国鉄阪和線モタ3000系

タイトルの「国鉄阪和線モタ3000系」は正しいのか?という疑問はさておき、昭和40年5月に鳳電車区へEF52とED16、ED60を撮影に行きました。残念ながら電車に興味がなかったためほとんど電車の写真は撮っていませんでしたが、それでも数枚はありました。

でも形式が分かりませんので、クハ25111がモタ3000系の仲間なのか教えて下さい。その他の怪しい電車に関してもご存じの方、よろしくお願い致します。

阪和モタ3000_NEW 阪和モタ3000(文)_NEW
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国鉄モハ54003~005

今週初めから数十年ぶりのインフルエンザにかかり寝込んでいました。
今は、全てを妻にうつして快癒致しましたのでご安心下さい。

さて、この車両は、電車オンチの私でも知っています。乗ったこともありまして写真も持っていると思いますが、さて探して見つかるか・・・

どなたか、現役時の写真がありましたら見せて下さい。
国鉄モハ54003~005_NEW 国鉄モハ54003~005(文)_NEW

 

新幹線試作車

大学へ入った年(昭和39年)八月のこと、新幹線の試運転に乗せてやる、との連絡があり、喜び勇んで集合しました。確か、京都と米原への往復だったような記憶がありますがどうだったでしょうか?さすがDRFCと感心しましたが、乗ってみると家族連れや子供の団体などで満員でした。挙げ句の果ては、誰かが非常ボタンを押したとかで近江八幡付近で急停車!今から考えてもおもしろい試乗でした。
ちょうど50年前の出来事です。

新幹線試作車_NEW 新幹線試作車(文)_NEW

準特急さん、教えて下さい!

準特急さんは各地にある保存機関車を研究されていますのでお伺いします。
今から十数年前、まだ可部線が三段峡まで通じていた頃、親戚一行で墓参りをかねて観光に行きました。その時、駅前にC11が保存されていました。時間があったので一枚撮っておいた写真がこれです。
その後、可部線は寸断されて廃止されてしまいました。このC11はどうなってしまったでしょうか?もしご存じなればお教え下さい。
温井・三段峡10

小田急1700系

小田急は関西からは遠い存在です。
思い出は、昭和33年の中学時代の修学旅行だけです。
未舗装の国道を富士急観光バスで走っていると、傍らの石垣の上に関西では見つけないスマートな電車が止まっていました。それが小田急の急行でした。貫通扉に手すりのようなものが出ていて、変わったイメージがありました。小田急1700系_NEW 小田急1700系(文)_NEW

パナソニック:乾電池で走る電車公開…11月に走行実験

毎日新聞 2014年10月14日 20時36分

 パナソニックは14日、11月に秋田で走行実験する、乾電池「エボルタ」で動く電車を公開した。単1形を99本搭載。約10人を乗せて約8キロの走破を目指す。

車両は特殊強化段ボール製で、高さ約257センチ、長さは約405センチ。重さは約500キロある。約10人が乗車すれば走行時の総重量は約1トンとなる。

11月2日は秋田県大館市で、2009年に廃止された小坂鉄道の線路を走る。地元の小学生らを乗せ、鉄橋やトンネルも通過する計画だ。

パナソニックは昨年、単3形のエボルタ1本でタカラトミーの鉄道玩具「プラレール」を約5・6キロ走らせ、ギネス世界記録に認定された。(共同)

ハロー!ネルソンくん!

朝日新聞に表題の記事が出ていました。

早速買ってきました。売ってくれたのは著者の女性です。「新聞を見て」というと、うれしそうにほほえんでくれました。

ところで諸兄にお尋ねしますが、記事文中にある「昭和13年まで東海道線の新橋-神戸間で急行列車などを引っ張るなど・・・」とありますが本当でしょうか?

この時期はすでに大型機関車が本線に投入されていた時期で、1080のような旧型タンク機関車が急行列車を牽引していたとは考えられません。あるとすれば勾配区間での補機でしょうが、諸賢の考証をお聞かせ下さい。

「ハロー! ネルソンくん!」の表紙

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 梅小路蒸気機関車館(京都市下京区)に保存されている英国生まれの蒸気機関車(SL)の生涯を描いた絵本が出版された。絵と文を担当したのは、同館職員の河合都(みやこ)さん(32)。「絵本がきっかけで、子どもたちがSLに興味を持ってくれたらうれしい」と話している。

題名は、「ハロー! ネルソンくん!~うめこうじの なかまになった ネルソンくん」。1901(明治34)年に英国で製造された「1070形 1080号機」がモデルで、愛称ネルソンにちなんだ。全長約11メートル、重量48トンで、小柄なのが特徴だ。当時135両が輸入されたが、現存するのは この1両だけとなり、「幻のSL」と呼ばれる。

38(昭和13)年まで東海道線の新橋―神戸間で急行列車を引っ張るなど活躍。その後は新潟や栃木の鉱山で鉱石の運搬用に転身し、79(同54)年に引退した。その後、2009年9月に所有していた鉱業会社から同機関車館に寄贈された。

京阪1700系特急車

突然親族の訃報が入り、この数日パソコンの前に座れませんでした。月曜日の夕刊を見たら京阪特急が目に飛び込み、あ、月曜日や!と気がつきました。これにつきましては一家言ある方ばかりでしょうからおまかせいたしましょう。

その時に、文の最終部分にある、「登場時正面側のみそれぞれ7-9、7-59、7-8、7-58と新しい表示方式で左右上下段違いに手描きされていた」の部分が理解できませんし想像もできません。どうか詳しい方、教えて下さい。京阪1700型_NEW 京阪1700系(文)_NEW

名鉄3900系

名鉄が西と東でちがっていたとは知りませんでした。更には電圧まで違っていたとは近鉄といっしょですね!
阪急でも十三で同じようなことがあったので、この時代はあちらこちらでみられたのでしょう。
それにしても車番が独特の文字ではないようですね。因みに、あの文字はいつ頃からなのでしょうか。

名鉄3900系_NEW 名鉄3900系(文)_NEW

奈良電デイボ1024号

奈良電にも進駐軍専用車両があった、との話が以前出ていたが、こんなデザインとは思いませんでした。京阪にもなかった車両が、奈良電にはあるとはおもしろいではありませんか。
寺田に住んでいた同級生が小学校の頃、国道24号線沿いの田んぼで稲の刈り取りを手伝っていると、走ってきた観光バスが止まり外国人の親子連れがゾロゾロ降りてきて自分たちを撮影し始めたそうで、あっけにとられているとチョコレートやら百円札やらをくれて走り去ったそうです。どうも敗戦国の貧しい百姓一家を撮影して祖国への土産にしたようです。因みにお金はすべてオヤジに取られたそうです。

奈良電デイボ1024_NEW 奈良電デイボ1024(文)_NEW