▲最西端・網干は2001年当時と変化なし
3日目:8月28日(土)、最終日である。ひょっとしてとの思いから2日目より早く家を出た。西向日6:13発普通を高槻で9300系快急に乗換え、淡路から大市交堺筋線を動物園前で降りた。先を急ぐなら天下茶屋で高野線に乗り継ぐのが本流だが寄り道するために、御堂筋線で天王寺へ出た。WCに立ち寄り近鉄阿倍野橋・河内長野行準急7:14発に間に合った。3+4の7両編成である。近鉄は名鉄と一緒で多両数固定編成を作らない。ここ南大阪線も2~4両編成の組み合わせで5~8連を組成している。列車によっては凸凹、色違い編成が現れる。そのうちに富田林到着。汐ノ宮は近い。なぜ汐ノ宮かと言うと友人がいる。3年前に電話があり「沖さん、隣に田中鎈市さんがいらっしゃるよ。京都在勤時代、電車の好きな変人が居た、と言ったら”それ、沖中はんやろ”と一発で当てはった」。電話を代わってもらいしばらく話したが、二人の接点が分らず尋ねた。汐ノ宮カメラクラブでご一緒であった。2人の年賀状の住所は番地が近接している。15年ばかり前、高野線・美加の台の住宅改修工事に行った時、河内長野から汐ノ宮を経て帰宅したが、どんなところか忘れてしまい、車窓で確かめたかったのだ。
河内長野の近鉄側の構内は南海側と比べると狭い。高野鉄道は19世紀末の開通、20世紀初頭開通の河南鉄道より早い。蒸気動車が乗り入れていた姿を想像してみた。接続の南海高野線は林間田園都市行急行、6000系8連がやって来た。南海は高野線の自社沿線開発を進め、改良工事に多額の資本投下した結果、資金繰りに困り倒産噂話で賑わったこともあった。さしずめ関西京成電鉄版である。京阪中之島線は自社建設線でないから気楽だろうが、東京メトロ副都心線と異なり、乗り手のないシーソーの片方みたいなもので、今後の大阪市の都市計画の進捗次第が命運を握っている。
林間田園都市下車は初めて、谷底の駅につきエスカレーター利用で改札口を出る。小さなロータリーにバス、タクシー乗り場があるが共に待機車はない。はるか南東方向にみどりに囲まれた住宅街が見える。近鉄が桔梗が丘団地を売り出した時、上本町から70㎞もあり狸の巣になるぞと従兄は冷やかしていた。林間田園都市は難波から39㎞、これならと思ったがバブル崩壊で苦労していると報じられた。10分ぶらつき、次の6000系8連急行で橋本に向かった。
南側の斜面を削り造成された小原田車庫には「天空」編成が留置されている。この車庫新設で急行の大運転(山線直通運転)は数えるほどになった。8連急行は8:39橋本に到着。
▲大運転用2000系が待機する
留置線の2303+2353がホームに据えられので、その車内で林間田園都市で購入したサンドとヨーグルトを腹に収め、WCへ。これが失敗となった。用を達している間に2304+2354が山から下りてきて増結した。そこへ次の8連急行が到着した。空っぽだった2300系4連はあっと言う間に埋まってしまった。止む無く先頭2354号、転換クロスシート扉横の背もたれに立つことになった。座る筈であったシートには、中年のオッサンが背摺りを後ろ向きにして向かいのオバハンと声高に喋ってけつかる。くそったれ!大油断であった。
走り出して暫くして、扉に持たれていた妙齢の御婦人、「トイレに行きたい」と同行者に言っている。グループで高野山参詣のようで、「困ったわ」と言い合っている。高野下を前にして「次の駅なら確実にトイレがある。40分後の電車で追いかけ、極楽橋で落ち合ったら如何?」と声をかけてみるが、「ええ」と言ったまま。上古沢だったかな、到着前にWCが目に入った。「早く行ってらっしゃい!」と肩を押したら「極楽橋で待っててね」と言い残し降りて行った。
9:47、極楽橋到着。想定第1番目の南端で、3時間34分要した。汐の宮見物なければ確実に3時間以内で到着となったであろう。ケーブルをチラッと見て「こうやさん」。紙(髪)を落とすのではなく清水が洗い流してくれるWCへ。折返し、2番目の南端へ行くために留置中4連の先頭車に急いだ。今度は失敗しないぞ、2303号のかぶりつきだ。小走りで先頭車に行けば車内はガランとしており間に合った。2300系は全転換クロス車で、扉間は1人・2人掛け、扉妻間2人掛2列のロマンスカー、老人が眼の色変える理由がここにある。
▲米手作市氏はケーブルカーで下山する
▲極楽橋では特急は手前、急行なら向こうの電車に乗車する
▲高野線(山線)は本年開通80年を迎えた
高野線(山線)は本年開通80年を迎えたその昔1251系3連の上り急行の電制音はすごかった。それに比べると2300系の電制は静かなものだ。そして電制と空制切り替え時のショックがない。「次の高野下で”天空”と交換します」とアナウンスがある。何、これを知っていたら何処かで途中下車していたのに。席確保のため動かず”天空”の入構を待った。橋本着11:02着、8連急行と乗り換えとなり、11:11発で天下茶屋をめざす事にした。
天下茶屋では早く家を出たせいか腹が「グゥ」となり催促している。WCを出たらカレーショップが目に入った。そこで腹に収めて、3番線4号車乗り場に立ち和歌山港行き「サザン21号」を待つ。やって来た8連、後4連は満員、前4連はガラガラ。こんな事だと思い自由席車と指定席車の分かれ目に立っていた次第。すでに戒を犯しているから”迷わず指定席車”である。ガラガラの車内に6人目の乗客となった。追加料金¥500。そして和歌山市から港への気まぐれ客は唯1人だった。和歌山港13:13到着。想定第2番目の最南端には+206分、なんと西向日から7時間要したことになる。これが10年前だと「迷わず水軒」となるのだが、2002年5月26日廃線となった。昼間にも1往復あったから、行くに苦労はなかったが、高野線に行く楽しみはそがれた事になる。
▲和歌山港に間もなく到着
▲本日2本目にして最終列車到着の水軒
▲距離表の数値は難波が起点
和歌山港から難波へ直行しようと思い、折返しサザンの先頭車のカブリツキに行くと「鉄」らしき親子が先に頑張っている。そこで和歌山市で下車、WCとして14:00当駅始発特急で北に向かうことにした。難波、淀屋橋、出町柳と繋いで最北端、鞍馬到着17:02となった。和歌山港-鞍馬間は市駅で一服しなければ3時間15分位の所要時分で収まるだろう。鞍馬では孫との約束、天狗の面を撮るために折り返しを1本ずらしWCとした。
▲天狗の面がお出迎え、お見送り
鞍馬17:18発、出町柳、祇園四条、河原町、と繋ぎ東向日18:33着。改札口には総本家青信号特派員氏が待ち受けていた。もちろん生中で、関西の電車・巡察の旅を乾杯で終結するためであった。本日の行程12時間20分、運賃6,240円、3日間の運賃合計16,900円(座席指定券代は省く)の旅であった。今回の道中、WCが目立つが、歳を取ると1時間前後で催す前兆があり、失敗のないように早い目に処理していたからである。