歌登町営軌道

小頓別に到着した昭和39年泰和車両製の自走客車

幌延町営軌道を後に問寒別駅8時27分発324D(キハ22×2)に乗車した。稚内発旭川行で、宗谷本線全線を6時間40分かけて走破する列車である。約1時間で音威子府に到着、天北線経由稚内行725Dに乗換え、小頓別に10時26分に到着した。この時間帯は町営軌道の接続はなく、駅前から枝幸行の宗谷バスが接続した。女性車掌が乗務する中1扉のツーマン車で、乗客は思いのほか多く座席は7割方埋まっていた。「上毛登別」「下毛登別」「12線」と停車し、約30分で「歌登」に到着、降りたのは私の他3名であった。この先に大きな町はないので、殆どの乗客は終点の枝幸まで行くのであろう。

バス停から200m程歩くと線路があり、13時20分発小頓別行になる自走客車が停まっていた。寒冷地のためか立派な車庫があり、使用していない車両はその中に格納されており、外に出ていたのは、ロータリー車と廃車になった元十勝鉄道の客車だけであった。発車時間まで見学・撮影し、車内に入ると運転台横には運賃箱があり、歌登と小頓別からの運賃表が掲示されていた。途中駅間の運賃表示のないのが気になったが、そんな乗客は非常に少ないのであろう。歌登発車時は4人であったが、途中の停留所からボツボツ乗客があり、小頓別到着時は12名になっていた。小頓別から「急行天北」に乗車したが座席の8割位が塞がっていた。行きに乗った枝幸行の宗谷バスといい、まだ公共交通機関がアテにされていた時代であった。   

【沿 革】

宗谷本線は大正元年11月に音威子府まで延伸開業し、その後、小頓別、中頓別、浜頓別、浅芽野、鬼志別と小刻みに延伸開業を繰り返し、大正11年11月に稚内に達した。当初は咲来からオホーツク海沿岸の中心的な町であった枝幸を経由する予定であったが、音威子府から浜頓別に向かうルートに変更されたため、小頓別と枝幸を結ぶ簡易軌道が北海道廰により建設され、昭和4年12月小頓別~幌別六線(後の歌登)間、昭和5年9月枝幸まで全通し、枝幸線と呼ばれた。当初動力は馬力であったが、昭和8年にガソリン機関車が導入された。当初は運行組合に運営を委託していたが、昭和7年5月より北海道廰直営となった。翌8年11月幌別六線~志美宇丹間の幌別線が馬力により開業した。昭和19年11月興浜北線(浜頓別~北見枝幸)が不要不急路線として撤去されると、枝幸への唯一の足として乗客、貨物共に増加したため、難所の小頓別~毛登別間をトンネルでショートカットする工事が実施され昭和22年4月に完成した。しかし、戦後間もなく昭和20年12月に興浜北線の運転が再開されると、枝幸まで行く乗客はそちらに流れてしまい、昭和23年幌別六線~枝幸間が休止となり、昭和26年に正式に廃止になると共に、残りの区間の運営を歌登村に移管した。「幌別六線」はこの時に「歌登」に改称されたものと思われる。

話が前後するが、昭和14年9月枝幸村から分村して歌登村が誕生し、昭和37年1月歌登町発足により、村営から町営となった。

歌登~志美宇丹間は昭和37年から動力化工事が開始され、昭和40年6月15日に完成し、開業したが、国鉄美幸線の工事に伴い建設用地に充てるため昭和43年12月31日以降休止となり、翌年5月に廃止となった。美幸線自体は、美深~仁宇布間21.2キロを昭和39年10月5日に開業したが、大赤字のため昭和60年9月17日限りで廃止なった。未成区間の仁宇布~北見枝幸間57.6キロ間は、路盤工事が100%完成し、一部では軌道の敷設も行われており、完成目前で中止となった。

残る小頓別~歌登間も乗客の減少により昭和45年10月31日限りで運行を休止し、翌年の46年5月26日に廃線式が行われた。

【車 両】

昭和44年10月1日現在の在籍車両は次の通りである。

ディーゼル機関車2両/昭和40年泰和車両製8t(機関/日野DA59)

自走客車3両、内訳/昭和38年、39年、40年各1両、いずれも泰和車両製(機関/日野DS60)

ロータリー車1両/昭和40年泰和車両製(機関/日野DA59)

ラッセル車1両/昭和40年泰和車両製(機関/日野DA59)

6t積鉄製有蓋貨車1両/昭和40年泰和車両製

6t木製無蓋貨車3両/昭和40年泰和車両製

材運台車46両

上記の他、歌登に元十勝鉄道コホハ44(大正13年藤田鉄工所製、昭和32年泰和車両で鋼体化改造/昭和35年購入)と小頓別に昭和33年運輸工業製の超小型自走客車の廃車体があった。

 

昭和39年泰和車両製の自走客車

 

運転台と車内

 

昭和40年泰和車両製のロータリー車

 

元十勝鉄道の客車の廃車体

 

昭和33年運輸工業製の超小型自走客車の廃車体/運転台が片側にしかない単端式の2軸車で、エンジンはダットサンを積んでいた。定員は15名となっているが、そんなに乗れば呼吸困難になると思われ、実際には8名も乗れば満員である。窓が開かないので夏は使用できないのと小さ過ぎて使い物にならないため、早々と小頓別で物置になった。「歌登のマイクロレールバス」として模型化されており、割に有名な車両であった。

【運 行】

昭和44年10月1日現在、旅客列車4往復、貨物列車1往復が運行され、時刻表は別添の通りである。貨物列車のダイヤは、歌登発8時30分→小頓別着9時20分、小頓別発11時→歌登着11時50分であった。

歌登~小頓別間に中央、秋川(仙)、秋川(定)、熊の沢、柴山、大島、毛登別、吉田の8カ所の停留所があり、中央、熊の沢、毛登別は交換可能であった。また、歌登~志美宇丹間には辺毛内、興生、北志美宇丹の3カ所の停留所があった。

簡易軌道廃止後は小頓別~枝幸間の宗谷バスで代替されたが、小頓別~歌登間は廃止され、歌登~枝幸間に短縮されてしまった。その代わりに札幌~枝幸間1往復と旭川~枝幸間2往復の高速バスが音威子府~小頓別~歌登~枝幸間の各停留所に停車し、ローカル輸送を担当している。枝幸7時発の札幌行は音威子府で鬼志別発旭川行と相互に乗換え可能である。枝幸町では住民の利便性の向上と観光客の誘致のため、バス会社に対し、高速バスの増発を要請しているが、採算との兼合いで実現には厳しい状況である。

 

小頓別駅の接続列車の欄には「省線接続時間」と書かれており、よほど年配の職員が作成したのであろう。国鉄の駅と歌登の町を結ぶ重要鉄道路線として認識されていたため、JTBの時刻表に掲載されていた。(れっきとした地方鉄道でも「尺別鉄道」は掲載されていなかった)

【その他】

歌登町は平成18年3月20日に枝幸町と対等合併して(新)枝幸町となった。昭和14年に枝幸村から分村して歌登村が誕生しているので、元の鞘に収まったということになる。歌登町はなくなっても「歌登」の地名はなくなっておらず、今でも冬になるとニュースや気象情報の「全国の最低気温」で時折「歌登」が登場する。(最低気温-37.9度を記録している)そんな時、自走客車の乗った時のこと、小頓別に超小型車の廃車体、元十勝鉄道の客車の廃車体等を撮影した時のことを懐かしく思い出している。町営の宿泊施設「うたのぼり健康回復村」に昭和40年釧路製作所製のディーゼル機関車が保存されており、リタイヤ後是非見に行きたいと思っている。

特派員さんの「茶内の今昔」の中の浜中町営軌道の写真、西村雅幸さんの「茶内の今昔のお返しに」を拝見して、思わず現役時代に訪れた「浜中町営軌道」のことを思い出し、つい書いてしまった。直ぐに西村雅幸さんから「茶内の思い出に添えて」のタイトルで貴重なカラー写真と共に書き込みがあったので、調子に乗ってしまい1度しか訪れていない標茶、幌延(問寒別)、歌登の各町営軌道についても思い出と共に書き込みした。歌登は片道のみ乗車したが、他の3カ所は撮影だけに終わってしまったのが残念である。理由は、時刻表に記載がなく、乗車計画が立てられなかったためで、今から思うと、事前に役場に問い合わせるべきだったと思う。但し、問い合わせたところで、問寒別線のように乗れば当日中には戻れないところもあった。

今回取り上げた各町営軌道は、昭和45年度で国からの補助金が打切られたため、46年度中には全部廃止されてしまい、最末期の記録の一端として見ていただければ幸いである。本来ならば湯口大先輩の「簡易軌道見聞録」を読み、参考にした上で書こうと思ったが、手元にないため、やむを得ず当時の写真と資料等を基にして書いた。「簡易軌道見聞録」は実家の物置に眠っている筈であるが、探しても見当たらなかった。

リタイヤ後は保存車両を訪ねると共に、簡易軌道廃止後の代替バスの運行状況等についても調査したいと思っている。

歌登町営軌道」への2件のフィードバック

  1. 簡易軌道の紹介、両君ありがとう。現役時代。須磨の大人から話を聞き、青信号、「急電」でも紹介されていたことを思い出しました。老人は「蝦夷」の地へ足を踏み入れたことなく、大人の「簡易軌道見聞録」が刊行されるや求めました。その時彼が提唱していた「生活感が見える写真を撮れや」と言われた意味が、駅や車庫撮りに専念していた老人に分かりました。「見聞録」は絶版となりました。老人保存本は「玉手箱」を離れ、同じ乙訓の「本家特派員の棚」に眠っている筈です。一度「本家さん」に声をかけて見てください。

  2. 初めまして、よろしくお願いします。
    ウィキペディアに途中駅のキロ数が書いてなかったので以下のサイトとグーグルマップを利用して測定してみました。

    鉄道歴史地図
    https://rail-history.org/k/244.html

    判別できない停留所の距離は上記のサイトとグーグルマップを利用して近くの道路から距離を測定しました。

    枝幸線:小頓別0.0 – 吉田(2.4) – 毛登別4.5 – 大島(5.2) – 柴山(8.6) – 熊の沢(9.6) – 秋山(本)(11.7) – 秋山(分)(12.0) – 中央12.9 – 歌登16.2
    これで合っているでしょうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください