日本一の農村風景が見られる明知鉄道へのご案内 Part4 明知鉄道を撮る3

▲ 11:03 明知駅手前の気に入っている撮影場所で撮っていなかったアングルが欲しかったのでゲットしました。7D 明知行きです。

4月13日 その2
a▲ 11:10 明知駅に着きますと11:17に発車するイベント列車に乗務する女性アテンダントさんから声をかけられました。どうも先ほど本社に電話をした時に電話口に出ていただいた女性のようです。「電話してくださった方ですね。私は今からイベント列車に乗務しますのでここからの対応はこの担当が案内します。」と言い残して列車に乗られました。
その担当者からご案内させていただきますと、連れて行ってもらったのは車庫の裏手でした。道理で駅からは見えない筈です。また現役時代は明知方向が正向きで運行されていたようですが、今回はなぜか恵那方向が正向きとなっています。
【C12 244号機の略歴 】
1940年(昭和15年)7月30日。日立製作所にて製造

配属機関区
1940年(昭和15年)8月8日 白山 機関区
1954年(昭和29年)9月14日 新潟 機関区
1962年(昭和37年)3月28日 直江津 機関区
1969年(昭和44年)9月26日 中津川 機関区
1970年(昭和45年)4月20日 稲沢第一機関区
1970年(昭和45年)10月29日    西舞鶴 機関区
1972年(昭和47年)4月13日 厚狭 機関区
1973年(昭和48年)3月28日 中津川 機関区
1973年(昭和48年)11月30日 廃車
1974年(昭和49年)4月4日   明智小学校校庭に保存展示
2013年(平成25年)12月2日 明知鉄道明知駅に移動
その後2015年(平成27年)7月にコンプレッサーによる圧縮空気で走行試験
2015年(平成27年)8月9日  「あけてつSLフェスタ」開催時に公開試運転

▲ 車庫です。C12244号機はこの左側に留置されています。
訪問日と人数が確定しましたら連絡させてもらいますのでよろしくお願い申し上げますと、申し上げて車庫を去りました。

▲ 11:32 山里の雰囲気がする野志付近を行く急行「大正ロマン号」恵那行きです。

▲ 11:48 追い越して岩村駅で到着を待ち受けました。

▲ 11:49 岩村駅は交換駅です。恵那側からは明知行きが続いて到着です。

▲ 日本山城の1つ岩村城に向かって城下町、宿場町の旧家が続く岩村の街並みです。街はずれまで歩くと約30分はかかるので今日は車に乗ったままで全体の把握をしました。GoogleMapから探索しますと、駅からお城までは約2.6㌔、徒歩約45分の結果ですがゆっくり歩くには1時間は見ておきたいですね。

▲ 岩村散策案内のパンフです。重いファイルですが詳細がご覧いただけますのでクリックしてください。

▲ 12:02 次に向かったのは駅名が気になる極楽駅です。開業は明知鉄道となっての2008年(平成20年)12月25日です。
近くにはスーパーマーケットの「バロー」やホームセンターなどがあり、駅は高齢者の方の利便性を向上する目的で建設されたようで建設費の半額はバローが寄付しました。
駅名は一般公募で決定され、平安時代から室町時代初期までこの近くに「極楽寺」というお寺があったことから決まったそうです。
明知鉄道では昔ながらの硬券切符を使っており、「極楽行き」切符を記念に購入される方が多いそうです。切符は、有人駅の恵那駅岩村駅明智駅の各駅で購入できますので是非にお買い求めください。

▲ 12:13 田園の中にある無人駅「飯羽間」(いいばま)です。
1959年(昭和34年)1月10日、国鉄明知線の駅として開業しています。徒歩10分ほどに農村景観日本一の風景が一望できる展望台があります。途中には古民家を利用した民宿茅の宿とみだがあってさまざまな農村体験ができるそうです。

▲ 12:44 使われてはいませんが交換用設備の残っています阿木駅です。また急行「大正ロマン号」を追い抜いていましたので到着を約20分待ちました。

▲ 阿木駅の開業は1933年(昭和8年)5月24日と、明知線開通時です。側線にはアケチ2が保存?されています。
▲ ロマン号の後部車両には寒天列車のヘッドマークが付けられていました。食堂車は寒天料理のようです。

▲ 13:06 阿川鉄橋を渡るのは恵那行きの12Dです。

これで全駅走破です。後、訪問しておきたかったのは宿泊予定の国民宿舎恵那山荘です。送迎者が出る飯沼駅経由で向かいました。
▲ 阿木 13:34⇒13:51 国民宿舎恵那山荘は約10.3㌔、所要時間は約21分でした。

▲ 所要時間は長くはありませんでしたがいろは坂が続きますので運転していても辛いものがありました。恵那山荘の部屋は6畳和室に二人部屋です。

14:51 恵那駅にある観光案内所に再度寄ってから帰途に着きました。

以上が今回の明知鉄道への旅の下見レポートです。観光の旅、乗り鉄、撮り鉄とも可能です。集合時間は現地恵那駅16時にしておりますが、ゆっくりと観光するのであれば早めに出られて岩村の街並みと岩村城を見学されればと思います。

【 行 程 】
ギリギリ案 京都12:00(新快速)⇒12:53米原13:00⇒13:35大垣13:41(新快速)⇒14:13名古屋14:24(快速)⇒15:27恵那

ゆったり案 京都8:00(新快速)⇒8:55米原9:18(新快速)⇒10:28名古屋10:46(快速)⇒11:55恵那12:25⇒12:57岩村(岩村散策観光)15:37⇒15:51飯沼 ※ 時間に余裕がありますので花城温泉等に行くこともできます。出発日前にはいろいろな行程案を提案させていただきます。   トップに戻る

日本一の農村風景が見られる明知鉄道へのご案内 Part4 明知鉄道を撮る3」への17件のフィードバック

  1. ぶんしゅう さま
    詳細な案内を有難うございます。今回の食堂車は山菜弁当だそうですが、小生は5年ほど前に高校時代のクラブOB会で写真の「寒天列車」に乗りました。美味しかったですよ。旧国鉄等のほんまもんの食堂車以外の、ロングシート車の通路に机を置いたパターンは初めてでしたが、向かいの人とちょっと離れているかなと思うほかは、特に違和感はありませんでした。観光バス1台分の大勢で乗り込んだので、当日の列車は一般客用1両+食堂車3両の長大4両編成でした。当時何両の所有だったかわかりませんが、当日他に目にしたのは途中の岩村で交換した1両だけでしたから、総動員で我々団体を受け入れてくれていたのかもしれません。因みに一般用1両は明知到着後にすぐに切り離され、入替後に折り返し列車として反対ホームに据え付けられました。やはり他に車両がなかったようでした。

    • 「寒天列車」に乗車されましたか、今回は土曜日は既に満席でしたので日曜日の「おばあちゃん市山岡」のお弁当になりました。4両編成とはすごい列車でしたね。私が見た土曜日は3両編成でしたので総出演で対応していたのでしょうね。

  2. ぶんしゅう様 明知鉄道の案内ありがとうございます。なかなか沿線風景がいいのがうれしく思いました。ぼぉ~と車窓から風景を眺めるのもよし、街歩きもよしということで旅行の行き先としてはいい選択だと思います。私は以前投稿したO君からの年賀状にあったC12撮影場所を特定するために現地調査をする予定です。投稿時に皆様から場所をいろいろ考えていただき、ある程度はわかったのですが現地を訪れて確認したいと思っています。中央道ができたりしているのでかなり風景が変わっていると思います。まずは1974年発行の恵那1/25000地形図を取り寄せる段取りをしましたので、この地図を見ながら探索することにしました。それと恵那からは岩村電気軌道と北恵那鉄道大井線の廃線跡があるそうです。ほとんどが廃線跡は道になったり、岩村電気軌道では一部はダム湖に水没しているようです。これも昭和10年発行の1/50000地形図を取り寄せて現在の地図と比較して行くことが出来るところは行ってみたいと思っています。なかなか盛りだくさんな鉄道沿線で今からワクワクしております。 明知鉄道の偵察ありがとうございました。

    • どですかでん殿
      全国各地に点在する山城のなかで、海抜721mと最も高地にある山城として有名な岩村城も一見の価値はありますよ。ただ登城口から本丸まではかなりきつい登りが続きますが。大井線や岩村電軌の痕跡探しも興味深いですね。1泊ではとても回り切れませんね。

      • 西村様 三大山城のひとつですね。岡山の備中松山城、奈良の大和高取城、そして美濃岩村城。標高721mとなると標高621mの生駒山より高いところに城があるということになるのですね。

    • 明知線が建設される前には岩村電気軌道もあったのですね。それなら廃線跡を見に行っても良かったのですが知りませんでした。でもダムに水没した所は無理ですね。山に入る前というとほとんどが街中で既に道路になっている所が多いと思われます。全線約12㌔を歩くのはちょっと辛そうですが挑戦する価値はありますね。レンタサイクルがあれば助かります。

      • 廃線跡を歩くのは飯羽間駅から岩村駅の間が言いようです。「飯羽電車道発展会」があって9月頃に村おこしのイベントをおこなっているようです。電気軌道というのであるからほとんどが併用軌道であったようです。道がそのまま廃線跡というか線路があった道が残っていれば廃線跡となるようです。時間があれば岩村駅から少し軌道があった道をあるくのもよいのではと思います。

      • 腹の立つことに、昨年から妻の友人夫婦と台湾旅行の約束をしていて変更できないのです。
        皆様に申し訳ないことです。お許しください。

  3. 以前に投稿させていただきましたが、岩村の街はなかなか良かったです。
    農村景観展望台には、通りかかりで看板を見て寄りましたが、その時は???でした。

    何年か前に壺阪寺を訪れた際に、大和高取城址には登りはしませんでしたが、高取の街中を散策しました。当地の石畳が、阪神大震災時に出土?した阪神国道線の敷石とのことでした。

    • 岩村城には行かれましたか?
      岩村駅から徒歩では本丸までどのくらい時間がかかったのでしょうか?

      • ぶんしゅうさま

        その際は岩村城入口辺りの岩村山荘に泊まったのですが、クルマでした。また、夏で暑さに負けてお城の上までは断念しました。お役に立てずすみません。
        ご提示の「ゆったり案」で街歩きには十分でしょうが、お城の上まで上がるのは時間的に厳しいかもですね。

    • 宇都家さん、今度の明知鉄道へは是非ご一緒しましょう。
      そして、「女城主」を一献傾けましょう!
      楽しみが増えました。

      • 会長さま

        返信遅くなり申し訳ありません。
        女城主で一杯、といきたいですが、残念ながら別件ありまして参加できません。
        またの機会にご一緒できればと思います。
        盛会をお祈りします。

  4. 岩村城は2回行きましたが、石垣が見事で雰囲気の抜群にいい城です。また苗木城というのも少し離れていますがあったと思います。これも見る価値があります。

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