阪急2800系 投稿日時: 2016年1月8日 投稿者: 米手作市 2800が登場したのは大学に入った年でした。 高三の昨年、四条河原町延長工事が完成して、大宮から河原町まで特急が京都の中心部を文字通り貫通したのでした。明るい近代的な河原町駅に2800系の特急と、2300系の急行が止まっている様は梅田駅にもまけない堂々たる駅で満足したのを思い出します。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 関連記事がありません。
2800,今では懐かしいですね。確か4の編成は空気バネでしたっけ? BOXでは「うるさい」「ゆれる」「車内放送が聞こえにくい」等々京阪1900と比較され侃々諤々の議論沸騰!?あの頃は若かった!美しい電車だったと思いますが・・・ その昔、運転士研修の際、憧れの2800を運転できる機会がやってきました。お師匠さんから、「特急運転するか?」とお問いかけ!「はい、やります。」即答。日頃は試験車のP6の普通車を選りすぐって運転させて頂く環境作りに、後輩運転士に頭を下げ急行を交代しまで制動訓練に一生懸命だったお師匠さん。その配慮を理解していない弟子。ノッチのオンオフの繰り返しの中、遂に怖い顔で「勉強になるか?」・・・ 「えー、まぁー、そうですね・・・」しどろもどろ。いやー応えました。はい。 思い出深い電車です。よー走りましたよ。 返信 ↓
この電車はDRFCーOB高齢会員にとっては専門必須科目のような車両ではないでしょうか。オートカーと言われた2000系列の京都線用2300系を2扉クロスシート特急車両として5両編成で登場させた車両であることは皆さんご存知の通りです。パンタグラフを4つあげ猛スピードで走り、またその後8連の颯爽とした姿に思い出を持つ方も多かろうと思います。梅田駅で並んでいた千里線の学生や西院で降りる学生が羨ましく眺めていた光景も目に浮かびます。もっとも普通の運用にも入っていてたまにはそういう中間駅や支線の利用者にも乗る機会があったようですし、特急にもロングシート車が入りがっかりした経験のおありの方もいたようです。東京の鉄ちゃんの友人からはサラリーマン時代に関西へ出張した帰りにはわざわざこの電車や京阪1900系に乗って京都まで行き、国鉄京都から新幹線に乗車したという話もよく聞きます。この気持ちは理解できます。当時の京阪間ノンストップやスピード、乗り心地等に魅力があったようです。 返信 ↓
遅ればせながら参加です。2800系出場は半年前に奥野師匠から知らされていました。富山から大阪に転勤したころの話で、特急運用に入った時に梅田に出向き対面となりました。「負けた!」と思いました。もともと2000系を西宮車庫に奥野師匠の身代わりで田中車両課長氏に取材に伺った時、京阪2000型との比較話になり、あっさり兜を脱ぎました。京阪守口車庫にお伺いした時、なぜ京阪は何時までも1900系にこだわっているのかと持ちかけましたら、今の京阪は特急車に拘っておれない、線路条件からスーパーカーの経済版(2200系)に注力する。と言って計画中の特急車の構想を聞かされました。これについてはまた紹介する機会もあるかと思いますが、破天荒なものでした。つまり京阪は阪急と違い国鉄の快速と競争する必要性がないことから、当面の車両としては淀屋橋延長による乗客増への対策に注力していたのです。 1967年に兎小屋を購入し転居しました。最寄駅は{西向日」です。旦那(元DRFC2代目会長)には「裏切りもの!」と言ってののしられました。「新京阪沿線や、新規まき直しの意味もあって向日町へ行くことにしたのや!」と言い返しました。5月7日、新京阪で初出勤です。7時32分発だったと思いますが2800系6連の長岡天神仕立ての普通列車です。京阪特急に乗らなくてもロマンスカーでご出勤なのです。この列車は何時設定されたのか知りません。事前に知ったのではありません。最初はガラガラでしたが次第に愛用者が増えました。桂では立ん坊も出ました。8連になった時は正雀仕立てとなり長天まで回送でやってきました。ピクの読者短信で取り上げられましたが、その頃すでに大幅なダイヤ改正?計画が進行中で、特急車が各停で走る、しかも回送して列車仕立てやる特別扱いは平成と共に泡となりました。 マルーン会長さん、あなたも2800系のハンドルを握っていたようですね、各停運用での仕業など着かれたことありますか?あればその当時の回想してくれません? 返信 ↓
2800,今では懐かしいですね。確か4の編成は空気バネでしたっけ?
BOXでは「うるさい」「ゆれる」「車内放送が聞こえにくい」等々京阪1900と比較され侃々諤々の議論沸騰!?あの頃は若かった!美しい電車だったと思いますが・・・
その昔、運転士研修の際、憧れの2800を運転できる機会がやってきました。お師匠さんから、「特急運転するか?」とお問いかけ!「はい、やります。」即答。日頃は試験車のP6の普通車を選りすぐって運転させて頂く環境作りに、後輩運転士に頭を下げ急行を交代しまで制動訓練に一生懸命だったお師匠さん。その配慮を理解していない弟子。ノッチのオンオフの繰り返しの中、遂に怖い顔で「勉強になるか?」・・・
「えー、まぁー、そうですね・・・」しどろもどろ。いやー応えました。はい。
思い出深い電車です。よー走りましたよ。
この電車はDRFCーOB高齢会員にとっては専門必須科目のような車両ではないでしょうか。オートカーと言われた2000系列の京都線用2300系を2扉クロスシート特急車両として5両編成で登場させた車両であることは皆さんご存知の通りです。パンタグラフを4つあげ猛スピードで走り、またその後8連の颯爽とした姿に思い出を持つ方も多かろうと思います。梅田駅で並んでいた千里線の学生や西院で降りる学生が羨ましく眺めていた光景も目に浮かびます。もっとも普通の運用にも入っていてたまにはそういう中間駅や支線の利用者にも乗る機会があったようですし、特急にもロングシート車が入りがっかりした経験のおありの方もいたようです。東京の鉄ちゃんの友人からはサラリーマン時代に関西へ出張した帰りにはわざわざこの電車や京阪1900系に乗って京都まで行き、国鉄京都から新幹線に乗車したという話もよく聞きます。この気持ちは理解できます。当時の京阪間ノンストップやスピード、乗り心地等に魅力があったようです。
遅ればせながら参加です。2800系出場は半年前に奥野師匠から知らされていました。富山から大阪に転勤したころの話で、特急運用に入った時に梅田に出向き対面となりました。「負けた!」と思いました。もともと2000系を西宮車庫に奥野師匠の身代わりで田中車両課長氏に取材に伺った時、京阪2000型との比較話になり、あっさり兜を脱ぎました。京阪守口車庫にお伺いした時、なぜ京阪は何時までも1900系にこだわっているのかと持ちかけましたら、今の京阪は特急車に拘っておれない、線路条件からスーパーカーの経済版(2200系)に注力する。と言って計画中の特急車の構想を聞かされました。これについてはまた紹介する機会もあるかと思いますが、破天荒なものでした。つまり京阪は阪急と違い国鉄の快速と競争する必要性がないことから、当面の車両としては淀屋橋延長による乗客増への対策に注力していたのです。
1967年に兎小屋を購入し転居しました。最寄駅は{西向日」です。旦那(元DRFC2代目会長)には「裏切りもの!」と言ってののしられました。「新京阪沿線や、新規まき直しの意味もあって向日町へ行くことにしたのや!」と言い返しました。5月7日、新京阪で初出勤です。7時32分発だったと思いますが2800系6連の長岡天神仕立ての普通列車です。京阪特急に乗らなくてもロマンスカーでご出勤なのです。この列車は何時設定されたのか知りません。事前に知ったのではありません。最初はガラガラでしたが次第に愛用者が増えました。桂では立ん坊も出ました。8連になった時は正雀仕立てとなり長天まで回送でやってきました。ピクの読者短信で取り上げられましたが、その頃すでに大幅なダイヤ改正?計画が進行中で、特急車が各停で走る、しかも回送して列車仕立てやる特別扱いは平成と共に泡となりました。
マルーン会長さん、あなたも2800系のハンドルを握っていたようですね、各停運用での仕業など着かれたことありますか?あればその当時の回想してくれません?