先日の米手作市先輩の投稿で、関三平先生の153系の記事がありました。
ステイホームのGWですので、虫干しを兼ねて、所蔵の愛称板を取り出してみると東海道本線を行き来した153系の愛称板が出てきました。
表です。
裏です。やたら、六甲ばかりです。
昭和36年10月の時刻表の付録のポケット版を見ると
六甲 101M 東京8:30発 停車駅 品川・横浜・大船・小田原・熱海・沼津・清水・静岡・浜松・豊橋・蒲郡・刈谷・名古屋・尾張一宮・岐阜・大垣・彦根・大津・京都・大阪16:00着
やましろ 103M 東京9:30発 停車駅 品川・横浜・大船・熱海・沼津・富士・静岡・島田・浜松・豊橋・蒲郡・刈谷・名古屋・尾張一宮・岐阜・米原・大津・京都・大阪17:00着
いこま 105M 東京10:00発 停車駅 品川・横浜・大船・小田原・熱海・沼津・清水・静岡・浜松・豊橋・岡崎・刈谷・名古屋・尾張一宮・岐阜・大垣・彦根・大津・京都・大阪17:25着
なにわ 107M 東京10:50発 停車駅 品川・横浜・大船・小田原・熱海・沼津・富士・清水・静岡・焼津・浜松・豊橋・蒲郡・刈谷・名古屋・尾張一宮・岐阜・米原・大津・京都・大阪18:20着
第1せっつ 109M 東京12:20発 停車駅 品川・横浜・大船・小田原・熱海・沼津・清水・静岡・浜松・豊橋・蒲郡・名古屋・尾張一宮・岐阜・大垣・彦根・大津・京都・大阪19:50着
よど 111M 東京14:00発 停車駅 品川・横浜・小田原・熱海・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋・蒲郡・岡崎・名古屋・尾張一宮・岐阜・大垣・米原・大津・京都・大阪21:30着
第2せっつ 113M 東京20:10発 停車駅 品川・横浜・大船・小田原・熱海・沼津・富士・清水・静岡・浜松・豊橋・名古屋・米原・大津・京都・大阪6:25着
第2なにわ 115M 東京21:20発 停車駅 品川・横浜・大船・小田原・熱海・沼津・静岡・浜松・名古屋・岐阜・米原・大津・京都・大阪7:50着
第2よど 117M 東京22:30発 停車駅 品川・横浜・小田原・熱海・沼津・静岡・浜松・豊橋・名古屋・尾張一宮・岐阜・大垣・彦根・大津・京都・大阪9:30着
が電車急行として定期で走っており、このほか大阪方面行きの夜行急行
雲仙・西海33レ長崎・佐世保行、高千穂35レ西鹿児島行、安芸23レ広島行、銀河11レ神戸行、瀬戸25レ宇野行、明星13レ大阪行、筑紫・ぶんご37レ博多・大分行、彗星15レ大阪行、月光17レ大阪行、金星19レ大阪行、大和203レ湊町行がありました。
電車急行は、すべてサハシ連結でしたから、寿司が食べられたんでしょうね。時間はかかりましたが、今から思うとなんと贅沢なことか・・・
宮島は、やましろに代わり、昭和37年6月10日に登場し、2101Mとして広島行として運転されました。東京9:30発 停車駅 品川・横浜・熱海・沼津・富士・静岡・島田・浜松・豊橋・岡崎・刈谷・名古屋・尾張一宮・岐阜・米原・大津・京都・大阪・三宮・神戸・明石・加古川・姫路・相生・和気・岡山・倉敷・玉島・笠岡・福山・尾道・糸崎・三原・広島22:10着
愛称板から当時の時刻表を紐解いてみると、米原に停車しないものがあるということが新発見でした。また、第2よどは、ムーンライトながら+新快速とあまり変わらない所要時間でなかなか興味深いものです。
これらの愛称板のほとんどは、自分の生まれる前に使われていたもので、昭和53年頃昔の大阪駅で鉄道記念日に開かれていた「ポッポまつり」で購入しました。
愛称板といえば、昔の室町BOXに阪急2800系の椅子や阪急の特急前頭板とともに「はと」や「オリンピア」の愛称板が保管されていました。私のガラクタと比べ、とても貴重な品々ですから、今も現役生が代々受け継いで、大切に保管していてくれたらいいのですが、BOX閉鎖時に預かってくれた方から戻ってきたのでしょうか?
おーっ!コレクションが出てきましたね。懐かしい名前ばかりです。ただ一つ「やましろ」は記憶がありません。新幹線開業前の時刻表見ると東京発9:30は2101M「第一宮島」となっていました。走った期間が短かったのでしょうか?また、東海道、山陽本線の電車急行についていたサハシはビュッフェのようなもので、椅子がなく、一部のれんのかかったところで寿司を握ってくれたような記憶があります。1969年10月号時刻表には食堂車のメニューが出ていましたが、1970年以降の時刻表には食堂車のメニューの記載が無くなっていました。すしコーナーがいつごろまであったのか分かりませんが、たぶん高校生のころに乗った「宮島」の記憶ではなかったかと思います。
大津の86先輩
コメントありがとうございます。「やましろ」は、昭和36年10月1日に走り始めて、昭和37年6月10日に「宮島」となっていますので、10か月ほどの短命な急行のようです。一方、「なにわ」「いこま」は、昭和43年10月改正まで生き残ったようです。
「やましろ」は短命だったのですね。昭和37年と言えばまだ小学生でしたのでそれは覚えていないはずです。それにしても米手作市様がこの間に撮られていたのには驚きました。何でも出てきますね。
またお前か!出過ぎやぞ!とのお叱りが聞こえてくるようなので下がっていようと思うものの、見せびらかしたがりの性質がおとなしくさせてくれません。おゆるしくださいませ。
急行やましろ
米手作市先輩
低運転台、大目玉を輝かせて疾走する「やましろ」迫力ありますね。雨模様だったのでしょうか?貴重な写真ありがとうございます。
急行せっつに連結されたスハシ1538です。(以前見せびらかしました)
訂正
スハシ→サハシでした。寿司ばかり考えていたので間違えました!
十五円
こはだ、あなご、いか、たこ
二十円
ひらめ、まぐろ
二十五円
赤貝、しゃこ
四十円
のり巻
五十円
きうり巻
巻き物が随分高いですね。