韓国の蒸機と言えば両数が多かったミカ3が思い出される。保存機もあることから私は韓国のD51と思っているが、アメリカンスタイルである。
1971.4.22 慶州駅のミカ3 120で跨線橋がなく小学生が構内踏切を渡って乗車した後に出発していった。▼
ミカ3は朝鮮戦争で分断された北にも残っていたはずで何両かは見ている。
次に本題である「こんなもん」は71.4.24東大邱で撮った蒸機である。韓国系の趣味の友人がプリントしてわかったのであるが、ミカ3とは二つのコブの形状が異なり何よりもボックス動輪である。軸配置はミカ3と同じ1D1のミカド形であるがミカ何形かよくわからない。▼
次に3月13日に乙訓の老人の甥さんが説明されたタノシロタカシさんの水原の鉄道博物館のヒョーキ11₋13 912朝鮮鉄道900形は71.4.26に同型機を撮影している。762ミリ狭軌なのでテンダーに乗っている人が大きく見える。汽車会社蒸気機関車製造史によると同社は昭和12年に7両、昭和19年に2両を製造納入したとあり、昭和12年製の写真は丸い二つコブであり私の撮ったのは角形コブなので19年製の戦時設計スタイルではないかと思う。乙訓の老人の甥さんの説明によりますと日立製で同じ19年に3両納入されたとありこのうちの1両かもしれない。何れにしてもタノシロタカシさんがお撮りになった水原鉄道博物館に保存されているものと同じ戦時スタイルである。▼
次に同じ水原の水仁線のタンク機関車です。ヒョーキ8-28も経歴などはわからない。▼
この日は帰国する日で忙しかったが、ナローの到着する客車列車なども撮っている。興味のある人にはいつの日か発表したい。投稿が遅くなり申し訳ない。
準特急さん
オジンには「またいつの日か」はないのだ!
いますぐ発表していただきたい。
冒頭に「ミカ3……私は韓国のD51と思っている」と記されておられますが、韓国には標準軌の本物のD51が行っています。三原製です。
乙訓の老人の甥さん
そうですね。D51は台湾が有名ですが、ソ連の樺太(サハリン)にもD51は行ってました。韓国のD51についてはよく知りませんでした。1435ミリのD51があったこと自身知りませんでした。韓国はあの頃はどこに行ってもミカ3でしたので両数が多いという意味で韓国のD51と表現したのですが、これは訂正させていただきます。あやふやな表現はやめた方がいいですね。
準特急さま、失礼いたしました。勿論、ミカ3がポピュラーな蒸機という意味での「D51」の表現と承知しております。
さて、三原製(当時の会社名は中日本重工業)の韓国向け標準軌D51は2両のみの製造で、1950年に出荷されています。写真からも分かるようにD51-101、102とされていましたが、現地での形式は、ミカド型の7番目ということでミカ7(미카7)と命名されていたようです。日本国内では万能なD51でしたが、標準軌の鉄道では非力な機関車とされ、ソウル近郊で入れ替え用に使われただけで、1960年代には廃車になっているようです。
乙訓の老人の甥様
新しい知識がこの歳でこの体に入って来て嬉しく思います。私が見たソウル近郊の入れ替え蒸機はほとんどがミカ3でした。タンク機もあったかもしれません。客車は米軍が持ち込んだと言われている25mくらいありそうなダブルルーフ車も見られました。荷物車は日本のそれと似た車両もいました。ソウル南山には廃車された路面電車が展示されていました。日本製と思われます。北はチェコ製のタトラでした。何れにしましても調査力不足でそのままの状態です。
日立製の朝鮮鉄道900形は1944年に3両が造られています。
番号は 912、913、914 です。この3両が戦後、韓国国鉄혀기11形として 혀기11-12、혀기11-13、혀기11-14 になりました。準特急さんの撮影された写真には 14 の番号がありますので、日立製ですね。
有難うございます。コブが戦時設計でなく丸い標準設計と思われるのも撮っています。多分、韓国の鉄道にに興味を持っている人はお一人を除いてそうおられないと思いますので次回ゆっくりと発表します。
혀기11-14の第二次世界大戦直後の姿だそうです。撮影者不詳。
こんなんもあったで!