朝日新聞に表題の記事が出ていました。
早速買ってきました。売ってくれたのは著者の女性です。「新聞を見て」というと、うれしそうにほほえんでくれました。
ところで諸兄にお尋ねしますが、記事文中にある「昭和13年まで東海道線の新橋-神戸間で急行列車などを引っ張るなど・・・」とありますが本当でしょうか?
この時期はすでに大型機関車が本線に投入されていた時期で、1080のような旧型タンク機関車が急行列車を牽引していたとは考えられません。あるとすれば勾配区間での補機でしょうが、諸賢の考証をお聞かせ下さい。
梅小路蒸気機関車館(京都市下京区)に保存されている英国生まれの蒸気機関車(SL)の生涯を描いた絵本が出版された。絵と文を担当したのは、同館職員の河合都(みやこ)さん(32)。「絵本がきっかけで、子どもたちがSLに興味を持ってくれたらうれしい」と話している。
題名は、「ハロー! ネルソンくん!~うめこうじの なかまになった ネルソンくん」。1901(明治34)年に英国で製造された「1070形 1080号機」がモデルで、愛称ネルソンにちなんだ。全長約11メートル、重量48トンで、小柄なのが特徴だ。当時135両が輸入されたが、現存するのは この1両だけとなり、「幻のSL」と呼ばれる。
38(昭和13)年まで東海道線の新橋―神戸間で急行列車を引っ張るなど活躍。その後は新潟や栃木の鉱山で鉱石の運搬用に転身し、79(同54)年に引退した。その後、2009年9月に所有していた鉱業会社から同機関車館に寄贈された。
原文を読んでいませんが、恐らく記事にした新聞記者が聞きかじりでいくつかの断片を混同した上、都合のいいように面白おかしく脚色したかと思いますが、時代錯誤が極端で、それも甚だしいなんてものじゃない。これがもし今度鉄道博物館になろうとしている「学芸員」が教示したのなら、唖然ないし慄然とせざるを得ませんが、「職員」であっても「学芸員」でないとすればほんの少しの救い?かもしれません。
まず形式1070はネルソン製(デュブス製もある)には違いないとしても、それは原型の2Bテンダー機の話で、1925~27年に大宮、浜松、高取工場で49輌を2B1タンク機に改造したものです。江若鉄道で最後まで現役だった蒸機が1118(最終番号)だったのをご記憶の諸兄も多いでしょう。
1925年に改造された機関車が、1938年まで東海道本線で急行列車を牽引するわけがありません。それは明治時代の、当然テンダー機時代の話です。どこかで入れ替えに従事していたというのであれば、納得もしますが。なお形式1070は1070~1118で、原型テンダー機は形式6200(ネルソン、50輌)と6270(デュブス、25輌)であり、それにアルコ/クック製形式6300(24輌)、ハノマーク製形式6350の36輌を全部足したら確かに135輌にはなります。
「嘘つき記事」で最近一躍著名になった、我が国を代表する新聞社の記者が、一体どんなレクチュアーを蒸気機関車館で受けたのか知る由もありませんが、従軍慰安婦や原発事故のように国益を損なう話ではないですが、それにしてもひど過ぎる記事ではあります。朝日の記者の資質はここまで落ちているんですなぁ! それでも社として取消なんぞはしないんでしょうな。
私も気になるので乙訓の長老様から引っ越してきた本などや他の本で調べていると、広田尚敬さん著の「カラーブックス 蒸気機関車」に日鉄鉱業羽鶴で撮った写真がありました。1070形はネルソンのタンク機への改造とあったので、急行列車を牽引していたのは改造前のことだとわかりました。さらにネット上で調べていいると1939年(昭和14年)に民間に払い下げられていることがわかりました。これが日鉄鉱業赤谷工業所で、その後に羽鶴に移って、現役引退となったことがわかりました。新聞記事はデジタル版で全文を読みましたが、テンダー機からの改造があったことは書かれていませんでした。絵本内容の紹介のところでは機関車の力が小さいので改造されたと、書いてありました。しかし、改造の経緯が実際とは異なっているような感じがします。絵本の著者の方は資料を読み込んで書かれているようですので、絵本の原文がどのような表現になっているか気になるところです。記事内容で1979年に専用線(日鉄鉱業羽鶴)で現役引退を書いてあるのであれば、テンダー機からの改造を書いておくべきではないかと思います。それと“1938(昭和13)年”と書くべきを“38(昭和13)年”と書いてあるのは湯口先輩が書かれているように作文技術が疑われます。御面倒をおかけしますが、米手作市さま絵本の原文がどのように書かれているか要約で結構ですのでお教えください。
太平洋戦争時代から70年も朝日新聞を愛読している老人は2014年9月14日(日)、京都版の筆頭記事を読んでビックリした。早速われらが敬愛する梅小路公園愛する会筆頭理事に「えらい記事が載っているぞ」と電話した。理事は経済新聞の愛読者で、朝日の大々々記事をご存知なかった。「すぐに公園売店に駆けつけ買ってくる!」と、何処で調達したのか知らないが750円を握り締め愛用の自転車で飛んで行ってくれた。20日、我等がクローバー会写真展片付けで顔を合わすや「老人よ、この絵本ですよ!」と、UMEKOJI SL Museum の銘入りの紙袋を渡してくれたのであった。
ビックリの箇所は「38(昭和13)年まで東海道線の新橋-神戸間急行列車を引っ張るなど活躍」の箇所である。昭和13年は老人がこの世に生を受けた年である。その3年後ぐらいの京都駅構内の事は今でも覚えている。ネルソン君の兄弟の一人を知ったのは小学校4年の頃、自転車の修理がなり浜大津へ魚釣りに行った時である。その絵本を繰ると「ネルソンくんのおいたち」のところで老人の眼が止まった。「1938ねん こくてつの じょうききかんしゃのめいぼから はずされてしまったんだよ。」 なぁーんだ、これを取り間違えて記事にしたのか、それにしても情けない記者やなぁー!といった次第の朝日新聞でした。今日に至るまで訂正記事は目に付かない。