名鉄は我が人生の中で最も縁のない大私鉄です。東京への行き帰りに名古屋近郊で見かける程度の関係でした。DRFCで八百津線の廃止前に乗りに行ったのが最初で、その後は無縁です。ですから何も言う知識はありませんが、こんな色をした電車があったのでしょうか?名鉄はオレンジバーミリオンという色をしているとしか記憶が無いからです。
投稿者「米手作市」のアーカイブ
国鉄117系
この記事は1月21日に掲載されていましたが、関先生からお手紙が来たという連絡を受けたので投稿を控えていたものです。
先生からお許しが出ましたので投稿いたします。
さてこの117系にはいささか思い出があります。記事によると昭和54年の登場とか。ちょうどこの頃から大阪へ行くのは京阪を使うことが多くなり国鉄に乗る機会は無くなりました。でも見ることは多く、113系の通勤電車タイプとは異なる新快速専用のクロスシート車に憧れていました。この電車に乗ったのは遙か後の、DRFCクローバー会で名鉄に乗りに行った帰りでした。木目調の落ち着いた車内になぜか納得したのを覚えています。最近では緑坊主となって湖西線か草津線を走っているようです。
この絵は遠くに阪急の特急らしきものが描かれているので大山崎近辺と思われるが、いかがでしょうか?
関三平先生からお手紙が・・・
先日、奈良の駅名研究家氏からメールで、「大学のBOX宛で関三平先生から米手先輩に封書が来ています」と連絡が来ました。ついに来るものが来たか!と召集令状を受け取ったような感慨を持ちました。
関先生の新聞に連載されている「昭和の電車」シリーズをデジ青に掲載していることを知られた先生から「著作権の侵害だ!」とお叱りを受けるものと覚悟をして手紙の転送を待ちました。
現会長は米手作市なる人物が誰かを知らず、尋ね廻った様子で、手元につくまで二週間を要したことになります。また、文面を拝見したら昨年にも送られたそうなのですが、昨年は私には連絡が無く、一年の延着となってしまいました。重ね重ねの失礼をしていたわけです。
さてお手紙を恐る恐る開けて拝見しますと、なんと関先生は当初よりデジ青の記事をご存じで、乙訓の長老や藤本氏などの投稿を詳しく読んでおられたようなのです。
「昭和の電車をデジ青で取り上げて頂き、”その筋の権威”の方達の解説・・・コラムに書く前に知っておきたかった事が一杯・・・京阪を採り上げる時には怒られへんやろかとビクビクしつつ・・」などと書いて頂いていました。(下記原文参照)
つまり抗議のお手紙では無かったのです。
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阪急2800系
1961年夏→2015年冬 五十年ぶりの井笠鉄道
この年末に思いかけない旅行をすることになりました。
クローバー会の企画で瀬野八と広島電鉄への訪問です。実は、以前から家内が「福山に住む旧友に会いたい」と言っていたことが気になっていたので、この機会に済ませようと思いつきました。広島での予定を終えてから福山に向かい家内と合流して鞆の浦観光をして帰る、という計画です。
そこで気楽に西村さんにどこか見るところがあるのか?と聞いたところ、とてつもない企画書が送られてきました。旅行会社でも思いつかない素晴らしい旅行案が3通り。当時は西村さんはクローバー会の準備で大変な時期であることは知る由もありませんでした。本当に申し訳ない!
推薦案の中で、井原鉄道で総社に出て吉備線で岡山に帰り、新幹線で京都へ戻る計画を即決で採用しました。というのは高校時代に井笠鉄道に乗ったのですが、その時撮った写真の場所がわからず、すっかりあきらめていたのです。でも矢掛に旧井笠鉄道の矢掛駅が残っているとの情報があるので行って見たかったのです。

撮影:昭和36年7月19日 続きを読む



























