撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(1)

1.はじめに
健康第一、並びに足腰の弱りを先延ばしにするべく、歩くことに力をいれ始めて5年が経ちました。この間の歩行距離は稚内から鹿児島まで日本列島の背骨を通る距離に達したようですが、もう少し続けねばならないようです。

なんとなく歩くには、面白くないし長続きしませんので、カメラ片手に風景やら何やらを撮りながらです。山手幹線を尼崎から三宮までとか、国道2号線を梅新から下関(計画のみ、実際は西宮えびす迄)とかですが、都会の風景は兎角面白味がない。そこで近所の庄下川や神埼川を河口から源流まで遡上することにし、写真ブログに掲載を続けました。

次は武庫川です。2013年11月河口から西宮市生瀬まで10回くらいに分けて遡上しました。で行き止まりました。生瀬から先は道路が川から遠く離れ、通るとなれば福知山線廃線跡しかありません。その内に行こうが1年経ち、漸く2015年12月に通過、現在は三田市相野まで遡上しています。

2.福知山線廃線跡通過
1986年に廃止されて、現存する廃線跡を通過するなら、少量ですが半世紀前の画像と今昔対比です。これらの画像は、準特急さんが企画し発刊された、レイルNo.82『武庫川を巡る鉄道風景』に掲載されており、重複するものもありますがその他の画像をも含めて対比します。

『対比』、『今昔』ですが、廃線になってしまい線路そのものがありませんので、【昔】の列車走行風景と【今】に残る建造物などを6回に分けて紹介します。また第3回、武田尾近くで、筆者登場の現地からの映像報告もあります。

3..廃線跡・生瀬-武田尾間(1)
▼❶現・生瀬駅 ❷現在線の高架下から、その北側に旧線の橋台跡が見られ、その先国道176号線・西宝橋南詰め角を曲がると、❸すぐに、水路を跨ぐ橋。手前・整層切石積みが旧線、奥・コンクリート製が現在線 ❹城山トンネル、62.7m、1899年建設。封鎖されて通行できない。次の当田トンネルも封鎖されていて通行できない。
001▼武庫川沿いの旧・福知山線(生瀬-北山第二トンネル間)マップ。(図右)左岸が宝塚市、(図左)右岸が西宮市。
map01
▼❺国道176号線沿い、国道とマンションの中間位置に敷設されていた。❻線路跡は整地されているがまだ活用されていない、立ち入りも出来ない。❼中国道の手前で切れている。一時期国道下を潜るトンネルがあったが無くなっていた。❽国道の上から見下ろした廃線跡、黒矢印に沿った砂利道が廃線跡です。
002▼❾廃線跡東側の田圃、刈り入れどき   ❿付近の集落と田畑を結ぶ細道が踏切に繋がる   ⓫踏切設備の残骸、Nippon Door Check Mfg.Co.Ltdの銘が残っていた。この会社は現存します。 ⓬砂利道に立つ杭、いよいよ廃線跡ハイキングコースに入ります。
003▼⓭JR西日本は認めていないが、いつしか有名になった『廃線跡ハイキングコース』。あちこちに『責任は負えません』の標識が立つ。⓮赤さびたお立ち台。⓯『橋りょう上通行禁止』との標識。でも通行しないと先へ進めません。⓰枕木がくっきりと残る廃線道。春秋のシーズンには大勢のハイカーで賑わいます。
005▼⓱速度制限60の標識、数字ははっきり読める。⓲川にせり出した退避台、錆びて乗るのが怖いが立ち入り禁止ではなかった。
008▼生瀬から武田尾に至る間は急峻な武庫川渓谷。深山幽谷を思わせる風景が続く。
601064▼北山第一トンネル 全長318m、1923年竣工、1986年廃止。
生瀬側坑門、整層切石積み、題額なし、断面は垂直。通行できる最初のトンネル、阪鶴鉄道開通時はトンネル右の川沿いの明り区間に線路が敷かれていた。この旧線ルートを山側に移設し、1922年北山第一トンネルが新設された。
kita011▼トンネル内部、アーチ部、側壁部とも場所打ちコンクリート構造。
kita012▼武田尾方杭門。阪鶴開通時は左手川沿いの明り区間に線路が敷かれていた。また、そのあたりに掘りかけで放置のトンネルがあると聞いたことがあるが、草深いのと進入禁止の柵があるので行くのは止めた。
kita013▼北山第二トンネル 1899年1月竣工、1956年落石防護のため生瀬方16m延長、全長413m、、1986年廃止。
生瀬側杭門。建設された当時は整層石積みであったが、鉄筋コンクリートで杭門を延長した。杭門を入って暫く行くと断面が少し狭くなる。ここからが建設当時のレンガアーチと野石積みのトンネルが始まる訳です。
kita021▼内部の壁部は野石乱積み、アーチ部は四段のレンガ長手積み。生瀬側入り口近くには、外された枕木が立て掛けられていて、歩きやすい砂利道。
kita022▼武田尾方杭門、整層切石積み、4層レンガ造りのアーチ部が見えます。鉄筋コンクリート製の坑門よりこの方が、いかにもトンネルらしい姿です。付近の木々が繁り隠されそうです。
kita023▼ところどころ岩石の崩落箇所があり、枕木も埋まっています。
そこには必ず注意書きがあります。
kuzure▼⓳コンクリート製の跨線水路橋生瀬方、川沿いの口 ⓴アーチ状の口が二箇所ある山側の方、左手山側から流れ出る水を武庫川に流すため、わざわざ作ったような水路です。なぜ、線路下を通さなかったのでしょうか。その上に短い橋で済みそうなのに。長さは歩測4.5m。

21、22 武田尾方の川側と山側の其々二つの口がある。。山側に擁壁を登るためのステップが残っていました。コンクリート製だから、阪鶴鉄道以降、国有化されてから建設されたのではなかろうか。       (次回に続く)
suiroトンネルと橋脚のデータの出典はこちらです。
第9回日本土木史研究発表会論文集1989年6月、『わが国における鉄道トンネルの沿革と現状(第2報)-旧・京都鉄道、旧・阪鶴鉄道をめぐって-』、JR西日本・大阪構造物検査センター小野田 滋氏他。URLは下記です。
『鉄道ピクトリアル』(第37巻11月、12月号)にも発表されているようです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1981/9/0/9_0_245/_pdf

(追記)この日本土木史研究発表会論文集は、第1~32回あり、Net上pdfファイルを閲覧できます。内容は鉄橋やトンネルなど鉄道関連土木建造物や、明治時代建設の鉄道構築物など興味深い技術論文が沢山掲載されています。関西鉄道加太トンネルも出てきます。URLは下記です。
https://www.jsce.or.jp/library/open/proc/maglist2/00902/

撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(1)」への4件のフィードバック

  1. TSURUKAMEさま
    福知山線生瀬~道場間の廃線跡レポート、ありがとうございました。この区間は、武庫川沿いの渓谷区間は、よく紹介されますが、駅の取り付け部分の廃線跡はあまり見かけませんでした。詳細なレポートで、前後の区間もよく理解することができました。やはり歩くことは、高齢者の長生きの秘訣ですね。最近、改めて思います。
    昨年、クローバー会では大仏線の廃線跡ウォークを行ない、好評でした。つぎは、ぜひ福知山線旧線をやろうと、先日も話していたところでした。連載はまだ続くようで、動画もあるとか、楽しみにしています。

  2. 総本家青信号特派員様
    コメントありがとうございました。拙文ですがこのあと4回をお楽しみください。
    廃線跡ですが、施設がしっかりしています、特にトンネルは。鉄道以外の道路トンネル等でも出入り口や、内部が崩れ、途中までしか進めない経験がありますがここのそれは頑丈です。

    出典誌の著者が論文考察で述べられていました。、阪鶴鉄道建設時、六甲山系に近く豊富な石材を利用できた一方、資金と工事期間に余裕なく、出入り口の題額をはじめ、装飾は一切なしの簡素な造りだとありました。

    簡素かもしれませんが、整層切石、野石乱積み共に頑丈に作られているように思います。また、暗闇の中、懐中電灯のわずかな明かりでも美しさを充分感じるレンガ積みに感心しています。そして石積みもレンガ積みも崩れたところはただの一か所も見ていません。安心して通行できます。ですから、慎重なJR西日本もファンの声に負け、ハイキングコースを許しているのかもしれません。雨ざらしの鉄橋や防護柵はその限りでないでしょう。早晩通行が難しくなるかもしれません。

    廃線跡ウォークはよい企画です。春秋の野山が美しい時、武庫川の渓谷と相俟って楽しめることでしょう。

    • tsurukameさま
      ご返信、ありがとうございます。お書きのように、明治時代に造られたトンネルの杭門には、いろいろな意匠があって、たいへん興味深いものですね。とくに廃線跡で、藪や密林を掻き分けて、.ようやく辿り着き、見上げた杭門の美しさには感動します。これぞ廃線跡めぐりの醍醐味でしょうね。ぜひ、クローバー会の廃線跡めぐりシリーズで、現地に立って見たくなりました。
      それと出典誌のURLもありがとうございます。さっそく拝見しまして、鉄道以外にも興味深い論文があり、眺めております。

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