名鉄3900系

名鉄が西と東でちがっていたとは知りませんでした。更には電圧まで違っていたとは近鉄といっしょですね!
阪急でも十三で同じようなことがあったので、この時代はあちらこちらでみられたのでしょう。
それにしても車番が独特の文字ではないようですね。因みに、あの文字はいつ頃からなのでしょうか。

名鉄3900系_NEW 名鉄3900系(文)_NEW

名鉄3900系」への1件のフィードバック

  1. 名鉄3900型に初めて乗った時の思い出は名鉄電車を初めて訪ねた時でもあった。1957年5月5日(日)で、この前日に母の骨納めため奈良県の父の田舎に親子4人で帰郷していた。3日は憲法発布記念日で都合が良かった。父、姉、兄は納骨後は翌日の日曜礼拝で帰宅したが、弟の老人は田舎でもう一泊、こどもの日は早朝1番バスで榛原へ、以後近鉄大阪線、名古屋線経由で名鉄訪問となった。この頃は私鉄特急電車に傾注していたから名鉄特急が目的であった。先ず岐阜へ、岐阜から豊橋へ、この時乗ったのが3900系4連であった。この時うらやましく思ったのが4連貫通編成で、車内の見通しのよい事であった。京阪特急は5連もあったが広幅貫通路は1700、1800系2連固定編成の片側と1887号だけであった。共通点はシート色がエンジであり、この頃の関西私鉄3社の特急料金不要のクロス車同等だが、転換シートは京阪、南海だけだなと思った。先に話題とした京急の500型はボックス型で濃ブルーで、さしてクッションのよいものではなかった。クッションが良かったのは阪神で、特ロよりよかったのではないかと思っている。
    以前、三原の方に古いことを良く覚えていると言われたが、初デートの日は忘れても、電車のことは今でも覚えている爺やあることは、嫁さんに内緒にしておいてほしい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください