関三平先生と会う!

長期に亘って産経新聞大阪版夕刊に連載されている「昭和の電車」の作者で、迷図作家の関三平先生にお目にかかってご高説をお聞かせ頂きたいとのご希望がありましたが、私がご連絡を取る役柄で有りながら私用があり、なかなか実現できませんでした。先生への連絡はメールはされないと言うことで郵便になるため、パッパッと行きません。やっとご都合を合わせて頂いて、急遽25日18時阪急南方でとなりました。そんなわけでご希望を頂いていた乙訓の長老様はじめ一部の方達とだけの顔合わせとなりましたことを最初にお断りさせて頂きます。

先生は京都工芸繊維大学のご出身で大変な電車通でおられることは、連載している作品を見てもおわかり頂けると思います。毎回はじめに線画を描いて、それに色鉛筆やマーカーなどを使って色を付ける、その間5日ほどかかるので掲載を隔週にして貰った、などの裏話や、いつも話題に上る「バックはどこの風景やろか?」については「適当に書いています」とのことでした。しかし、元になる写真や色などには大変なご苦労と記憶力を駆使されている由、全員感心して聞き入っていました。会場となった居酒屋は、2時間厳守だったのですが、3時間以上も粘って9時過ぎにお開きとなりました。しかし、まだ聞き足りない様子で久我会長が「ホームカミングデーにお出で頂き、今日来られなかった会員にも聞かせてやって頂けないか?」と厚顔破廉恥にも切り出したのです。先生は「夜型の生活ですから体調を整えなければなりません。早くなければ行けないことも無いのですが・・・」とやや困惑のご様子でしたが、阪急電車好きの先生にP6を運転した事を武器に取り入った久我会長でした。その後、銘々が持参した先生の出版作品集にサインを頂き帰途につきました。

関先生は、準特急さんと藤本さんにも会いたいご様子でした。
関先生1 関先生3

教えて下さい!

私は三江線を盛り立てようと心に決めて、4月に三江線応援ツアーに申し込んだものです。
この機会にジパング倶楽部なる秘密結社に加入して初めて利用するのですが、切符の買い方が分かりません。どなたかご親切な方、教えて頂けませんか?
実は、自販機以外で切符を買うのは卒業以来初めてです。九州均一周遊券や北海道均一周遊券の買い方は知っていますが、それとは少し違うようなので戸惑っています。
行程は
京都→(赤穂線経由)→福山→塩町→三次→江津→倉吉→(智頭鉄道線経由)→上郡→京都で、倉吉→京都は特急スーパーはくとを利用します。
乗車券は智頭鉄道線区間を引いたJR線は連続乗車として計算してくれるそうです。
その上で説明書を読むと、「片道、往復、連続で201km以上」となっています。

そこで質問です。
単純に京都→京都で乗車券を買った場合、全行程から智頭鉄道線区間56.1kmを引いた距離の乗車料金になるのか?と言うことです。かつて利用した時は一筆書きで書ける範囲が一枚、行きと帰りで重なる範囲が一枚、となっていましたが、もしそれと同じなら京都からルートを逆算して201km地点で前半と後半にわけなければなりません(具体的に言えば京都→湖山、湖山→京都+智頭鉄道線)。それとも重なっても良くなって京都→京都で買えるのかを教えて下さい。

今ひとつ
福山までは赤穂線経由で行きますが、山陽本線経由でも途中下車しなければ安い方で計算してもいいのでしょうか?

割引方法がややこしくなったわりに割引率が悪くなっていることに驚きながらおたずねします。
よろしくお願い致します。

伊賀電鉄デハニ1

先日、乙訓の長老様から懇切にも近鉄になった鉄道について教えて頂きましたが、今回はそのうちの伊賀電鉄です。近鉄時代末期に乗りに行きましたが、伊賀電鉄になったら近鉄型が無くなり、関東から引っ張ってきた中古車がはびこっているとか。近鉄とはケンカ別れをしたのでしょうか?

伊賀電鉄デハニ1_NEW

吉野鉄道テハ1

子供の頃、父親がよく「大軌に乗って・・」とか「大鉄が・・・」と言っているのを聞いて、〈大阪にはややこしい電車があるのやな〉と思っていましたが今も変わりません。たしか参急もあったようですが吉野鉄道などというのまであるとは知りませんでした。いったい今の近鉄は何社が集まって出来ているのでしょうか?
吉野鉄道テハ1_NEW

西村さん、どですかでんさん、お礼です。

相も変わらず記憶などいい加減な私に、撮影場所や日時まで教えて下さってありがとうございます。早速写真を引っ張り出してみました。まちがいなくその三名の写った写真がありました。許可を頂ければ掲載します。乗った車はキハ20ではなくキハ28か58の二連です。
以下はその時に撮った写真です。

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富士急行モハ5000型

年甲斐も無く、風邪を引いてしまいました。諸兄もお気を付け下さい。

今回は富士急行電鉄です。といっても私には全く縁のない鉄道で、昔東京時代に同僚が大月の出身で遊びに行った時に駅で見たぐらいしか覚えがありません。最近テレビの旅番組で紹介されたのを見ました。
こんな113系のような電車を作っていたとは・・・
富士急モハ5000型_NEW

関三平先生から当会への手紙

先日の関先生からのお便りに会長はじめ会員の皆様からいろいろなコメントが投稿されましたので、再度ハガキをお送りさせて頂きました。それに対して再度お返事を頂きましたので皆様にご覧いただきます。なお、ご住所や電話番号等は割愛しておりますのでご了承下さい。
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西村氏のお世辞に乗る

西村氏が投稿した水島臨海鉄道(旧倉敷市交通局)に昔の思い出を書いたら、見たいとのお世辞をいいことに、古いネガを探し出しお目に掛けます。一部の写真は古すぎて撮影時期が分かりませんが、多分昭和30年から35年までの間かと思われます。
車両に関しては西村さんにお任せしますので解説をよろしく!

昭和30年代の水島港

昭和30年代の水島港

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乙訓の長老様へ

乙訓の長老様、
ご投稿の中に、関三平先生の「昭和の電車」についてのご質問がありましたのでお応えします。

一昨年の5月に投稿した「遠州鉄道モハ1」の文末に産経新聞社からプレゼントのお知らせと、作品に関しての告知がありました。但し、小さい囲み記事でしたので見落とされたのでしょう。もう一度載せますのでご覧下さい。なお、プレゼントは終了しておりますのでお買い求め下さい。

遠州鉄道モハ1(文)_NEW

名鉄3780系

名鉄は我が人生の中で最も縁のない大私鉄です。東京への行き帰りに名古屋近郊で見かける程度の関係でした。DRFCで八百津線の廃止前に乗りに行ったのが最初で、その後は無縁です。ですから何も言う知識はありませんが、こんな色をした電車があったのでしょうか?名鉄はオレンジバーミリオンという色をしているとしか記憶が無いからです。

名鉄3780系_NEW

国鉄117系

この記事は1月21日に掲載されていましたが、関先生からお手紙が来たという連絡を受けたので投稿を控えていたものです。
先生からお許しが出ましたので投稿いたします。

さてこの117系にはいささか思い出があります。記事によると昭和54年の登場とか。ちょうどこの頃から大阪へ行くのは京阪を使うことが多くなり国鉄に乗る機会は無くなりました。でも見ることは多く、113系の通勤電車タイプとは異なる新快速専用のクロスシート車に憧れていました。この電車に乗ったのは遙か後の、DRFCクローバー会で名鉄に乗りに行った帰りでした。木目調の落ち着いた車内になぜか納得したのを覚えています。最近では緑坊主となって湖西線か草津線を走っているようです。

この絵は遠くに阪急の特急らしきものが描かれているので大山崎近辺と思われるが、いかがでしょうか?

国鉄117系_NEW

関三平先生からお手紙が・・・

先日、奈良の駅名研究家氏からメールで、「大学のBOX宛で関三平先生から米手先輩に封書が来ています」と連絡が来ました。ついに来るものが来たか!と召集令状を受け取ったような感慨を持ちました。
関先生の新聞に連載されている「昭和の電車」シリーズをデジ青に掲載していることを知られた先生から「著作権の侵害だ!」とお叱りを受けるものと覚悟をして手紙の転送を待ちました。

現会長は米手作市なる人物が誰かを知らず、尋ね廻った様子で、手元につくまで二週間を要したことになります。また、文面を拝見したら昨年にも送られたそうなのですが、昨年は私には連絡が無く、一年の延着となってしまいました。重ね重ねの失礼をしていたわけです。

さてお手紙を恐る恐る開けて拝見しますと、なんと関先生は当初よりデジ青の記事をご存じで、乙訓の長老や藤本氏などの投稿を詳しく読んでおられたようなのです。
「昭和の電車をデジ青で取り上げて頂き、”その筋の権威”の方達の解説・・・コラムに書く前に知っておきたかった事が一杯・・・京阪を採り上げる時には怒られへんやろかとビクビクしつつ・・」などと書いて頂いていました。(下記原文参照)
つまり抗議のお手紙では無かったのです。
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阪急2800系

2800が登場したのは大学に入った年でした。
高三の昨年、四条河原町延長工事が完成して、大宮から河原町まで特急が京都の中心部を文字通り貫通したのでした。明るい近代的な河原町駅に2800系の特急と、2300系の急行が止まっている様は梅田駅にもまけない堂々たる駅で満足したのを思い出します。
阪急2800_NEW

1961年夏→2015年冬 五十年ぶりの井笠鉄道

この年末に思いかけない旅行をすることになりました。
クローバー会の企画で瀬野八と広島電鉄への訪問です。実は、以前から家内が「福山に住む旧友に会いたい」と言っていたことが気になっていたので、この機会に済ませようと思いつきました。広島での予定を終えてから福山に向かい家内と合流して鞆の浦観光をして帰る、という計画です。
そこで気楽に西村さんにどこか見るところがあるのか?と聞いたところ、とてつもない企画書が送られてきました。旅行会社でも思いつかない素晴らしい旅行案が3通り。当時は西村さんはクローバー会の準備で大変な時期であることは知る由もありませんでした。本当に申し訳ない!

推薦案の中で、井原鉄道で総社に出て吉備線で岡山に帰り、新幹線で京都へ戻る計画を即決で採用しました。というのは高校時代に井笠鉄道に乗ったのですが、その時撮った写真の場所がわからず、すっかりあきらめていたのです。でも矢掛に旧井笠鉄道の矢掛駅が残っているとの情報があるので行って見たかったのです。
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撮影:昭和36年7月19日 続きを読む

近鉄モト2710型

子供の頃、叔父が阪神の鳴尾から近鉄の久宝寺に引っ越したのを機に近鉄に乗る機会が増えました。家の前が電車線だったことから近鉄電車をよく撮りました。その時、荷物電車を撮した記憶があります。有蓋車と無蓋車が有りました。写真を探してみます。
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丸窓電車・小田急モハニ101

前回の琴電に乙訓の長老様からのコメントが付くと思い、次回記事を投稿せずに待っていたところ、家内の襲撃に遭って新聞を廃棄されました!これが以前クローバー会で行った名鉄岐阜市内線と谷汲線で活躍した丸窓電車だったのです。従って一回飛びました。

今回は小田急のモハニ101型です。

小田急モハニ101_NEW