「行商列車」を読んで

2015-7-24 wakuhiro氏の62142「代走鮮魚列車」を見るまでは近鉄にこのような専用列車が走っていることを知りませんでした。つい最近になって山本志乃著「行商列車 カンカン部隊を追いかけて」という本に出くわし、一気に読みました。

表紙

表紙

裏表紙と目次

裏表紙と目次

著者の山本志乃さんは昭和40年生まれで 現在旅の文化研究所主任研究員のかたわら、法政大学非常勤講師もつとめておられる民俗学の専門家のようです。この本は2015年12月10日発刊、A5版250ページの単行本です。近鉄に鮮魚列車が走るようになった社会的背景から始まり、日本人の魚食文化についての民俗学的考察が展開されてゆきます。著者の出身地が鳥取県であることから地元鳥取での行商についてのルポも出てきます。裏表紙のカンカンは山陰本線泊駅を拠点とする行商のおばさんが使っていたもので 倉吉線西倉吉、関金、山守まで毎日行商に出かけていた話などが出てきます。

我々がDRFC現役の頃には各地でこのようなカンカンを背負った行商のおばさんたち かつぎ屋さんたちを良く見かけたものです。それほど珍しい光景でもなく 早朝の駅で見たことが多かったように思います。実は倉吉線に何度か訪れた際、京都発の夜行普通列車で夜明け前に倉吉に着き、倉吉線の始発混合列車に乗り換えた時の記憶がよみがえってきました。長い貨車の最後部にオハニ61が1両連結されていました。オハニですから通常のオハ1両よりは狭いのですが、早朝にも関わらず満席に近く、遠慮しながらおばさんたちの間に座ったように思います。このとき貨車は西倉吉止まりで西倉吉から関金まではC11+オハニ1両だったことはよく覚えていますが、おばさんたちがどこで降りていったとかは覚えがなく、車内風景や駅での乗降風景などは一切撮っていません。今にして思えばC11も大事ですが、車両以外にももっとレンズを向けておけば良かったのにと思ってしまいます。

そんな後悔が先に立つなかで北海道でのスナップが1枚だけ残っています。

行商指定車のサボ

行商指定車のサボ

昭和46年3月5日に函館本線のどこかの駅で撮った1枚ですが、どこでどの列車を写したのかはわかりません。スハフ32269は当時岩見沢区所属です。サボの右下隅に〇に「手」の略号があります。最初手宮かと思いましたが手宮線はかなり以前に廃止されているので これは「手稲駅」を示す略号かと思いますが確証はありません。古い時刻表を見ると手稲始発の客車列車があったようですから「手稲」だろうと推察しました。

近鉄の他に京成電鉄でも農産物を中心とした行商列車があったようですが、すでに廃止されています。そう考えれば私鉄でも新聞輸送や郵便輸送を担っていたことが思い出されます。更に遡れば行商ではないにせよ、地方私鉄には「鮮魚台」付きガソリンカーが各地に出現したこと、あるいは江若鉄道でも琵琶湖で採れた淡水魚を車内に積み込んでいるので床が水浸しになり、生臭さかったというような思い出話のことなどから鮮魚輸送の今昔についても考えさせられました。この本は決して鉄道図書とは言い難い1冊ではありますが、昭和の鉄道風景の一断面を思い出させる好著だと思いますのでご紹介しました。皆様の思い出話をお聞かせ下さい。

 

「行商列車」を読んで」への5件のフィードバック

  1. 西村雅幸様
    貴重なサボの記録をお持ちなのですね。近鉄の鮮魚列車は有名ですが1回その姿をキャッチしたいと思いながらまだお目にかかったことがありません。朝9時ころに鶴橋に現れるようですが無くならないうちに撮りに行こうと思っております。ところで近鉄(参宮急行)2200系が最後の活躍をしていた頃に一部の列車の宇治山田寄りの先頭にモニ2300(デトニ2300)という車両がありました。2200系のクロスシートは評判でしたが、この2300はコンパートメントの特別室が残っており、近鉄に造詣の深いDRFC仲間と好んで乗ったことがあります。かつては貴賓室であったり、一部レクレーションカーであった車両でありますが、魚の臭いがしたのを意外に感じたことを覚えています。行商のおばさんがいつも占拠していたのかもしれません。

    • 準特急様
      コメントありがとうございます。2200系の重厚感は新京阪P6と同様電車ファンではない私も好きな車両です。キハユニやキハニが好きな私にはデトニという響きや雰囲気も大好きです。「行商列車」によると近鉄の鮮魚列車は「伊勢志摩魚行商組合連合会」という団体の貸切列車扱いで、日曜祝日を除く毎日1往復運転されているそうです。5:50に明星車庫を出庫、宇治山田へ回送。6:09宇治山田発。伊勢市、松阪、伊勢中川、榊原温泉口、伊賀神戸、桔梗ケ丘、名張、榛原、桜井、大和八木、大和高田、布施、鶴橋と停車し、8:57大阪上本町着だそうです。夕方は17:15上本町発、19:33松阪着、19:47明星車庫入庫だそうです。この行商組合には沿線の鳥羽市、伊勢市、松阪市、津市に6つの支部があり現在は会員数も随分減ってしまって100人を切っているようです。やや古い統計ながら乗車が圧倒的に多い駅は松阪駅だそうです。近鉄、松阪と言えばT氏はどうされていますでしょうか。

  2. 西村雅幸様
    早速のダイヤ等情報有難うございます。停車駅を見ると我々が乗ることができた晩年の2200系の急行停車駅に近いですね。桔梗が丘という駅はその頃にはなかったような気がしますし、布施は停車しなかったと思います。

    • 準特急様
      ダイヤについては「行商列車」からそのまま転記しましたので、確証はありません。上本町に到着後、夕方までどこで昼寝しているのかも判りません。wakuhiro氏など沿線で日頃接しておられる方からの情報提供もお願い致します。

  3. 遅ればせながら参入です。老人が魚屋の行商列車に始めて載ったのは昭和26年7月10日頃です。同志社中学に進学した人なら覚えていると思いますが、1学期の最後の授業は由良海岸での水泳特訓であったこと。我々の先輩はテイサンバスの貸切で由良海岸直行であったが、この年の由良行きは保津川洪水で国道9号が不通となり、急遽福知山線、宮津線経由の豊岡行きとなった。早朝学校集合、テイサンバスで京都駅へ、そして湘南型の急行で大阪へ、乗った豊岡行き客車は魚の匂いで蒸れ返っていた。それでも我慢しないと立ったままとなる。西成線の外れにある大阪の中央市場で仕入れたオッチャン、オバチャンがナハ240002両を占領してしまったのだ。伊丹からポツリポツリと下車し、篠山口ではドサッと降りたが、それでも柏原まで残っていた。
    鮮魚列車ではマダマダ思い出があるが、夕ご飯の合図ありでここまで・・・・・。

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