北方見聞録 北の大地、シベリア鉄道をちょっと見の旅 Part17 サハリンからロシア本土のウラジオストクへ

今日はサハリンから帰路の旅となります。Part15でも述べましたように当初はユジノサハリンスクからの直行便で成田に帰るはずだったのですが、行程が決まって申し込んだ後で突然にオーロラ航空が6月18日からの休航を発表しました。発表前にもロシアに折角行くのだからウラジオストクにも寄りたいねと冗談ですが言っていましたので、これが現実となったのです。
NETさんのようにトランジットで帰国する事も選択肢だったのですが、次はいつ行けるか、もう行く機会はないかもしれないロシアです。一回ぐらいは行って見てみたい気持ちが大きくなりました。即決で2日間の追加滞在に賛成しました。
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part16 ユジノサハリンスク遊覧、サハリン鉄道最後の撮り鉄

▲ ユジノサハリンスク駅のヤードで静かに休む樺太最後の蒸気機関車、D51-4号機(日本車両製)です。
戦後の1949年(昭和24年)にソビエト連邦からの要望でD51形蒸気機関車30両が他の客車等と合わせて輸出されました。日本仕様と違っているのは防寒のための密閉構造と、形式と車両番号間にハイホンが入った表示をしてあることです。仲間たちが廃車されていく中、最後に残ったのはD51-4号機で観光列車に使用されていました。

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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part15 大泊(コルサコフ)を散策する

▲ 図書館で借りた樺太の写真集を見ていましたら、大泊に向かって海沿いを走る蒸気機関車の写真がありました。バラストも満足にない軌道を走っていますので600㎜ゲージ軍用鉄道時代の写真とは思います。光景は、乗って来た車窓とほぼ同じです。

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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part14 豊原から大泊(コルサコフ)への乗り鉄旅

▲ 今日の午前中の乗り鉄は、豊原(ユジノサハリンスク)から稚内への稚泊航路のある大泊(コルサコフ)までです。
日本時代は7往復もあった路線ですが今は1.5往復しか運行していません。今日は土曜日で土日しか運行しない朝の列車に乗って豊原から大泊へ向かいました。

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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part13 

▲ 豊原から樺太西線の真岡まで、山脈を横断した豊真線(76.2㌔)ですが、1994年になって途中の宝台ループ線のトンネル内崩落があり、復旧費用が多額に及ぶ事から1995年以降は運休(廃線)になってしまいました。ただ、豊原から16.2㌔先の奥鈴谷、ロシア語ではノヴォデレヴェンスカヤ(Ново-Деревенская)まではД2 系気動車による運行が行われています。
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part12 ユジノサハリンスク鉄道歴史博物館を見る

第6日目 7月14日 その3
奇跡的にユジノサハリンスク鉄道歴史博物館のチリーキン・アンドレイ・ニコライ館長さんにお会い出来ました。この博物館の開館は月曜日~土曜日 8:30~17:30、休館は日曜日とはなっていますが、常時開いているわけではありません。連絡を受ければ開館するといったスタイルですので入場は運がよくなければ難しいのです。この難関だった問題が解決できたのは感激です。皆さん歓喜で入場しました。

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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part11 ユジノサハリンスクの子供鉄道に乗る撮る、サハリン州立郷土史博物館視察

第6日目 7月14日 その2▲ 9:55ユジノサハリンスク駅北側の踏切での撮影を終えてからはもう列車の運行も夕刻までないので市内にある子供鉄道を見に行こうとなりました。

【 子供鉄道 】
旧共産圏諸国の多くの主要都市では、子供の社会教育を目的とした「子供鉄道」が運営されていました。将来の職業選択の際役立つように子供たちの社会学習の一環として行われており、現在も続いているものが多いそうです。以前にハンガリーのブタペストに行った時に訪問しましたが、全長は11.6㌔もあって本格的なものでびっくりしました。ここでも山裾のガガーリン公園の池の周りをループする2.5㌔の子供鉄道があります。
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part10 再び夜行寝台列車に乗って樺太東線を南下、ユジノサハリンスクへ戻る

第5日目 7月13日 その2

ノグリキ駅に戻って、公安に見つからないように撮影ポイントを探します。駅の南側の木々が切れた辺りはホームからは見つからず、良いだろうと決まりました。一旦駅に引き上げて直前まで現場に行かず、カメラはバックに入れた状態で待機しました。▲ 16:45 定刻にノグリキを発車したТГ16-081号機牽引の11両編成の№604列車、こちらは13時間51分をかけてユジノサハリンスクに向かいます。表定速度は44.22km/hとゆっくりです。
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part9 夜行寝台列車に乗って樺太東線を北上、ノグリキに着く

ユジノサハリンスク(豊原)を定刻の22:42に出発した№1列車は、戦前の北緯50度の日ソ国境線を越えて。612.2㌔先のノグリキに向けてゆっくりと北上していきます。発車後はしばらく皆さんと一緒の部屋にいましたが睡魔もやってきて部屋に戻って爆睡です。
ノグリキから最北端のオハまでは実線で引いていますが、この路線は、1953年に全通したオハ─ノグリキ狭軌鉄道線(総延長233㌔、軌間750mm)ですが、主力の貨物がトラック輸送にシフトしたために2007年に廃止されています。
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part8 夜行寝台列車に乗って樺太東線を北上する

第4日目 7月12日 その4

17:00 真岡南駅で下車してからは再びバスターミナルに戻って同じく516系統のバスに乗って豊原(ユジノサハリンク)へと戻ります。
▲ 戦前は東西を結ぶ貨物輸送で貢献した豊真線の宝台ループ線(宝台~池ノ端)、「Чёртов мост」(悪魔の橋)と呼ばれ名所になっています。1994年にトンネル内の落盤があって以降は運行されていません。ループを抜けて橋梁の上から見た車窓はどうだったのでしょうか、乗って見たかった路線の1つです。
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北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part7 樺太西線に乗る、撮る。北真岡駅、野田駅、

▲ 樺太西線の主力は1985年(昭和60年)に富士重工業で製造されたД2系の気動車です。厳寒の冬季対応のために満鉄ジテと同様、ディーゼルエンジンを運転席後部の床上に置いた液体式車両です。運転当初は両端に動力車、中間2両付随車の4両編成で10組が投入されましたが、現在運用されているのは中間車を除いた2両編成、または中間車1両を間引いた3両編成です。
車体長21,300㎜、高さ3,825㎜、車体幅2,950㎜、出力1,177kw、最高速度100km/h、ステンレス車体です。

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