八月です。熱闘甲子園が始まりました。熱さに負けず戦う球児に見習うべく私もいつもご一緒させていただくO氏にお供して昨年に引き続き今年の夏も赤道直下のインドネシアへと向かうことにしました。
▲ ガンビル駅のホームベンチで列車を待つおばあさんとお孫さんたち。インドネシアへ向かうのはこんな穏やかな表情を周りでいつも見られるからでもあります。今回もたくさんの笑顔を見せていただきました。ご紹介したいと思っております。
【 旅立ち前の悩み 】
昨年の「花火」撮影で上手く撮れず大変悔しい思いをしました。今年は何とかリベンジを果たしたいと思い限界を感じたカメラも一クラス上に買い替えました。そしてO氏にご依頼ご相談していましたら、ミャンマーに出かける前の2月には行程のたたき台が送られてきました。ただ撮影にはシュガートレインをチャーターしますので参加人数が4人以上は集まらないと個人当たりの負担が高くなります。
今回も神谷武志さんが企画されるであろうテレマカシーツアーへの参加合流を前提にしての先乗りツアーと考えて我々の計画ができ上がりました。ところがアベノミクスでの円安が進んだ影響もあって安かったツアー費用が昨年と比べて異常に高騰し、また当初に参加表明をされていた方が都合で断念されて最低予定人数に達せない事態になりました。
3月ミャンマーへ同行させていただいた後、O氏は南アフリカ、ジンバリエ、そしてイギリスへと向かわれました。一方の私も中国へと長期間の海外鉄を楽しんでおりましたのでどうするか相談する機会がありませんでしたが、双方の帰国を待って相談の結果、早々と中止を決定しました。
ところがミャンマーでご一緒し、インドネシアへも参加表明されておられたもう一人の参加者のMさんから是非にシュガートレインを撮りに行きたいが、仕事の関係上で参加できる日程がガチガチになってしまった。3人だけとなった場合には、かかる超過費用の負担もしたいとの決行への熱心なOfferが入りました。
O氏と私は2人とも日程を選べる自由人です。Mさんの熱望に心動かされ復活することにしました。
また引き続いて参加予定の神谷さんのツアーの方も高額費用交渉に苦労を重ねられておられ、決行されるかどうかも未決定が続いていました。とりあえず日程の確定した我々のツアーにそって予約を入れていた正規格安航空券は一旦購入してしまうと変更は有料となります。だんだんと予約後の購入期日が迫り、また変更するにも空席が少なく、航空券も高くなってきました。悩む日々が続きました。
O氏からは3月に熱いミャンマーを経験し、長期間を熱帯で過ごすのは老体には体力的にも限界があると知った。2倍以上にも高額化した2つのツアーに参加するのは費用的にも難しくなった。どうしようかと悩み抜いた結果、残念ですが神谷さんツアー参加は断念して、先乗りツアーだけに絞り込むことにしました。
そして6月に入り2名の方からの諦めていた参加表明があり、合計5名となってかかる費用の分担も軽減され、準備にも拍車がかかりましたが再訪予定だったラック式のアンバラワ保存鉄道は昨年と違って撮影に肝心な夕刻はチャーターできないのが判明しました。
O氏が作成された予定案は変更が相次ぎVer.13にもなっていました。曖昧がすまされないきっちりとしたO氏です。行くまでに現地交渉を細かく何度も重ねられ、大変ご苦労をおかけしました。ありがとうございました。
こうしていつもとは違っての難産の末、出発の日を迎えることになりました。
第1日目 7月27日
① 長岡天神(阪急・大阪モノレール)→伊丹空港8:10(JL3002)→9:30成田空港
② 成田空港10:50(JL725)→16:35ジャカルタ空港(時差2時間)
③ ジャカルタ空港17:10(チャーター車)→18:00ガンビア駅19:30(国鉄)→23:23テガール
今回の出国は関空からのJAL便がありませんので成田からです。
O氏とMさんは約1時間早く出発するANA便で、TJさん、IMさんと私の3名はJAL便と2組に分かれてインドネシアへと向かいます。
後便の3名はJALラウンジでお会いするはずでしたがTJさんがおられません。到着後にお聞きしますとマイレージがあったのでファーストクラスに乗られたとか、ラウンジが分かれていますのでお会いできないはずです。IMさんもビジネスクラスですが、失業者の私は当然エコノミーです。大富豪、富豪、平民でのフライトでした。
エコノミークラスの機内食です。魚と肉料理のいずれかを選べましたが、直前まで歯医者通いだった私は迷わず魚料理です。
それでも噛めないので、珍しく完食とはいかず主食のビール、ワイン、日本酒、最後にダブルのブランディと流動食を飲み続けて約7時間半の長いフライトを耐え続けました。
▲ 成田~ジャカルタ便(機材777-300)にはWi-Fiが導入されていました。1H10.75㌦、24H19.75㌦は結構なお値段です。24Hも連続でのフライトはありませんので、搭乗している間は全額の19.75㌦なのでしょうね。半額以下程度なら利用しても良いかなと思いましたが、年金生活者にはちょっと高すぎます。経費で落とせるビジネスマン向けなのでしょうね。
しかし今回は無線LANのルーターにもなるI-Phone5を持ってきました。仲間うち数人で近くの席なら共有してPCで使用できるのかも。できれば、割り勘で安くにもなりますかね。
ジャカルタにはほぼ定刻に到着。2度目とあってスムーズに入国審査後すぐにチャーター車に乗って約50分で国鉄ガンビル駅に到着しました。
▲ インドネシア国鉄の路線図です。東西を走行する路線が多いようです。以前は山岳地帯を南北に横断する路線もあったそうですが現在は廃線になっています。
赤線が今日乗車するガンビルからテガールまで284キロの区間です。3時間53分で走行しますので表定速度は74.16km/h、途中の停車駅は2駅。7分間停車しますので平均速度は、75.40km/hになります。夜中で車窓が見えませんので最高速度は推測ですが110km/hほどで走っていたと思われます。
▲ こちらは駅名が入った路線図です。574KBある大きなファイルです。詳しくご覧になられる方は一旦デスクトップにドラッグ(移動保存)してから開いてください。駅名が読み取れます。
2013年4月改正のインドネシア国鉄の時刻表は、こちらからダウンロードができます。
▲ 名前入りの乗車券(1等車)です。値段は380,000ルピア、日本円では”00”を外した金額と思っていたら分かりやすいと教えてもらいましたので約3,800円です。京都~富山(284.3キロ)が特急サンダーバードのグリーン車利用で11,250円ですので、日本と比べて約1/3の料金ですね。
▲ ガンビル駅はジャカルタの長距離列車の始発駅です。駅に掲示されていた時刻表では19本が発車しています。我々の乗車する列車は東へ734キロの大都市スラバヤへの夜行36列車(SEMBRANI号)です。バックが黄色で表示された列車です。スラビヤへは翌朝6:25に到着します。
結構、夜行列車もありますので24系あたりを入れて寝台列車にすれば快適なのですがなぜかインドネシア国鉄には寝台車がありません。
▲ こちらは切符売り場、イスラム教徒が人口の95%を占める国です。窓口のお姉さんも頭にはヒシャブを被っておられました。
▲ ガンビル駅の構内です。高架駅で4線2ホームですので広くはありませんがKIOSKは勿論、パソコンコーナーも設置されています。びっくりしたのは生演奏しているグループがいたことです。昨年はいませんでしたので今年からなのでしょうか、但し聞くお客はいません。それでも頑張って演奏しておられました。
▲ ホームでは頻繁にKRL ABODETABEK-中央線の通勤車が通過していきますがすべてが冷房車で昨年のように屋根に無賃乗車客の乗った編成は通りません。どうやら冷房車導入が進んでドアを開けっぱなしにした車両が淘汰されたようです。
長距離優等列車が発着しますが、アナウンスは一切なく、列車に行先表示板が取り付けていないのは昨年同様でした。
▲ 19:10、我々の乗車する36列車が入線してきました。早速の乗車ですが、今回も笑顔の可愛い綺麗な列車乗務員さんです。これにはTJさんもにっこりでご満悦でした。
▲ 我々の乗車した車両です。リクライニングシート車で空調もあって快適ですが、どうせなら寝台車の方が良いですね。車内検札後は食堂車に行ってみることにしました。スタッフの方々は笑顔でお迎えです。
注文しましたのは左上からインドネシアの焼き飯、目玉焼き、クルプッ(えびせんべい)、アチャール(揚げ物)、サラダが付いたナシゴレン、右上が牛肉ステーキ、左下がミーバッツ(肉団子入りの汁ソバ)です。右下は車内販売に持っていかれるアヤム・ゴレン(鶏のから揚げ)です。いずれもインドネシアの代表的な料理です。
▲ 0:03、定刻より約40分遅れでテガールに到着しました。出口に直行しようと思っていましたら反対路線に列車が入線してきました。横断はホームを降りての渡り廊下になっていますので列車が発車するまで待機です。
この駅はシックな木造のドームになっています。私的には大変好きな駅です。
▲ 駅舎も建築当時から設置されていたのかシャンデリアがぶら下がっていてシックで中々です。入口も木製の門が残っています。ベンチも当時からのものでしょうね。大切に保存してほしいものです。
今日のホテルは昨年も泊まったBahari-innです。駅からはチャーター車で向かいましたが、ベットに入ったのは午前1時を過ぎていました。日本時間では午前3時です。長い疲れた移動の一日でした。 Part2へ続く