ドーム球場? プラネタリウム?
続いての“ここどこ”も、俯瞰写真からの出題です。ただ、“?”ではなく、すでに解明されていますが、来場者からは“こりゃなんや”という声が聞かれました。
俯瞰写真を撮った場所は、荒神口停留場近くの救世会館という世界救世教の施設でした。さすがに無断侵入は気が引けて、受付で許可を求めて、うやうやしく屋上へ上げていただきました。建物の元を正せば、立命館大学の恒心館でした。昭和43年前後の立命館大学の紛争では、全共闘の拠点になり、機動隊との激しい攻防戦が行われました。市電展を見に来られた、この建物の裏側にお住まいの方から、“放水で家がビショビショになって怖かったわぁ”の声があり、300メートルほど離れた私の家にも、深夜まで機動隊のマイクや笛の音が聞こえてきて騒然とした状態でした。この写真は、その屋上から、河原町通りの南側を撮っています。すると中央に、ドーム状の建造物が見えてきます。
私はさすがに地元でしたので、よく知っていますが、これについては、“知ってる派”“知らない派”に二分されていました。実際に行ったことがある人もおられ、ほとんどが町内会の行事と答えていました。
▲これは市電河原町線が走っていた当時、河原町二条上る東側にあった、“レーザリアム(Laserium)”という名称のアミューズメント施設だった。ドーム内でレーザー光線を発射し、音楽とともにいろいろな図形を描く、いまのプロジェクションマッピングの原型のようなもので、最先端の技術を駆使した、日本初登場の施設だった。運営していたのが、近畿放送で、KBSラジオからCMがしょっちゅう流れていた。
このドームがあったところは、角に森永乳業の営業所・倉庫、その南には寺院・墓地があり、それが岩倉に移転したあと、一体が更地になっていた。乙訓老人の勤務されていた会社は、その真向かいにあった。次の土地活用までの間の仮設の建物で、稼働したのは2年間だけだった。▲レーザリアムの横を行く河原町線
と、ここまでは、自分の経験話だが、ネットを検索すると、なんとプログラムまで載っていた。「日本初公開 炸裂するレーザー光線と音楽」と煽り、入場料は1,300円、いまの貨幣価値にすると、7000~8000円と思われ、いまのユニバぐらいの値段で、ずいぶん高いものだったが、昼夜4回興業で、パンフレットを見ても、京都の一大スポットとしてと売り出しのようであるが、河原町線が廃止後すぐの昭和53年3月に終了した。その後、機材は、そのまま池袋のサンシャインシティへ転用されたとネットには書かれていた。
総本家青信号特派員様
いやあ、懐かしいですねぇ。「レザリアム」と呼んでいた覚えがあるのですが、「レーザリアム」が正しかったのですね。河原町二条は勤務先に近く、何度も見ていたはずですが記憶に残っていません。ドームの色は何色だったのでしょう? 「青」だったような気もするのですが、自信はありません。
その後、駐車場になったり、放置されていたのはよく覚えているのですが…。河原町通りの西側にあった焼き肉屋「二条ホルモン」に、会社の先輩に何度もつれて貰ったものです。近所に乙訓の御老人が勤務されていたとは、世の中は広いようで狭いですね。
市電を写した写真には、過去の街並みが封じ込められ、若い日に思いを馳せてしまいます。鉄道と全く無関係なコメントで失礼しました。
紫の1863さま
深夜の速攻コメント、ありがとうございます。写真展には、昨日、ご来場いただいたのですね。私は不在でしたが、勘秀峰さんから、いろいろ説明をしていただいたと思います。
このドームですが、当初は“レーザリアム”でしたが、途中から、ご指摘の“レザリアム”に変更されているようで、ネットのパンフにもその記載がありました。色ですが、グレーのようだったと記憶するのですが。
“二条ホルモン”ですか、私は記憶がありません。でも乙訓老人の勤務先は、まさしくレーザリアムの真向かいで、建物はまだ残っています。
今日も会場は、その街並みを懐かしむ皆さんで、大賑わいでした。
総本家青信号特派員様
お留守を狙ったわけではないのですが、雨の予報が出ていたのでゆっくり拝見できると思ったのです。ところがビックリ、来場者が絶えず、勘秀峰様は応対に奮闘されていました。
「二条ホルモン」は安藤不動産ビルの南にあって、現在は町家カフェになっているようです。ですが、「大広」も無くなり、市電が走っていた頃とは変わってしまいました。
もう一度お伺いしたいと思っているのですが、いつになることやら…。
紫の1863さま
今日は休廊でしたが、明日からはずっと会場に詰めています。ぜひまたお越しください。ホントは、一日ぐらい休もうかと思ったのですが、とても休んでいる場合では無くなりました。それほど引きも切らずに来ていただいて、喜んでいます。「二条ホルモン」の場所、町家カフェのあるところでしたか。「大広」もありましたね。西側で昔から残っているのは、間口2メートルぐらいの写真スタジオだけでは無いでしょうか。
本日の京都新聞の朝刊に写真展の様子を載せてもらいました。写真にはなんとクローバー会の二人の巨頭が顔を揃えて、クルマいすで来られたお年寄りが、懐かしそうに見入っておられるという、“これぞ社会貢献”と言えるような、いい写真を撮っていただきました。
写真添付します。