大津市歴史博物館で開かれている、「江若鉄道の思い出」展で福田静二さんが講演をされました。
広い会場は予定より早く開場しましたが、入りきれないほどの満員で驚きました。廃止されてからすでに四十年以上が経ちましたが、これほど地元の人々の心に染みこんで愛されている鉄道を私は見たことがありませんでした。同時に西村雅幸さんが心血を注いで作った駅の精密なジオラマにも多くの人だかりが出来て、それぞれが思い出を語り合っていました。展示品の多くにはクローバー会会員の名前も多く出ていて、準特急氏の言葉を借りれば「同好会員で本当によかった!」には同感の至りでした。
ご指名いただきましたが登場時は冬眠時代であり、ピク誌で写真を見たときに地方私鉄がアップアップしている時期に新車を作るだけの力をどうしてひねり出すことが出来るのか、老人にとっては謎でありました。12年前に訪れたときに初めてケバケバしい塗色の残党に拝顔した次第であります。その後、伊香保温泉へ行ったときには終点まで乗りましたが、その道中に京都から葬式を伝える電話が入り、富岡の世界遺産、指定前に立ち寄るはずが又の機会として、急遽帰京しました。その時に6000系に下仁田から載ることが出来ました。南蛇井の話でごめんなさい。
長老様でも乗り逃がしすることがあるのを知りました!
南蛇井とは「なんじゃい」というシャレですか?
おっしゃるとおりです。この駅名に気付いた12年前、難読駅の一つか?と思ったのですが、音読みしてみれば「なんじゃい」の気持ちになりました。それにしてもこの電鉄、新車建造費をどうして工面したのか知りたいですね。県の補助事業の一環とすれば群馬は温泉郷の地に付きアブク銭が豊富なのかな?
この年は上毛電鉄に立寄ると、京王帝都3000系が2編成到着したところであった。車庫の方と暫く歓談することが出来てわが意を得たりの気持ちになったものだ。上信の車庫では車両課長さん、苦渋の表情で車種統一が出来れば・・・との話。中古であっても西武に揃える方が部品調達が楽ともとれるお話であった。老人が嬉しかったことは車庫の片隅にあったデキの2両、ホイッスルが原型のままだった。初めて訪れたDRFC現役時代、叡電1型、琴電1000型、武蔵境駅で深夜に入替作業の国鉄なのか西武なのかの電関と同じ音と気付いた時、これがドイツの警笛音なのかと心にしみこんだ。今も聞くことが出来るのは大井川鉄道のアプト電関3両の内の1両だけとなった。、
乙訓の老人様
くすんだ音色の『ピー ポー』というような高→低音の二音であったような…
けたたましい警笛でなく、のどかな感じでした。何となく記憶にある音で、果たしてそれがデナ1だったのか今となってはあやふやですが。
ところで、京都市電にはフットゴングが付いていました。運転手が足で釦を踏んで『カンカン』鳴らすものです。2000型にも付いていましたが、松山で今も使われているんでしょうか?