北の大地へ2010年初夏編 Part4 富良野線、狩勝峠

第5日目 2010年6月28日
ペンションは、「ほしの灯屋」のオーナーは、奥さんの事故後遺症治療のために、効能良い温泉を探しペンションを始められただけあって、ご自慢の源泉かけ流しの湯は、疲れ限界に達した我々には最高でした。昨夜寝る前、朝も入って、元気になりました。

宿泊客は、香港から来られた親子連れもいらっしゃいまして、5組9名でした。山や動物写真を撮っておられる猟友会の方々もおられ、今年は雪が多く餌不足で、熊やエゾシカが人里に下りてきている。遭遇する可能性が高いので気をつけるように、熊は嗅覚聴覚が人間の数10倍以上優れているので、声や鈴で音を出していれば遠ざかってくれるが、偶然出会いがしらに会った場合は一撃でやられる。そんな時は身の回りのものを置きながら熊の興味を引き付け、ゆっくりと離れる事。約50m外が安全ラインなので、越えたら一目散に逃げるようにしなさい。
エゾシカはグループで行動する。1頭が道路を横断した時は、避けられたと安心してはいけない。鹿は必ず2、3頭目が続いてくる。皆これと衝突する。衝突すれば被害は甚大で車が大破する。暗くなると行動が密になるので我々は、夜は絶対に走らない。とアドバイスを受けました。

夕刻の撮影が好きな我々です。そのため撮影後、夕闇の中を走る機会が日常的です。聞いた途端に夜の走行は止めなければと思いました。
お薦めします温泉ペンションは、白金温泉「ほしの灯屋」です。
http://www9.plala.or.jp/hoshinoakariya/

朝食をゆっくりとって、遅めに出発しました。9:20上富良野駅着


▲ 10:34、美馬牛→美瑛 728D  ▲ 10:51、美瑛→美馬牛 トロッコ1号9431

10:00美馬牛に移動、美瑛~美馬牛間で撮影開始です。午後は狩勝峠に行く予定ですので、余り時間はありません。前回撮った場所へ案内しましたら。下草が多くギリギリといったところでした。


▲ 12:20、西中→上富良野 トロッコ2号9432レ
▲ 通過列車もある西中駅 朝焼けか夕焼けに撮ってみたい駅です。 

上富良野~中富良野間移動しながら、昨日見えた大雪山連峰または反対側の丘陵をバックに狙いますが、今日は大雪山連峰が全く見えずです。
それでも線路沿いの砂利道を走り、トロッコ列車等を撮影して、13:00富良野駅に着きました。最近全国各地では行政指導で地域おこしを目的に、無理やりご当地グルメを創作して、市内の店にお願いしてメニューに加えてもらっています。富良野名物はオムカレーとか、駅前近くの店で食しましたが、大盛況した街の二番煎じばかりですね。以前のご当地グルメと言えば、名物駅弁が出てきたのですが、ローカル線では駅弁が駅で売っていなくなって、廃れてくるのも分ります。


▲ 右上が狩勝峠方面で、トンネルが現在線。左に曲がっていくのが旧線で途中で切れています。1966年(昭和31年)9月に新線に切り替わりました。2人共高校生の頃で旧線の乗車も撮影も経験ありません。

食事後、根室本線に沿った国道を走り、14:40狩勝峠越えの富良野側の落合駅に到着しました。旧線時代はここで、各列車の最後部に補機が連結され険しい峠に向かったのです。今は、補機達が待機した広い構内が残るのみです。線路は直ぐにトンネルに入りますので、我々はぶんしゅう7号で、長い上り道が続く国道38号線の峠を目指します。


約15分の15:00に到着。ここで一息休憩。見晴台に上がると、帯広側の広大な十勝平野の展望を見る事ができました。少し霞んでいますが晴天です。かつて矢岳越え、姨捨と並び称された「日本3大車窓」の旧線はどのような経路で登ってきたのか、鉄道雑誌等で見た狩勝峠越え写真の記憶を思い出しながら、考えてみました。

そこで総本家さんは、木々の高さが違っている線を追いながら、多分このルートではないかと推測を立てました。25‰の急勾配と急カーブが連続する難所をC57・D51牽引の列車がD51の補機に押されて登ってきた様子を想像しながら見入りました。

38号線を下っていくこと約30分の15:45D51 95が静態保存展示されているSL広場に着きました。そこに立っていた案内図を見ると、見過ごした新内駅跡とブルートレインホテルの場所が分りました。



今日の宿営地は、500円温泉施設のある「道の駅しほろ」と決めていました。走りたくない夜間走行になりますが、ここまで来て行かないのは悔いが残ります。Uターンして狩勝峠へ向かいました。
途中で左折して進むと、59672号機と3両のブルートレインが見えました。ここが新内駅跡です。小さな小屋があっておじさんが一人、自転車トロッコの管理をしていました。入って良いですかと声をかけると、もうホテル営業はしていないが、ナロネ内は見学できますと丁寧に教えてくださいました。

▲ ナロネ22-153の洗面所もある個室寝台、乗って見たかったですね。

▲ 2段寝台から見たナロネ22-153とナロネ21-551の一人用寝台内。

ナハネ20-132+ナロネ21-551+ナロネ22-153を見ました。20系A寝台車は唯一の貴重な保存展示車です。乗車する事も内部を見る事もできなかった憧れの車両でした。一通り見終わると待ち構えていたようにおじさんが、かつての新内駅の様子やΩカーブの旧路線跡は、ここから車で行く事が出来るよと教えてくださいました。

新得駅からも路線跡がウォーキングロードとなっています。次回は両方共行こうと思い、新得駅に向かいました。まだ昼食を食べていません。新得のそばは道内一と言われているので楽しみにしていました。目指す蕎麦屋にいきましたら、15:00で営業終了です。仕方がないので駅前の蕎麦屋に入りましたが、うどんの太さの蕎麦が出てきてびっくりしました。のど越しを楽しむと言うより噛まなければ食べられません。

食後さっと新得駅を見てみましたが、駅舎は改築され、狩勝峠へと向かう列車の補機がたむろしていた構内は、落合駅同様にすっきりとしていました。
石勝線にあるΩカーブで撮りたいと願う総本家さんの希望で、撮影ガイドどおりに車を走らせますが、ありません。何度もルートを変えて探しますが、あざ笑うかのように撮影目的の列車は過ぎ去ってしまいました。高架橋になっていますが、風雪防止のガードが設置されていて。窓下周りは撮影不可です。撮影ガイドもたまには違っています。


十勝清水駅
にも寄り、駅横スーパーで買出しを済まして、夕暮れとなった十勝平野を「道の駅しほろ」に向かいました。広い駐車場でしたが、入浴客と宿営者の車で一杯近くになっていました。今回は直ぐに入浴時間を聞きに行ってから、ゆっくりとしました。 Part5 へ続く

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