湖畔の住人Y先輩から半世紀前のお宝映像が次々と披露され、次は何が登場するだろうと デジ青を開くのが楽しみな今日この頃です。先日紹介された尾道駅停車中に車窓から撮られたのであろう尾道鉄道を拝見し、早速プリントアウトした写真1枚を手にして 尾道駅へ行ってきました。
現在尾道駅本屋は建替え工事中で プレハブの仮駅舎です。まず尾道駅の全景をご覧下さい。
尾道駅の海側 下り線には待避線はなく1線だけです。山側の上り線には待避線が1線あって島式ホームになっています。そして保線用車両の留置線2線をはさんで尾道鉄道の乗り場跡の一部が今も残っています。尾道鉄道の廃止は1964年(昭和39年)8月1日ですから、すでに53年が経過したことになります。残念ながら私は尾鉄の現役時代の写真は持ち合わせておりませんので、地元で発行された本から写真や図を引用させて頂きました。その本は 平成23年3月31日 尾道学研究会発行「タイムスリップ・レール・・・オノテツ」です。
上の写真は昭和36年に長船友則氏が撮影されたもの、下は昭和38年に細川延夫氏が撮影されたものです。この2枚からわかるように、現在残っているのはプラットフォーム東端の地下道への階段部分の上屋です。電車が止まっていたプラットフォームはすでに撤去されていて 現在は2階建ての建物が建っているあたりになります。また屋根の軒下のギザギザの飾り板も今はありません。
さてY先輩の写真で停車中の電車はデキ21です。この電車のルーツは尾道鉄道が開業した大正14年に梅鉢鉄工所で作られたデキ1というオープンデッキ、ダブルルーフの木造単車です。尾道鉄道の石畦(いしぐろ)駅から終点 市駅の間は40‰の長い勾配区間があり、私鉄では珍しいスイッチバックの諸原駅もありました。昭和21年8月13日 定員をはるかに超える超満員状態のデキ1は石畦駅を発車し、長い勾配区間を登り切ってもうすぐサミットの畑駅に着くという地点にあったトンネル内でポールが架線から外れ無電状態になりました。とっさのことでブレーキ操作も間に合わず 超満員で身動きがとれないまま、電車は急勾配を後戻りしはじめました。超満員の150人の乗客を乗せたまま次第に加速し 約1Km急勾配を駆け下り カーブ地点で脱線転覆、死者45名、負傷者56名を出すという大惨事となりました。
終戦直後で車両不足が深刻な時期でしたので、大破したから即廃車とはならず、宮島口近くにあった水野造船所で鋼体ボディを新製し、使える電気品を流用して昭和25年にデキ21(単車)として復活しました。昭和32年に自社工場で車体を延長し、水間鉄道から譲り受けたブリル台車を履かせて ボギー車としてのデキ21となりました。
水野造船所は広電型という埋め込み式ヘッドライトのデザインが特徴で岡山電軌や山陽電軌の鋼体化改造を手がけていました。なおこの大事故をきっかけに尾鉄の電車はポールからパンタ、もしくはビューゲルに変更されました。Y先輩のデキ21はボギーですから、昭和32年以降昭和39年までの間の撮影ということになります。一方写真をよく見ると側面の表示板が 石畦←→尾道 となっています。急勾配区間の石畦・市間が昭和32年1月に廃止され、晩年は尾道・石畦間9.1Kmでの営業となっていましたので このことも符合します。
さて写真の背景に古めかしい建物が写っています。どですかでん氏がストリートビューでチェックされたように、この建物も健在です。
電車が止まっていたプラットフォームは無くなっていて 残念ながら同じアングルで写すことはできませんでしたが、この特徴ある4階建ての洋館は耳鼻咽喉科医院で現在も開業されていて、よく手入れされた見事な近代建築物です。その左隣のお宅もよく姿を留めていました。
最後に駅の表に回って尾道駅前の様子をご覧頂いて最後とします。
なお尾道駅上りホームの待避線は普段ほとんど使われませんが、「瑞風」の3コースのうち、山陽上りコースの運転時には8:14から12:01まで乗客が尾道観光をしている間 この待避線に留置されますので ゆっくり見学ができます。ちなみに次の運転日(尾道停車日)は8月29日(火)、9月12日(火)、9月26日(火)です。尾道に入線する前には深夜、早朝の呉線三原・広間を往復しますので、私はこれを追いかけようかと考えているところです。
1枚の写真によって今日1日楽しく遊ばせて頂き、Y先輩に感謝です。ありがとうございました。
尾道駅、懐かしいです。西村さんと行ったのが最初で、2回目は広島旅行の帰りに尾道よりバスでしまなみ海道を通って今治へ、そして東予からフェリーで帰った時です。一度行ったところを再び行くと何やら帰ったような感じがします。また、駅裏にある洋館と3階建ての和風建物の写真を見せていただきありがとうございます。ところでデキ21の妻面は曲面なのでしょうか。図面ではフラットのような感じがするのですが。それと昭和38年に細川延夫さんが撮影された写真にある右側の車両は電車ですか。窓の配列が変わっているので気になります。最後にお願いがあるのですが補機のデジタル化をしていると1970年4月発行のNo.29号に西村さんが「上武鉄道を訪ねて」と題した記事が書かれていて、その中に「D1001」というB形内燃機関車のカットがありました。カットがあるということは写真があるのではと思っています。ややこしいお願いをするのですがよかったら見せていただきたいと思っています。
どですかでん様
尾道駅前は外国人観光客やしまなみ海道のサイクリストたちでたいそう賑わっていました。また尾道街歩きにいらしてください。デキ21の妻面はゆるい曲面だと思われます。図面がアバウトなのではないでしょうか。そう言われて改めて見てみるとデキ21のビューゲルはY先輩の写真でわかるように尾道寄りなのですが、図面は反対側になっています。細川氏の撮影年が昭和38年で正しいとすると該当する車両が無いのですが、多分開業当初から客車だったキ51,52のどちらかだと思います。窓配置ですが 板ガラスの入手難から戸袋窓などを木の板で代用したものでしょう。上武のD1001については先ほど別記事としてアップしました。いつもコメントありがとうございました。
西村雅幸さま
尾道のbefore~afterがよくわかりました。
私の拙い一枚からお楽しみいただき、ありがとうございました。
湖畔のヒマ人様
引続きのお宝写真の登場を楽しみにしております。