北方見聞録 最果ての地、樺太(サハリン)鉄路への旅 Part8 夜行寝台列車に乗って樺太東線を北上する

第4日目 7月12日 その4

17:00 真岡南駅で下車してからは再びバスターミナルに戻って同じく516系統のバスに乗って豊原(ユジノサハリンク)へと戻ります。
▲ 戦前は東西を結ぶ貨物輸送で貢献した豊真線の宝台ループ線(宝台~池ノ端)、「Чёртов мост」(悪魔の橋)と呼ばれ名所になっています。1994年にトンネル内の落盤があって以降は運行されていません。ループを抜けて橋梁の上から見た車窓はどうだったのでしょうか、乗って見たかった路線の1つです。

 

▲ 16:53 真岡BTからの復路は始発から満員でのスタートです。

▲ 19:33 ユジノサハリンスクに到着後は直ぐにレストラン探しに向かいました。昨夜は失敗しましたので今夜は美味しいロシア料理にありつきたいと皆さんの一致した願望です。探すはホテルに近い黒猫「チョールナヤ・コーシェカ」というお店ですが、地球の歩き方にも「団地の中庭にあり、場所が分り難いので注意。」と記載されてある通り、見つからないお店でした。最後は団地から出てこられた若夫婦にお聞きして案内してもらいました。団地一階の角にあって看板も見えず普通に探すのは無理なお店です。
冷たいビールを頼んで後はロシア料理です。念願のボルシチは真っ先に注文しました。

▲ ロシア料理と言えばやはり「ボルシチ」です。ロシアが開発した中国のハルピンに行った時に何回も食しましたがこれを食してこそロシアに来たと思えます。以降は毎日これを注文しましたが店によっては肉が入っていなかったりで味にも違いがありました。

▲ ピロシキですが、日本で食べるのは油で揚げていますが本場はオーブンで焼きます。お好み焼きのようにどこでも売っていましたので、あちこちでランチに食べましたが中身は野菜であったり、ひき肉であったりです。

◀ ロシア風の水餃子ペリメニ」です。中身はいろいろとバリエーションがあるようですが、帽子型に包むのが特徴です。

 

▲ 料理を運んでくださるおばちゃまですが、中々おちゃめで、楽しませてくださいました。

ホテルに預けた荷物を受け取って、ユジノサハリンスク(豊原)駅へと向かいました。

▲ 日が暮れてきたユジノサハリンスク駅舎です。正面の時計は左がは現地時間、右はモスクワ時間です。8時間の時差があります。

▲ 21:34 近郊列車のホームは地下道からの2番ホームでしたが、長距離は駅舎を入っての1番線ホームです。空港と同じくX線検査機に荷物を通過させて待合コンコースに入りました。

▲ 子供が描いた注意書きが掲示されていました。レール内に入ってはいけない、跨線橋がある所は直接レールを横断しない等ですが、なぜか真ん中に列車が衝突して客車が燃えている図があります。どういう意味なのかでしょうか?。

▲ 今日の一番は売店で勤務しておられた可愛いい愛嬌のあるお嬢さんです。後にはインスタントラーメンが並んでいますが、韓国製が多いようです。

▲ 22:06 改札が始まりましたのでホームに入って撮影ですが、昨日注意を受けていますので目立たないように遠慮しました。

▲ 我々の乗車するのは5号車です。行先表示板はディーゼルカーと同じく内側から窓ガラスに取り付けられていました。これも厳冬対策でしょうね。

ユジノサハリンスク10:42(№1)⇒10:25ノグリキ

▲ 予め旅行代理店より送られてきたE-チケットです。中国と同じく車両ドアの前に立っています、おばちゃま列車乗務員に見せて乗車しました。

▲ 寝台車はコンパートメント式です。入ると2段寝台があって4人部屋です。我々メンバーは5人で私は現地人と合い部屋です。ベットメイキングは上段だけはしてありましたが下段は乗客がするようです。相棒が来る間に済ませました。相棒は誰かと期待と不安でしたが親子連れとおばちゃまでした。疲れていました、話をすることもなく爆睡体制に入ってしまいました。 Part 9へ続く

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