いつまでもすっきりしないのです。
今日、関先生の近鉄・京阪200型記事と湯口先輩の丹波橋の奈良電を見て60年ぶりに解決しました。

それは小学校低学年の頃、電車の先頭の窓から入ってきた風にあおられて、お気に入りの帽子が飛ばされてしまったことです。帽子は英語で「Central」の文字が入っていました。電車は京阪か奈良電だと思われます。五枚窓の先頭部で左側に運転席、右側は前まで近づける形です。窓は下降式で車体の色は緑でした。どこで飛ばしたのか、夢にまで見たのですが他人には言えず今日まで来ました。
それが丹波橋の200型を見て、「これやッ!」
あれは両親と奈良公園へ行った帰りでした。奈良公園で鹿に突き飛ばされて情けない気持ちのところに好きな帽子を無くしたことで一気にべそをかいたことを思い出しました。場所は巨椋池の辺りでした。お二人には心より御礼を申し上げます。ありがとうございます。

関先生と湯口先輩の記事に関連した写真を探し出しましたのでご覧下さい。
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200回記念!京阪200型・近鉄200型

先日、関三平先生とお目にかかった時に、先生が「200回の題材は決めてある」と仰っていたのを思い出しました。
京都駅の南口(現在の八条口)の端にあった奈良電ホーム、そこで見かけた風景です。
よく見ると当時有った京都客車区(大キト)のオハ35系か、オハ61系の窓が見えています。さらには遠方にアドバルーンがいくつか上がっていますが、ここに「祝200」の文字が読めて、先生が密かに200回を迎えた事を祝っておられるのだな、と思わずほほえんでしまいました。そう言えばあのときに「300回用の題材も決めてある」と話されていたような気がしますがどうだったでしょうか。
関先生、200回達成を心からお祝い申し上げます。今後とも300回と言わず1000回までも企画して下さい。ご健康をお祈りしております。

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揖斐川電気モハニ1型

お目にかかってから最初の掲載日、楽しみにしていましたら、なにやら不格好な電車の画が出てきました。そう言えば、当日もブサイク電車の話題で持ちきりでしたから関連か?とも思いましたが締め切り時期が合わず、偶然だったと思います。それにしても一見してパンタの異様さは驚きです。一瞬、関先生の筆の誤りか?と思うほどの大きいパンタ。ところが読み進むと本当はもっと大きいとか!
写真が出てくるかも、と思いましたがおそらくはだれも撮していないほどの昔らしい。ちょっと残念でした。

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