台湾一周駆け足旅行(5)

3月25日 台北⇒三貂嶺⇒台北⇒MRT⇒台北松山⇒東京羽田

最終日はまず地上時代の台北中華商場付近に昔の撮影地点の痕跡を求めて歩いた。台北~萬華間の台北駅手前で現在の中華路一段のあたりに撮影した場所があったと思われる。台北駅を出た列車は直ぐに左へカーブして直線区間を萬華に向けて走行していた。特にディーゼル機関車のバリバリと大きな音をたてて走行する姿が印象的であった。ここでも付近の古老に確認をとり、間違いないと言われたあたりの新旧対比写真である。

1968.3.19 台北駅を昼頃に出発し、左カーブにさしかかる米国GM製S316牽引列車。↓

s-1968.3.19台北S316

2013.3.25 台北駅前の忠孝西路一段から左へカーブして中華路一段に入るあたり。近くには台北府城北門(承恩門)がある。右手徒歩5分に現在の台北駅がある。↓

s-13.3.25台北西カーブ

1968.3.25 当時の台北の代表的な鉄道風景である中華商場付近を行く2002車次海線経由光華号DR2700形6連。 高雄7時15分発で途中台南、彰化のみに停車して台北に12時に到着する。この日は雨であった。↓

s-1968.3.25台北中華商場光華号

2013.3.25中華商場のあったあたりで現在の中華路一段 45年前と同一日の撮影↓

s-13.3.25中華商場

1968.3.19 次に当時の台北駅であるが左側には「光復大陸」のスローガンが見られ、緊張した国情を感じた。↓

s-1968.3.19台北駅舎

2013.3.24 現在の夕暮れ時の台北駅 大きな吹き抜けと専門店街がある。↓

s-13.3.24台北駅

1968.3.19 台北駅待合室 当時も人で賑わっていたが狭い空間がそう感じさせたのかもしれない。 丁度その当時の日本の地方県庁所在地駅の様な雰囲気であった。↓

s-1968.3.19台北駅内

2013.3.25 現在の台北駅コンコース  大勢の人が座り込んでおり、一瞬びっくりした。この国にはいろいろと複雑な事情があるとは思うが、のんびりとまた平和に見えた。↓

s-13.3.24台北

 

対比的写真は以上でこれからは当時の台北駅ホームや車両写真である。

1968.3.19 台北駅ホーム 左の客車はTP32800形でインド製。↓

s-1968.3.19台北ホーム

1968.3.27 108車次竹南発基隆行きCT283 板橋から代用客車のような先頭車に乗車した。裸電球3つ、座席は板張り、車内につり棒ありとメモに記録している。↓

S-68.3.27台北CT283

1968.3.24 台北駅CT282 これも108車次と思われる↓

s-68324台北CT282

台北駅機関区には掘り出し物と思われるものもあった。

1968.3.19 台北機関区CK84 これはB6形と呼ばれる1C1の軸配置のタンク機関車で1905年英国製で1908年に移管された。B6形は英・米・独でつくられたようであるが縁がなく詳しいことはよくわからない。台湾には15両在籍した。私のような高齢者でも国鉄時代のB6形現物は見たことがない。B6が暖房車マヌ34のボイラーとなった姿に接したことがあるので間接的には見たのかもしれない。↓

s-68.3.19台北CK84

もう一つ赤十字のマークをつけた客車がいた。スタイルからして木造車と思うが、ナハ22000を見たことがなく鋼体化されたオハ60・61しか知らないのでよくわからない。↓

s-1968.3.19台北木造車

台湾最終日はこの後2日前に花蓮のホテルに忘れ物をして戻ったため行きそびれた三貂嶺に向かった。駅を出て直ぐの基隆川の橋がポイントで、ついでに平渓線も撮影できる手頃な場所。関西の武田尾や保津峡に似た風情がある。2度目の訪問であるが2度とも雨であった。

2013.3.25 三貂嶺 羅東発4157車次樹林行き700系区間電車↓

s-13.3.25三貂嶺4157次700系

2013.3.25三貂嶺 補機付き北上貨物列車↓

s-13.3.25三貂嶺貨物補機

2013.3.25 平渓線4722車次八堵発菁桐行きDR1000系3連 この風景は何となく福知山線の旧武田尾付近の武庫川渓谷を思い出す。↓s-13.3.25三貂嶺4722次

台湾一周駆け足旅行は花蓮~大里および台北~台中を2回行き来し、一周半の旅となってしまった。投稿の方は不慣れで駆け足が鈍足となり2か月遅れである。最終回は台北周辺の古い写真も追加してかなりのボリュームとなり申し訳ない。当時一両毎に乗車していた観光号の案内嬢(スチュワーデス)、キューロク、各種客車、街中の日本映画の広告等の写真も載せたかったが次回以降としたい。次回といえばDRFCの台湾派の皆さんとの旅行も楽しみにしている。 ー完ー

4 thoughts on “台湾一周駆け足旅行(5)

  1. 米手作市様
    据え置きボイラーと思われます。写真では煙突から煙が出ている様子ではなく、修理若しくは整備でもしているように見受けらます。この頃、C57、C55、8620がオハ35タイプ、代用客車、インド製客車等の普通列車を牽引しており、D51は主に貨物、9600も貨物列車、補機、軍用列車等に使われておりました。C12も入れ替え作業についていました。CK84は明治生まれの輸入機なのでこの時点では第一線を退いていたとものと思われます。2100・2120・2400・2500のB6形一族は533両製造され日本国鉄では昭和36年まで使用されたとありますのでどこかで見たのかもしれませんが、ナハ22000形木造客車共々全く記憶にありません。写真で見ると東京では品川あたりの入れ替えでDD13に置き換わるまで使われたようです。同系では西濃鉄道、三美運輸、石原産業等が有名でした。

  2. 準特急様

    デカンショまつり号です。
    CT283の写真なんか、カウキャッチャーみたいなものが無ければ、どこかの国鉄駅ですね。
    次位の代用客車といわれているものは、国鉄では、昭和12年に製作されたTR24台車のワキ1か昭和24年に製作されたTR41台車のワキ1000とそっくりですね。日本でも荷物車代用として使用されたことがあったようですが、まさか四等車にご乗車されたのでは?(笑)
    貴重な写真ありがとうございます。
    良いですね台湾は・・・。

  3. デカンショまつり号様
    昨日(5月31日)は梅雨の晴れ間ででかんしょさんの地元で撮影しました。その後の成田線貨物はEF210とEF65が来ました。
    台湾はデカンショさんの方が詳しいですが、たまたま一昔前に訪問したので今回の旅行と対比しながら報告させていただきました。代用客車は忘れていましたが、ワキという形式だと思います。昔山陰線のC54の引く客車にもそれらしきものが入った写真を見たことがあります。私自身もC57の列車に組み込まれたのを撮影したことがあります。C57牽引列車に乗車したのは板橋~台北間のみでした。勿論ナニかオニかわかりませんが四等車を目指して乗車しました。今はこの区間は全面地下ですね。この時の旅行は神戸から那覇は船で、那覇~台北はJAL、帰りはNWで那覇から鹿児島は船に乗りました。鳥栖で一泊後、筑豊線のC55、D50 続いて呉線のC59、C62を撮影して京都に戻っております。呉線には常磐線から転属してきたC62もおりました。従いまして台湾も日本の非電化区間も大差のない鉄道風景であったような気がします。

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