私が夜間撮影を始めるきっかけになった鉄道雑誌の記事がありました。それが「鉄道ファン」1967年5月掲載の「夜も楽しく」の鉄道写真随想です。それまでにも鉄道の夜間撮影の手法はありましたが、撮影法が公開された指南書は、これが初めてでした。“よるたの”の言葉も生まれ、「夜は夜なりに、昼間は気にも留めなかったものが見えてきて、何か背中がゾクゾクするような興奮が呼び起こされます。冷たい水銀灯の光、黒天に消える白い蒸気、露で光る枕木、そして鈍く光る機関車」などの表現に、いたく感激し、さっそく京都市内へ出掛けて、祇園や東寺前で、市電をバルブ撮影したことがありました。ちょうど高校3年生の時でした。その著者が、なんとデジ青にコメントもいただくMさんで、改めてデジ青を取り巻く繋がりを感じました。
▲蒸機ばかりではと思い、つぎは、電機の夜間撮影も載せてみた。やはり、デッキつき旧型電機のほうが、夜間の光線に陰影ができて、近代的な電機よりも、ふさわしい。上越線で貨物を牽くEF1630、発車前のひと時を運転士のシルエットも入れて撮ってみた。新津機関区(昭和46年9月)。
▲EF16は、EF15に回生ブレーキを付けて改造したもので、福米用の1~12、上越用の20~31があった。パンタも上げて、昼間なら満点に近い形式写真になるところ。
▲上越線で貨物牽引の過酷な条件下で働いてきただけに、外板は塗装が剥がれて、ベコベコ状態だった。EF16は、昭和57年に全車廃車となっている。
▲新津機関区には、蒸機も電機も同居するだけに、D51とEF81が並ぶ、こんなシーンも見られた。
▲新津、と言えばC571の配置区として当時は名高かった。幸い庫内に休んでいて、定番の“斜め後部、やや見上げ”ポイントから撮影する。▲新津もラウンドハウスへは、尻出しの入庫だった。ここから見ると、D51の重油タンクがよく分かる。
▲こちらは浜田機関区、煉瓦造りの庫は、アーチの開口部が、夜間撮影のアクセントになった。山陰本線には煉瓦造りの庫が多く、思いつくだけでも、和田山、米子、出雲市、浜田とあった。
▲石見益田にて、発車を待つD51794、タテ位置で構えると、蒸気が高く上がる様子が撮れる。
▲石見益田では、833レの発車も写して、“夜汽車”のイメージを。1/5S撮影で。この当たりのシャッター速度が、客車の窓もちゃんと写し止める限度で、これ以上長いと、流れてしまう。
「夜も楽しく」はこう結ばれていた。「ホーム以外の鉄道用地に入る時は、必ず許可を取ること、服装は第一級のものを着用すること」とある。「私たちには趣味の対象であっても、汽車を動かすことは立派な仕事で、その仕事中の職場を訪問するのですから」と結ばれている。Mさんの気配りや撮影マナーに納得することしきりだった。私も、以来、夜間撮影は必ず事務所で許可をもらってから撮影するようにしている。
昭和の時代、もっと夜間撮影をしていたのですが、年も改まろうとしていますので、この当たりで、投稿も区切りをつけたいと思います。私自身、B撮影に適した三脚も手放してしまい、いまは撮影しようにも出来ない状態ですが、この投稿をしていて、久しぶりにB撮影をしてみたくなり、軽めのカーボン三脚に食指を伸ばしているところです。
あけましておめでとうございます。私も「鉄道ファン」1967年5月を持っています。「夜も楽しく」という記事は何回も読みました。ところで私も夜間や夜が明ける前に時々撮ったことがありますが、フィルム写真ですと出来上がるまでドキドキでした。その時の写真が添付の写真です。目的はボンネットの急行能登ですが明け方に富山駅に着くので朝焼けと一緒に撮ろうした時に試し撮りに少し前に到着する寝台特急北陸も撮りました。実際は撮った写真が見ることができないので試し撮りにはならないのですが、シャッターを押す感覚のための試し撮りです。はっきりは写っていないのですが夜汽車の感じが出ているので好きです。外を眺めている車内の人がいたのですがアッという間に通りすぎてシャッターチャンスを逃したのが残念です。ところで、今日の夜なか0時00分(1月2日0時00分)からBS1で「沁みる夜汽車」3シリーズ一挙再放送があります。最初見た時は「沁みる夜汽車」というから夜行列車の話かと思いきや・・・題名のとおりに「沁みる夜汽車」でした。
「夜も楽しく」、読まれましたか。実際、その頃の趣味誌は、夢を与えてくれました。夜間の流し撮りは、背景が流れたのがよく分かりませんから、お書きのように車内の照明・人物がポイントになりますね。私も窓をアップに、ひと列車で何回も流し撮りをしたことがありました。「沁みる夜汽車」、私もチラリと見ました。私も沁みましたょ。また1月10日にBSでスーペシャルバージョンがあるようです。