ぶんしゅう氏の台湾レポートに、烏来の軌道があり、拙老も35年前に乗車したのを思い出した。1977年3月で、生まれて初めて外国なるものに足を踏み入れた最初が台湾だった。マレーシアのクアラルンプールで開催される見本市のアテンドで、これも生まれて初めてパスポートを取得。1USドルはニクソンショックのおかげで、長らく続いた360円から308円だったが、今から思えば隔世の感がある。
何しろフライトチケットも今のような安売りがなく、すべて定価。旅費を50万円貰って目をむいたが、そのうち35万円ぐらいが飛行機往復チケット代(勿論ツーリスト)に消えたと記憶する。あとの15万円で丸々1か月暮らして来いという訳だ。勿論ホテル代込みである。
機内の酒サービスは今のビジネス以上で、コニャックやスコッチのボトルを目の前で開け、いくらでもお代わりしてくれる。機内は保税扱いだから、着陸体制に入ると、パーサーやスチュワーデス(客室アテンダントなる言葉はなかった)が、バケツに中身を捨てていた。
目的地がマレーシアなのに、なぜ台湾経由かというと、日本が中国との国交を中華民国(台湾)から中華人民共和国に切り替えたため、もしかすると台湾には永久に?入国出来なくなるんじゃないか、と当時の上司が本気で心配し、今のうちに例え2日でも寄って来いと勧められたからである。
上司の紹介で、台湾の貿易商(本省人)の世話になった。C57が健在だった台湾鉄路を撮りたかったのに、先方はあちこち、観光地を案内してくれ、そのひとつが烏来だった。この時は横に2人が座れる「単端式」座席車を3両つなぎ、後ろから単気筒の動力車が押し上げる。動力はホンダのバイクの廃品利用だそうだ。
終点では客車(といえるかどうか)を1両づつ小さな転車台で向きを変え、下り勾配だから先頭の2両を切り離し、ブレーキマンが乗って速度を調節しながら、惰力で起点に戻る。その昔、上りは人力で押し上げていたそうな。後ろの動力車は1両だけで下っていた。
同じような転車台が三井金属鉱山(神岡鉄道)にもあった
2両編成で下ってきた列車 その後ろは動力車
これも惰力で下ってくる1両編成 真中の顔は後ろでブレーキを操作する兄ちゃん
35年前の烏來台車軌道とは、こうなっていたのですね。1両で、下ってくるのは、まさに、人車軌道そのものです。のんびりと、走っていたのでしょうね。今は、観光客が非常に多くて、こんなわけには、出来ないでしょうが、風情があって、乗りたく思えます。
私の乗った時は、上り下りとも、時速25km/hの高速走行でした。再度、撮影したVTRを見てみたのですが、所要時間は、きっちり4分間でした。10分と、書きましたが、訂正されていただきます。
『烏來瀑布』をバックに、台車が撮影できるポイントがあるとは、分りませんでした。これもVTRで、確認したのですが、夕方に乗っているので、多分ここだろうとしか、分りません。しかし、足場がないようですので、台車に乗りながら、丁度、対向車が来てくれるチャンスは、日頃の行いが良くなければ、ダメです。私には、一生かかっても無理です。
転車台は、今は、両駅に方向転換の廻り路線があるので、不要なので、もう、ないだろうと思います。松山に行った時に見た、坊ちゃん列車のSLの方向転換を、思い出しました。
人車軌道ですが、書籍も出しておられます『くろがねのみち』先生の、走行していた時の貴重な動画がありますので、ご覧ください。結構なスピードで走っています。
http://www.kurogane-rail.jp/movie/movie_wudu1.html
人車軌道全般についても、詳細を見る事ができます。
http://www.kurogane-rail.jp/jinsha/js-idx.html
また、集計線の車埕駅から、出ていた長距離の人車軌道について、おもしろい記事があります。路線図、絵葉書のほかに、時刻表が載っています。なんと、4時間もの所要時間です。内容は、ご覧ください。
http://www.tt-museum.jp/tairiku_0040_pc1926.html