京都市電版 “ここはどこ これはなに?” ③

京都市電の写真展、休廊日を置いて、本日から後半戦となりました。地元の新聞にも掲載されたため、今日も開場を待ちきれずに続々とご来場される方が多く、聞けば10時開場と間違えて来てしまい、近所で時間を潰されたとか。また会場を「河原町今出川」と間違われて、どこを探しても見つからず、交番へ行って聞いて来たと言う方もおられました。展示スタイルも少し変えて、ご来場の方から聞いた話を整理した札を写真の周辺に貼って、ツーウェイのスタイルを採り入れました。クローバー会メンバーも、マルーン会長以下、続々とご来場いただきました。ありがとうございます。
さて、今回の“ここどこ”、入口に掲げている左右1.5メートル程度の大きな写真で、皆さん立ち止まって見ていただいて中に入られます。これは、近くのマンションの屋上から写したものですが、訴求ポイントは、丸太町線、河原町線両方向からレールがあった時代であること、それに交差点にあった、われわれの母校が写っている点ですが、私たちの気づかない点まで指摘があり、皆さんの記憶や観察力には脱帽した次第です。

右上の黄丸、山肌に何かが見える。これは五山送り火のひとつ「左大文字」だ。交差点から見えるのは「大文字」だけで、鴨川まで出れば「妙法」も見えるが、この付近の定説だった。しかし、少し高度を上げると「左大文字」も見えるのは初めて知った。この写真からはよく分からないが、ほかの「船形」「鳥居形」も見えるのだろう。


そして、下の赤いコカコーラの看板、これは勘秀峰さんの発見で、昭和の時代ならではのこと、いまの京都は看板規制で、こんなハデな看板はご法度、コカコーラも目立たない別の色調になっている。北行き市電からは真正面に看板が見えたはずだ。会場の皆さんは、看板を見て「〇〇さんの家や」となる。たしかに雑多な看板は目障りだが、これが目印になって、昔を思い出す契機にもなるものだ。

もう一つの円内にある、尖塔のある建物は、京都洛陽協会で、大正2年の建築で、ヴォーリズの設計、そして右側には、新島会館の旧の建物も見える。この場所で同志社が開校したわけで、その右には新島襄の旧宅がある。円内のふたつは、いずれも新しい建物に替わっている。
そして、赤点線のルート、これは、大正時代に丸太町通りが拡幅される以前の、狭い丸太町通である。いまも小学校の南側100メートル分が狭い通りとして残っている。この道は、背後の京都御所にぶつかると、左に折れて、いまの丸太町通に合流していた。鉤型になっているため、市電敷設時に、南側の民家を潰して、まっすぐな丸太町通に拡幅した。そして、左側に見える、ベージュ色の建物が、先ごろの「そばぼうろ論争」の原点となった丸太町かわみち屋である。

 京都市電版 “ここはどこ これはなに?” ③」への5件のフィードバック

  1. 会期もあと2日を残すのみとなりました。
    熱心なお客さまが殆どで、来場者の皆さんが話す思い出や情報には
    2人の知らなかったことがいっぱいあります。
    市電の写真を眺めた途端、思い出が沸きあがるのかも知れません。
    土日は来場者で満員になるのを覚悟して、応対に当たりたいと思います。

  2. 総本家青信号特派員様 勘秀峰様
    8日にお伺いした際には話に花が咲き、時の経つのも忘れてしまうほどでした。1900生様にもお会いでき、楽しい時間が過ごせました。
    市電の写真展ではありますが、一緒に写っているのは地元の懐かしい風景で、今では見られなくなってしまった建物や商店など、思わず見入ってしまいます。そこに市電が走っていなければ写真を撮る機会はなかったのでしょうが、幸いにして電車が走っていました。小生が生まれ育った地域ではありませんが、幸か不幸かすぐ近くに職場があり、第二の故郷と言えるかもしれません。今ではすっかり変わった街並みに驚き、当たり前のように見ていた風景は過去のものになっていました。ですが、お二人の写真には市電が走っていた頃の風景が見事に記録され、懐かしい街並みと共に人々の姿もシッカリと写っています。「こんな写真を撮りたかった」と思っても、既に手遅れです。小生などは電車中心に撮った写真ばかりで、さて、ここはどこ?と迷ってばかりです。
    投稿ネームの由来となった市電を、小生の地元のわら天神前で写しておりましたが、街の様子はさっぱり分かりません。電車の後ろには白いビルとわら天神の森が見えますが、左手の駐車場はチェーン店の寿司屋に変わりました。カメラを構えた方には銀行・和菓子屋・書店があり、昭和の初めに建てられた二階家が続いていました。ところが、そんな風景は撮らなかったのです。何で撮らへんかったんや!と嘆いても後の祭りで、今更どうすることもできません。無いと分かると余計に見たくなるのが人情というもので、ネットの画像を探してみても望み通りのアングルは見つけられませんでした。

    • 紫の1863さま
      先日は、写真展のご来場、ありがとうございました。会場での1900生さんとの出会いも劇的でしたね。楽しそうに話されている姿を見て、やって良かったと思いました。聞けば、私とも意外な関係(ヘンな関係ではないですよ)があり、世のなか広いようで狭いものと改めて思いました。またその一時間後には、紫高鉄研一年先輩のSさんがご来場、私も会いたかった人ナンバーワンの方だっただけに感動しました。会場では、“あの場所は撮ってないの?”とよく聞かれ、かなり地元で撮ったつもりですが、撮りこぼしたところが多くあります。でもその“悔い”が、また新たな撮影・記録の源泉になっているのだと慰めています。

  3. 紫の1863様
    先日はお目にかかれてありがとうございました。
    ところで『紫の1863』の1863が特にお気に入りと拝察しますが、その理由をお聞かせ頂けないでしょうか?

  4. 米手作一様
    深い理由はないのですが、車を買い替えた時に好きな番号を付けられると聞き、たまたま「1863」を選びました。C57 5の「45-75」や、C57 9の「45-79」も候補に挙がったのですが、最初の数字に「4」が来るのは縁起が悪いと思い、蒸機由来のナンバーは諦めました。4桁なら京都の市電が良かろうと、烏丸線の最終電車となった1863からもらいました。車は「紫の1863」ではなく、「黄色の18-63」です。
    特に好きな電車というわけではないのですが、烏丸線の最終日には何度も出会い、記憶に残る番号でした。
    小学生の頃は700形、中学生になると2600形が好きでした。敢えて好きな電車を挙げるなら、888でしょうか。スタイルや性能はともかく、当時は「8」という数字が好きで、好きな数字が三つも並ぶというだけの単純な理由でした。

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