阪和モタ303

震災の影響でしばらく休載でしたが、再開されたようです。

さて、このモタ303、文中の「京阪電鉄スタッフが開発に関与した」とあるのはどういうことでしょうか?また、「アイスキャンデー塗装」とはなんでしょうか?京阪が阪和電鉄と関係があったのでしょうか?アイスキャンデー塗装というのは、文脈から想像するに窓部分を挟んで上下が同じ色のツートンカラーということでしょうが、こんな表現があったのでしょうか?

今回は、疑問がいくつも浮かんだ電車でした。長老の皆様、河様、ご教示ください。

阪和モタ303」への3件のフィードバック

  1. 待望の阪和ですが、残念な事に小生はこの時期に実見する機会はありませんでした。
    京阪電鉄ですが、阪和電鉄が開業申請をした頃に和歌山の電力会社を買収しており、その電力販売の目的で阪和電鉄に接近して同社の開業免許取得に強力しました。その縁で線路建設や車両設計にも首を突っ込んだ模様で、実際には経営にまでは参画しなかったようです。
    また、アイスキャンデー色については幼少時の記憶をたどると、昭和25年前後の時代オジサンがチリンチリンと鐘をならしながら自転車で売りに来たアイスキャンデーが空色系に着色されていたような気がします。
    一方、当時京阪神間に走っていたアイスキャンデー色と言われた52系急電の塗色は、このモタと同じ濃淡の水色で、窓下に細い赤線が引かれていたのをオボロゲに覚えています。
    戦後、阪和線にモタ300による急電が復活したのは1949年3月25日で、この時アイスキャンデー色だったのかどうかは前述の通り実見確認はできませんでしたが、同じ年の4月10日には京阪神間にアイスキャンデー色の52系による急電が復活しているので、それに合わせて同色だったと推察できます。
    これは、後に京阪神間に入った80系に押し出された52系が阪和線に転属した時に塗色を80系と同色にしたのと同じです。
    ただ、これまでモタ300がアイスキャンデー色をした写真は鉄道関係の書籍などで見たことがありません。

  2. 早速のご教示、ありがとうございます。
    それでは「アイスキャンデー色」とは、塗り方ではなく、この色彩にあるのですね。よく分かりました。それにしても京阪が紀州方面にも興味を示していたのですね。京阪の野望がすべて成功していれば、いまの近鉄や名鉄にも負けない大私鉄になっていただろうと思うとワクワクしました!

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