西村さんのご指示により、両運の南海キハ55と有田キハ58001~2をご覧にいれます。
和歌山駅の南海キハ5504+キハ5554です。手前が両運のキハ5554です。ナンバー標記の55と54の間隔が空いています。
下津野-御霊 キハ58001+キハ58002→
この頃は、3両フル編成の運用もありました。そんな需要があったのでしょうか。
←キハ58002+キハ58001+キハ58003 田殿口-藤並
キハ58とはいうものの有田鉄道ではエンジン1基に改造したので、実質キハ28相当でした。
西村さんのご指示により、両運の南海キハ55と有田キハ58001~2をご覧にいれます。
和歌山駅の南海キハ5504+キハ5554です。手前が両運のキハ5554です。ナンバー標記の55と54の間隔が空いています。
下津野-御霊 キハ58001+キハ58002→
この頃は、3両フル編成の運用もありました。そんな需要があったのでしょうか。
←キハ58002+キハ58001+キハ58003 田殿口-藤並
キハ58とはいうものの有田鉄道ではエンジン1基に改造したので、実質キハ28相当でした。
見たところは80kmぐらいで疾走しているように見えますが、実際は路盤が悪くて30kmがせいぜいというところでは?
御意に御座ります。
窓から手を伸ばせばミカンがとれそうでした。
貴重な写真を拝見させて頂き感謝申し上げます。変わり種58を撮っておきたかったですね。当時は辺鄙な処まで出かけなくても58はそこいらにわんさと居りましたからねえ。
一旦は諦めた58の両運車ですが、その後キハ56改造の53が出現したので、なんとか両運スタイルはこれで我慢して撮りました。
なお小生はこの58のおそらく先代に当たるのでしょうかキハ07(総括制御可能の200番台車)を昭和49年頃に撮りに行きましたが、その際に終点の金屋口駅構内でボロボロになった58を見かけた微かな記憶があります。
当時07は2両編成で藤並から国鉄湯浅まで乗り入れており、国鉄線上では60~70kmで快走していましたが、有田線内では井原さんが仰るようにせいぜい30~40kmのヨタヨタ走りでした。
キハ53 500番代ですか。なかでもキハ53 502は、車体側面裾が絞られているのに裾が直線の運転台を強引にくっつけていたそうです。
井原 実様
南海も有田もすべて手中に収められているとは恐れ入りました。ご紹介ありがとうございました。有田はともかく 南海や小田急、三岐、名鉄など多くの電車の中に数両の気動車を抱えているのは 運転士の確保、保守設備など随分非効率だったことでしょう。当時は費用対効果よりお客様の利便性を優先する風土があったのなら良き時代だったのでしょう。キハ53502の件は全く知りませんでした。ありがとうございました。
小田急、三岐、名鉄といえば、小田急には行っていませんが、有田はもとより三岐、名鉄、他に紀州鉄道や近江鉄道に、OB会の任意団体である「尻毛会」のツアーで行ったことがあります。「尻毛」とは大阪通信員さんの奥様の出身地です。