ユースで巡った鉄道旅 -15-

前回紹介の奥中山ユース、こんな不便極まりないユースに泊まったのは、特派員以外には絶対にいないと確信していたところへ、米手作市さんが泊まったとコメントを寄せられたのには驚きました。同じような体験をされ、しかも数回に渡って宿泊されたとは、恐れ入った次第です。さて、蛾が乱舞する汚いバンガローで泥のように眠った翌日は、絶好の天気。体力、気力とも十分に回復して、高原頂上のユースを出発します。途中、止まってくれた耕運機の荷台に便乗して駅近くまで行き、本日の狂化合宿地、龍ケ森へと向かいました。

奥中山から146レに乗り、好摩へ。途中、御堂で下り臨時急行「第2おいらせ」と交換する。東北本線はほとんどが複線化されていたが、沼宮内~御堂間のように単線のまま残っている区間もあり、このような上下列車の交換がまだ残っていた。電化開業を前にしたこの時期、優等列車はほぼEL・DL牽引だったが、「第2おいらせ」だけは蒸機牽引で残っていた。牽引はD511113〔尻〕+C6013〔盛〕と、盛岡以北の客車牽引の標準的な組合せであった。続く客車は臨時ながらも10系客車で編成されていた。本務の機関助士がキャブから乗り出すようにして、誇らしげに通過して行った。左は乗車の146レ

狂化合宿は龍ケ森を舞台に2日間に渡って行われ、その後、再びDRFCのメンバー4人とともに、奥中山へ戻ってきた。最後を見届けたかったのと、本日は特別な列車が走るためであった。三重連は今日も何本か見られた。あいにく天気は下り坂で、もう吉谷地カーブへ行く意欲はなく、駅の周辺を行ったり来たりしている。ナメクジD51を先頭にした上り三重連貨物は、下り勾配を軽快に下ってきた。ドラフトも煙もないが、ドレンをわずかに吐きながら、安堵の表情を見せて駅構内に入ってくる蒸機の姿もまたいいものだ。

本日の特別な列車とは、お召編成9109レだ。と言っても本番ではなく、回送で1号御料車編成が通過するのだ。この時、北海道で開道百周年に伴う行幸があり、お召し列車が北海道で運転される。もちろん天皇は空路北海道入りのため、お召編成は、遠路はるばる北海道まで運ばれるという次第。DRFCの面々と駅北側の踏切で待つことしばし、やって来た9109レ、牽引はDD51あたりかとの予測が外れ、現れたのはC6128〔青〕、蒸機であることは貴重なのだが、肝心のお召編成はドレーンに包まれてしまい、ほとんど見えない。1号御料車には、すっぽりと白布が覆われていたのには驚いた。

奥中山駅の駅舎は、二重となった仕切り、勾配屋根、雪止めと、すっかり雪国の仕様になっている。これ以降、昼間に奥中山を通ることはなくなったが、付近は「奥中山高原」の名でリゾート開発が進められ、自然休養村、スパ、キャンプ場、天文台、スキー場などが散在しているという。かつての鄙びた高原は、すっかり姿を変えているようだ。駅も、IGRいわて銀河鉄道の奥中山高原駅と名を改めている。あの強烈な思い出を残したユースはネットによると昭和56年には閉鎖されている。

薄暗くなりかけた頃、45レに乗って奥中山を去った。朝は一緒だったDRFCメンバーも次の目的地へ向かい、自分ひとりだけが残って、しつこく撮っていた。45レは、C6020+D51という通常とは逆パターンの牽引、尻内(現:八戸)でホームの先頭へ行ってみると、さらに前にD51が付いている。一戸で増結したらしいが、夜間ながら旅客列車の三重連が実現している。途中からさらに雨は激しくなってきた。窓ガラスに水滴をまとわり着かせながら、列車は北上を続ける。旅はまだ始まったばかり、これから、青函連絡船に乗り、初めての北海道に向かう、大学一年生の夏であった。

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