C11、大川(阿賀野川)を渡る-半世紀前-

1965年5月の会津(滝ノ原)線です。
山間が少し開けた南会津の楢原から北に、弥五島、湯野上、桑原へと、大川(阿賀野川、国土地理院も四文字にしたり、阿賀川と三文字にしたり、いい加減)の橋梁を渡るC11を順に撮影しました。桑原まで凡そ13km、谷合の区間です。

この内、湯野上から少し北、桑原までの中間付近から舟子あたりまで、大川ダムの建設が進み(1988年運用開始)若郷湖となり、撮影した一部区間は水没してしまいました(後図参照)。先ずは弥五島の北、第五橋梁から。

▼第五大川橋梁 貨客混合332レ 機C11 弥五島間-湯野上間 1965.5.4       10421

10421次は湯野上の手前、第4大川橋梁です。天気は良くなかったのですが、日中8本程の旅客、貨客混合に貨物列車と結構な列車に会いました。左手が弥五島方向、右手が湯野上方向。
▼第四大川橋梁 客334レ 機C11 同上区間 同日     C1104

C1104
▼第四大川橋梁 貨371レ 機C11 同区間 同日       C1107
C1107▼線路沿いには、旧日光街道が通っていて、撮影には好都合であった。同じ場所から上の第四橋梁と、手前の大澤川橋梁が両方見渡せた。下は上と同じ列車の1コマ先の画像です。西から流れ込む大澤川、手前の谷が大川、湯野上温泉は手前下左側です。
大澤川橋梁 貨371レ 同区間 同日          C1106
C1106

以前から、貨客混合列車の全容を綺麗に撮りたいと狙っていましたが、結局満足できるものは、ここでも、米坂線でも他の線区でも撮れずじまいでした。貨車を客車の後尾に付けるので撮り難く、致し方ないのですが。余談ながら、米坂線では客車の後ろにタンク車を2両も付けていて、驚いたりもしました。今では当然考えられないことでした。その画像をこちらからご覧頂けます。
http://www.k4.dion.ne.jp/~tsuru/yonesakaS/11221.html

▼第三大川橋梁 この橋梁までが水没を免れました。後方は小野嶽隋道。
貨客混合336レ 湯野上-桑原 同日   C11        C1110

C1110▼第二大川橋梁 水没してしまいました。後方は第四小沼崎隋道
貨客混合338レ 機C11312【若】        C1112
C1112▼第一大川橋梁 やはり水没、後方は第一小沼崎隋道 同区間 同日   C1113C1113▼第一大川橋梁 上の画像のトンネル上部の道路から撮影 同区間 同日 C1114
C1114▼大川ダムと若郷湖左側(西方)の旧線は水没。桑原は芦ノ牧南温泉と駅名改称。撮影当時、舟子駅はまだ無く、桑原の次は8km先の上三寄だった。
map01 map02▼五万分の一地形図日光一號 田島 昭和35年国土地理院発行 定価25円改め60円
map03
1964年10月発行の時刻表、会津(滝ノ原)線。
timetable出発の日、東京までのこと:1965年5月3日夕刻、開業7ヶ月目の新幹線に初乗車。夜23時に東京着、上野から23時40発の『第四ばんだい』に乗る予定であった。ところが何の事故か記憶が無いが、東京着が午前3時。当時新大阪-東京間ひかりは4時間運転だから、倍の8時間を要した訳。お陰で上野発が朝、会津若松着は昼過ぎ、撮影計画が丸半日ズレテしまい、会津(只見)線撮影が吹っ飛んでしまった。新幹線初乗車が計画崩れの思い出となってしまった訳です。

この画像フィルムのこと:モノクロは痛みの激しい富士フィルム、カラーは再現色の悪い富士カラーでした。フィルムも撮影後、半世紀を経過しました。

拙著HPのこと:『蒸気機関車山路を行く』を久しぶりに追加補充しましたので、デジ青の読者にもご覧頂こうと、中からピックアップしました。なおHPはGoogle検索でご覧ください。検索語は『蒸気機関車山路を行く』、同名の頁へ進み、会津滝ノ原線です。次回は、磐越西線、陸羽東線の半世紀前を予定しています。

C11、大川(阿賀野川)を渡る-半世紀前-」への2件のフィードバック

  1. tsurukameさま
    昭和40年の会津線、拝見しました。只見線と会津線、よく似た線ですが、只見線は後年まで蒸機が残り、いまも時おりイベント蒸機が走って、注目を集める線区です。片や、会津線は早くに旅客牽引の蒸機はなくなり、貨物のみにC11が細々と牽いていました。かく言う私も、撮影したことはもちろん、乗車した経験もないと言う、私にとっては未開の線区です。このような大規模な水没区間があったことも初めて知りました。本当に貴重なカラー写真、ありがとうございました。

  2. 総本家青信号特派員様
    コメントをありがとうございます。もっと早く纏めてHPにするなり、青信号に投稿するなりすべきが、今頃になりました。同じようなことが磐西、陸東、中央、宮津、伯備線に及んでいます。これら線区にはカラーもあり、急がねばなりません。HP作製には最近手数の減る便利な方法が確立できましたので、作製方々青信号にも内からピックアップして順次投稿予定です。
     ダム建設で水没の線区は一時より少なくなりましたが、最近では八ッ場ダム建設の話題もありますね。古くは森林鉄道や飯田線、そして大井川も。会津線の撮影時、それこそ水面下では話が出ていたのかもしれませんが、そんなことは全く知らずでした。後に知りました。

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