京王電軌500号

今週は「青の交響曲」や私用で関先生の「昭和の電車」を読むのが今日になりました。
それが幸いしたのです。
今夜(17日)のNHKブラタモリで高尾山をやりましたが、後半に廃線跡を歩く場面がありました。この廃線跡こそ京王電軌の御陵線跡で、番組でも古い写真や地図を使って詳しく説明しておりました。なかでも個人住宅内に現存する高架の橋脚に登ったり、廃線跡にある京王電軌の旧社章入りの境界杭などは、この500が走ったと思いながら見ると感慨もひとしおでした。

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京王電軌500号」への4件のフィードバック

  1. 米手作市様
    NHKブラタモリはたまたま宿泊した神戸のホテルで見ていました。京王電軌御陵線の存在したことと昭和42年に開通した京王高尾線が廃止した御陵線の線路敷きの一部を利用して開業したことは知っておりましたが、廃線跡に興味がなく、先日の放送で初めて当時の建造物が残っていることを知った次第です。場所さえ確定できれば直ぐに行けると思いますのでブラブラ行って見て来たいと思います。貴賓車ですが京阪16と阪急1500(新京阪フキ500)は共に晩年の姿を見たり、乗ったり、撮影しておりますが、京王電軌の500は全く見たことがありません。ところが文献を見ると昇圧後にも2700系の付随車(スモールTと呼んだらしい)として使われたサハ2503がどうもそれに該当するらしく廃車される寸前の1968年の姿を撮影しております。大東急時代には貴賓車から一般電動車デハ2500となっていましたが1945年5月(私の誕生月)に空襲に遭い1949年に日車で車体を新製したものを1960年に付随車化してサハ2503としたもので関先生描かれるような貴賓車の面影は全くありません。これが元貴賓車の成れの果てかと思われる姿です。

  2. 準特急様、
    サハ2503は台枠を利用して新造車体を載せたもの、ということはオハ61のようなもので、本来の種車とは全く違うものと言うことですね。
    でも写真は見せて下さい。

  3. 詳しいことはよくわかりませんが終戦後しばらくしての14m新造車両のようなもので米手作市様のご希望ならそのうちに何かにひっかけてデジ青上に登場させます。

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