福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔1〕

博多駅前

“つい最近”と思っていた出来事なのに、改めて思い返すと数十年も経っていたことに愕然とすることがあります。これも加齢現象のひとつでしょうか。少し前に九州を駆け足で回りましたが、そう言えば、西鉄福岡市内線が昭和54年に全廃にになってから37年、北九州市内線でも最終区間が平成12年に廃止になってから16年になることを改めて知りました。いずれも廃止前には、ほぼ全線を歩いて写しており、時代の隔たりを感じるとともに、感慨深いものを覚えました。「一人で今昔対比ができるのは高齢者のみである」は、準特急さんの至言ですが、生き永らえて地道に趣味活動を続けてきた者の特権として、福岡、北九州での今昔対比を試みようと、久しぶりに両市の中心部を歩いてみました。

60210 021sy_R博多駅前の西鉄福岡市内線、背後に見える博多駅は、昭和38年に完成した第3代目で、それまでの博多駅は別のところにあり、手狭になったため、移転・新設された。路面電車も同時に移設・延長された。駅は、ビル全体を博多ステーションビルと言い、百貨店の井筒屋がキーテナントとして入店していた(昭和51年8月)。


syo60212 009九州新幹線の開業に合わせて、平成23年に開業したのが第4代目の駅ビルで、JR博多シティと呼ばれ、阪急百貨店が入店するほか、東急ハンズやシネコンが入店する。
西日本鉄道の福岡市内線は、部分的な廃止は除外して、大規模な廃止は2回あった。中心部の貫線、呉服町線、城南線が昭和50年11月、そして博多駅前を含む循環線、貝塚線が昭和54年2月に廃止となり、これで福岡市内線は全廃となった。昭和50年11月時点での総延長は28キロで、京都市電の全盛時(伏見・稲荷線廃止前)が57キロだから、ちょうど半分の規模だった。つい最近、福岡市の人口が、神戸市を抜き、政令市で第5位になったとのニュースがあったが、当時も100万人に達していたものの、バスが強力な路線網を張り巡らせた地でもあったことが影響していたのかも知れない。

60210 001sy_Rsyo60212 003(上)「博多駅前」の標識も見える、反対側に目を転じると、特色ある建物をバックに電車が発着する光景が見える。当時は福岡シティ銀行本店、設計は磯崎新、氏は九州出身のため、福岡市内に作品が多い。ラッシュ時というのに乗客はこの程度で、いまの賑わいから比較すると、今昔の感がする(昭和50年6月)。(下)現在でも建物はそのまま、その向こうの建物も変わらず、発展著しい博多駅前にあって、意外に40年前の風景が残っている。ただ銀行名は、その後の再編成で西日本シティ銀行となっている。
60210 019sy_Rsy60212 035(上)呉服町線と貫線がT字に交差するところが「呉服町」。昭和38年まであった旧・博多駅の近くだったため、戦前から、福岡市いちばんの繁華街として賑わいを見せていた。その代表が、背後の建物に入店していた博多大丸で、昭和28年に開店したと言う。しかし、繁華街の中心が天神に移ると、大丸も、呉服町線・貫線の廃止と同じく昭和50年に閉店し、呉服町はシンボルを失った(昭和50年6月)。その後、大丸は天神に移って大丸福岡天神店となった。現在では、跡地に大きなビルが建ち並び、ビジネス街の様相だ。

 福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔1〕」への8件のフィードバック

  1. 博多駅が現在地に移転したのは1963(昭38)年でしたか。1957年9月に初めて到着しました。その時に感じたのは九州の中心駅なのにぼろい駅やなぁーと思いました。熊本で商人宿を値切って安く泊まれたのに味をしめ駅前でやり手ばぁさんを探したのですが居りません。やむなく離れたところでやり手ばぁさんの手引きで商人宿にありつきました。以前、須磨の大人にややこしいとこに紛れ込んだのか?と冷やかされましたがご心配なく、1泊2食で550円でした。
    翌年9月再び雨中に博多着です。この年は「こだま試運転乗車」が控えており、パンと牛乳を買って急行「玄海」の列に着きました。そして19662年富山から大阪経由で博多着、列車は忘れましたが翌朝到着、この時は社用出張でした。3回旧駅利用となりましたが、西鉄市内線の写真撮影なしです。古の総本家氏の駅前を始めとする作品に期待しております。

    • 乙訓の老人さま
      コメント、ありがとうございます。私の場合は、移転後の博多駅ですが、老人の場合は、私が見たこともない旧駅の思い出とは、年齢差を感じます。さて、その旧駅は、ホントに狭くてボロイ駅だったようですね。この話は、もう亡くなられましたが、小倉で産婦人科医をされていた高名な鉄道ファンのNさんからもナマで話を聞かせてもらいました。ただ、旧駅解体の時に、九州鉄道時代の遺物を偶然にNさんが発見されたそうです。一週間前には、小倉へも行ったのですが、そのNさんの医院のあった砂津まで歩き、故人を偲んできました。

  2. 総本家青信号特派員様
    「至言」という難しい言葉は使ったことが無く恥ずかしながら辞書を見てやっと意味がわかりました。「半世紀前」や「新旧定点対比」は毎度楽しみにしております。総本家さんのJTBキャンブックスの「京都市電」なら地元でもあり昔の立ち位置がわかり易いと思いますが、博多の街など昔の場所がどうしてわかるのでしょうか。例えば駅前のシティ銀行のあたりは建物がそのまま残っているのでわかり易いと思いますが、呉服町などは建物が変わってしまった感じで苦労されたと思います。また、新旧対比をされる場合、昔の写真かフィルム等を持参されるのでしょうか。

    • 準特急さま
      コメント、ありがとうございます。皆さんの励ましのお蔭で、古い古いネタを続けています。あまり馴染みのない都市での定点撮影は、確かに定点を決めにくいですが、私は用意するものは、撮影台帳、その当時の都市地図、ベタ焼きです。この3点が揃っていると、だいたいの見当はつきます。呉服町なども、3点セットで割り出しました。あとは、目星となりそうな明瞭な背景が写り込んでいる写真を絞り込み、現地へ行きます。写真は必ず持参して、現地での微妙な角度や写り込み範囲を確認します。レンズの焦点距離も大事ですね。当時は55ミリの標準で撮っていますので、デジカメのズームもそれに見合う焦点距離に合わせます。
      それと、最近、武庫川の旧線を対比されたtsurukameさんの定点撮影に、実に刺激を受けました。トンネルの杭門跡でも、背景の山の形、範囲が新旧ぴったり一致しているのには驚きました。たいへんなご苦労があったことと思います。

      • 総本家青信号特派員様
        いつも定点対比の話題を、しかも遠くまで出かけての取材で見せて頂き感謝します。街中の対比は建物が変わったり、無くなったり、新しいのが加わったりと、変動が大きな中でのことですから大変だと思います。私らの国鉄・JR対比などは線路がありますし、周りの山も多少変わるくらいですから特派員さんに比べればかなり楽です。

        私も当時の写真を現地に持って行くようにしています。一度だか前日の記憶だけで出かけて撮影し、帰ってから見るとかなり違うことになりました。現地で写真と照合しないと、記憶だけではやはりいい加減になります。ただ武庫川の件、そんなにピッタリではないですよ。なんだか面はゆい感じです。結構いい加減です。それにつけても30年40年も経てばあらゆる変化が大きく、時にがっかりする場合もあります。

        話変わります。私も昭和37(1962)年、周遊券を3週間目いっぱい使い九州を何週もした経験があります。西鉄の路面各線、長崎電軌、熊本市電、鹿児島市電の画像が、街の風景と共に、場所の記録も割合としっかりあります。中には劣化の著しいのがありましたが、時間をかけて修復し、各地30~40コマあります。これをどうしたら皆さんに見て頂けるか思案しています。そんなに沢山デジ青にという訳にもいかず、妙案はないでしょうか。それに車両説明はもっと頼りないことになりそうですが。

        • tsurukameさま
          お褒めの言葉を頂戴し、ありがとうございます。定点撮影は、都市部は道路はそのまま残っていますから、背景さえ分かれば、立ち位置はそれほど難しくはないと思います。むしろ、tsurukameさんのように、自然に還ってしまった廃線跡の対比は、近づけないところも多く困難が伴うと思います。定点対比が出来なかったシーンもあったと思いますが、そのようなご苦労があったことと推察いたします。昭和38年に九州へ行かれたとのこと、私の場合は初めて行ったのが昭和42年ですから、その5年差は鉄道界では大きいものがあります。ぜひ、発表をお願いいたします。

  3. Tsurukame様並びに総本家青信号特派員様
    定点新旧対比と言えばTsurukame様には大変失礼しました。先日の和歌山線笠田や播但線、福知山線、東北もありましたね。いつも新旧対比のご説明にも関心を持って見ております。元来いい加減な私はカメラだけ持って「そういえばこの辺来たことがあったような気がする」で始めた定点新旧対比ですが、古い写真は持って行くべきですね。総本家さんおっしゃる通りレンズの焦点距離も合わせる必要がありますね。地図も要ると思いますが、スマホが使える方なら何とかなるような気がします。何れにしましても新旧定点対比は年寄りの特権道楽と思っていましたが、気合を入れてやる必要がありますね。お二方ご教示ありがとうございました。興味のある方はどうぞ参考にしてください。

    • 準特急さま
      コメント、ありがとうございます。これからも機会があれば、年寄りの道楽の定点対比をしたいと思います。もっと齢を重ねると、三代の対比(昔、少し前、現在)も可能かなと思っています。ただ、このような懐古趣味ばかりに浸っているのも、いかがなものかとも思います。たまたま本日、名古屋から来られた著名な鉄道趣味者と飲む機会がありました。その方は、古い資料・写真のアーカイブスも完璧にされている一方で、どんどん海外・国内へ撮影に行かれています。やはり、高齢者になっても、新と旧のバランスは大事だと改めて思いました。

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