昭和の電車 改訂版(36)ー近鉄モ1型ー

準特急さんから『後出しジャンケンやないケ!』と言われる前に出しときます。
中学生の頃に「好軌会」の“お兄さん”達につれられてカメラハイキングをしたときの一枚です。当時は(今も)電車には興味が無かったのですが「木造・ダブルルーフ」に惹かれて撮った一枚でした。前回掲載時には気付かなかったのですが今回は〈なにか見たような気が・・・〉して探しました。
こんなことって皆様にもあるのでは?

昭和の電車 改訂版(36)ー近鉄モ1型ー」への7件のフィードバック

  1. 米手作市様
    こんな大私鉄のルーツのようなお宝を撮っているなんてあきれてものがいえません。

  2. 近鉄の電車祭りの時に五位堂車庫で復元保存されているデボ1を撮りました。ところで終戦後にブレーキが利かず生駒トンネルから爆走して転がり下って追突事故を起こったという話を親から聞いたことがあります。その時の電車はこの電車なのでしょうか。

  3. どですかでんさん
    物の本に寄りますと、事故は昭和23年3月31日に起こりました。
    生駒トンネルを出た上本町行きの急行(モ9+モ11+モ27いずれも木造)が花園駅から上本町へ向けて出発しようとしていた各停(モ104+モ307いずれも鋼製)に追突した事故。死者49名、負傷者282名
    とあります。
    ぶつかったのはこのデボ1型3連でした。

    • やはりデボ1型だったのですね。花園駅は今の河内花園駅ですので、生駒トンネルを出てからの急勾配をブレーキなしで下っていくのですから恐ろしいかったでしょう。急行だったのでブレーキが利かない状態で走っているとは思っていない人もいたかもしれません。ギシギシと車体が唸っているのを想像するだけで・・・

      • wikiにはその時の恐ろしい様子が描写されています。
        一年の掉尾を飾るのにふさわしい話題をありがとうございました。
        来年も楽しくやりましょう!
        ご覧の皆様、投稿や書き込みをお願いします。

  4. 生駒トンネルの事故は戦後の混乱期とはいえ、今では考えられないようなことが平気で行われていた結果でしょうね。小生も物の本で読みましたが、Wikiには恐ろしいことが書いてありますねえ。
    ところで、表題の「近鉄モ1形」ですが、この電車を知るきっかけは五条坂の大御所の写真集でした。「たまご型電車」に魅力を感じ、もっと詳しく知りたくなって古い「鉄道ピクトリアル」などを買い漁りました。大軌のデボ1形とは分かりましたが、そもそも「大軌」さえ知らない始末でした。参宮急行と関西急行の名前くらいは知っておりましたが、大阪鉄道・吉野鉄道が出てくるとさっぱり分からず、天理軽便鉄道に至ってはお手上げでした。
    車両についてもデボ1形の増備がデボ19形で、中途半端な数字から始まることに驚き、デボ51形やデボ61形が出てくると頭の中は混乱するばかりでした。しかし、ややこしい故に面白さもあり、古い電車にのめり込むきっかけとなりました。今でも分かったとは言えませんが、多くの会社を吸収合併した結果、ゲージの違いや多くの形式が存在し、ひとつずつ調べる楽しみを知りました。
    半円形の前面に5枚窓、しかもダブルルーフでトラス棒までついている! そのスタイルが気に入ってしまい、深みにハマったようです。小生は外見から入るクチです。
    これまで見向きもしなかった車輌や鉄道会社に興味を覚え、ボチボチと調べております。知らないことばかりですが、知ることは喜びに繋がり、やっとわかった時の爽快感は格別です。諸先輩方の貴重な写真や、体験談を拝見することを楽しみにしております。
    今年もよろしくお願いします。

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