JR石山駅の周辺には大きな工場がいくつかあり2方向に専用引込線がありました。現在はいずれも廃止されておりその痕跡もだんだんなくなってきています。米手作市様の“こんなモンもありまっせ!中学修学旅行編その1”の最初の写真は東レ滋賀事業所の引込線を撮られたものでした。このあたりは在職時代によく歩いたところでしたので現在はどんな具合になっているのか久しぶりに訪れました。ついでにもう1か所の日本電気硝子引込線にも行ってみました。
訪れたのはこの地図の左側が東レ専用線、右側が日本電気硝子専用線でJRの線路から下方向と上方向に伸びているのがわかります。図中の番号は写真を撮った位置を表しています。
↑ ①米手作市様の撮られたのと同じようなアングルで撮ったのがこの写真です。背景の工場の建物は全く変わっており、この写真の中央の煙突は後年作られたもののようですが、左の2本の煙突は当時の物のような気がします。
↑ ②JR線から分岐するところで、この部分JRの架線柱が大きく左側にずれており、バラストのある部分が引込線の線路で、盛越川に流れ込む水路を越える短い橋の橋台が残っています。
↑ ③カーブして工場の方に向かっています。(工場側から撮影しています)5年ほど前まではレールが残っていたようですが、今は痕跡なく、駐車場になっています。
↑ ④国道1号線を横切って工場構内に入ります。工場の柵がこの部分だけ開くようになっていますので、これが痕跡となります。
↑ 柵越しに構内の写真を撮りました。手前の砂利の部分が線路跡で、このまままっすぐに左側の建物まで伸びていて、機廻し線と左方向への分岐線もあったようです。
↑ 国道を横切るこのあたりに踏切用の信号機がついていました。国道側に遮断機はないので信号が赤になって列車が通過するときには、旗を持った係員が立って車を遮断していました。
この引き込み線が廃止になったのがいつか正確にはわかりませんが、2006年3月18日のダイヤ改正で石山駅での貨物取り扱いがなくなったのでこれと同時になくなったのではないでしょうか。
続いて日本電気硝子専用線です。こちらは東レとは反対側に湖の側に伸びていました。
↑ ⑤石山駅の一番湖岸よりの貨物線から京都方向に分岐していたのが日本電気硝子専用線でした。レールと枕木はありませんがバラストはそのまま残っています。
↑ ⑦反対側を見るとレールとポイントがまだ残っていました。右側が工場に入る方でまっすぐ行ったところに木造の小屋があり、普段はこの小屋の中に機関車が留置されて鍵がかけられていました。
↑ ⑥今は自転車置き場になっているところを横切り、駅裏広場の端を通ってルネサスセミコンダクターマニュファクチュアリング滋賀工場の構内に入って行きます。
↑ 門を入ると工場の柵沿いにカーブを描いて線路が続いていました。
↑ ⑧構内をまっすぐに進み日本電気硝子の構内に入って行きます。
↑ 日本電気硝子の構内です。後のトラックの右手まで線路が伸びていてその横に重油タンクがありました。
この引込線は日本電気硝子に重油を運ぶための物で、運ばれた重油は主にガラス溶融窯の燃焼用に使われました。もともとルネサスセミコンダクターの前身の新日本電気と日本電気硝子は同じ会社で、戦後に分社化されたものです。そのため日本電気硝子への貨車が新日本電気の構内を通過することに問題はなかったようです。
実は私はこの会社に37年間勤めていて、毎日事務所から現場に行くときはこの重油タンクの横を通り、小さなDLが数両のタンク車を引っ張って入ってくるのをよく見かけたものでした。窯の燃焼が重油から電気に変わる中で重油の使用量も減ってきてついにはなくなってしまいました。廃止されたのは私の在職中でしたが、いつの間にかなくなったという感じで、写真は1枚も撮っておらず、残念ながら現在と比較対照できませんでした。在職中も細々とでも鉄道趣味を続けていればと後悔する次第です。
大津の86様、
現地レポートありがとうございました。
結構残っているもんですね!
それにしても大津の86さんが元NECだとは知りませんでした。工場内部へカメラが入っていくのでハラハラして見ていましたが、読み進んでいくうちに分かりました。
米手作市様
早速コメントいただきありがとうございました。久しぶりに会社の周りを歩きました。いくら元社員と言っても不法侵入はまずいでしょうから、今回の写真はすべて柵の外から撮影しました。引込線はたくさんあったのですがどんどんなくなってこれらも貴重な遺構だったのですね。米手作市様の写真がなければ多分訪れることがなかったと思います。良い機会を提供いただいたと感謝しております。
尚、私の元社は硝子の方でして通称NEG、一流会社のNECとは一字違いで大違い、経歴詐称になりそうなので訂正させていただきます。