犬見鉱山での加悦C160

限りなく薄れゆく記憶だが、高校1年の時、3人で京都-舞鶴-敦賀-米原-京都と一周したことがある。1953年1月7日=天気が極めて悪く、おまけに当時写真で売っている得体のしれない35mmフイルム(太秦の映画会社カメラマンが半端に残った「残尺」を写真屋に売って飲み代にする)だったので、散々だが、1人はセミ版カメラで、彼がこの写真を撮っていたのを想い出した。紛れもなく加悦鉄道C160である。ここは高井薫平『小型蒸気機関車全記録』にも掲載がない。今回の総本家青信号特派員氏の投稿で、俄かに64年前の記憶が蘇った次第である。一昨日の夕食のオカズ(というより晩酌のアテ)は思い出せないが。

犬見鉱山での加悦C160」への4件のフィードバック

  1. 湯口様
    超貴重な写真の掲載、ありがとうございます。なんと、犬見の蒸機を撮っておられた方がいたとは驚きです。犬見鉱山については、まとまった記事を見たのは、鉄道友の会福井支部報「わだち」と、「トワイライトゾーンマニュアル」8号ぐらいしか知りません。載っている写真は廃線跡ばかりで、当時の写真は載っていませんでした。おそらく誰も撮ってはいないと思っていましたが、まさか、こんな近くから提供されるとは驚きでした。持つべきは、クローバー会会員の輪ですねぇ。高校生の時に一緒に行かれた方が撮られたとのこと、これは偶然撮られたのでしょうか、それとも、和田へ行けば加悦の蒸機があるとの情報があったのでしょうか。それにしても、私が投稿したのが深夜12時ごろ、早朝6時にはもうアップされているというのは、この間にどのような行動があったのか、それも知りたい気持ちです。

  2. 貴兄のアップと6時間後のリアクションに疑問をお持ちのようですが、話は簡単であります。即ち貴兄は真夜中かそれ過ぎにお休みになるが、この老人は18時になるのを待ちかねて(時には17時から)1日の割り当て分の「水薬」を服用し、20時には「おねむ」になります。夜中に一度か、時には2度(頻尿症の最盛期には10回以上!の時があり地獄でしたが)厠に立ちます。で、自然と朝4時には目が覚めてしまうのであります。それからパソコンを立ち上げて作業に取り掛かれば優等生ですが、ダラダラとFace Bookなんぞを見て折角の時間をつぶしてしまいます。偶々今朝はお目当ての写真がすぐ見つかっただけであります。序に記せば、Face Bookはいまや爺様婆様ばかりが遊んでいて、若者は近寄らんそうでありますな。

  3. 湯口さま
    またまたの速攻コメント、ありがとうございます。よ~く分かりました。水薬服用後、“おねむ”されるのは20時頃とのこと、私とは4時間の時差があるのですね。この時差をうまく利用された投稿と理解しました。いまは22時ですから、とうに“おねむ”でしょうか、それとも一回目の厠タイムでしょうか。この生活スタイル、私の近くの“た~ちゃん先輩”とまるで同じであることも初めて分かりました。いつも19時ごろに電話すると、“もう寝るんや!”と怒られたものです。

  4. 55年前だったと記憶しているが、国鉄線から加悦鉄道に乗り換えようと思ってホームの端を歩いていたら、前方の小型車がその昔、和歌山で遭遇した片ボギー車であることに気がついた。小走りで先頭車、つまりかぶりつき、運転手を横に陣取り(一人だ)「昔同じ構造の気動車に乗ったことがあるよ」と機関氏に言ったらビックリして、「私が知るかぎり初めてのお客さんだ」と、仰った。
    恐らく須磨の大人は先人である筈で、鉱山の話から思い出した。老人は加悦駅の一つ手前、三河内内駅に隣接していた電電公社の施設増築の打ち合わせに行ったときのことで、帰路は今も保存されているボギー車となっており、その後走っているのに遭遇したことはない。何処の中古品であったのか知らない。残念ながら保存されていない。

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