これが65年前、昭和30年の多度津・琴平〈上〉

山科の人間国宝さんから提供していただきました

クローバー会の多度津・琴平ツアー、好天に恵まれて、マスク以外は何の制限もなく、みんなで思い切り楽しみました。お世話になったブギウギさん、77-タツさんには改めて御礼申し上げます。本欄でも、参加の皆さんから当日や前後の行動記録が綴られています。私は、この歳に相応しく、過去の思い出でもと思ったものの、四国には縁がなく、鉄道に接したのは、今世紀に入ってからという奥手です。そこで、一計を案じて、山科の人間国宝様にご登場いただくことにしました。長老は昭和20年代後半から何度も四国を巡っておられます。ほかの地域でも魅力的な車両がいっぱい見られた時代だけに、アクセスも不便だった四国には、地元のファン以外では、きっちりした記録を見かけません。並外れた長老の行動力には、改めて敬意を表します。われわれが訪れた多度津・琴平に限定して、その記録を特別に載せました。昭和30年8月3日、長老は多度津機関区を訪問、「せと」のヘッドマークを付けたC58 255〔多〕の晴れ姿。

昭和25年10月改正で、四国に初めて優等列車として、準急「せと」「南風」が走りました。東京~宇野の急行、宇高連絡船に接続して、高松桟橋~松山・高知に新設されたものです。当時は、一部を除き、準急・急行には愛称は無かったのですが、四国の看板列車にすべく、四国独自に愛称を公募して、「せと」「南風」と命名されました。高松桟橋を両列車併結で15:20に発車、多度津で分割されました。「せと」は、その後、予讃線の終点の宇和島まで延長、昭和36年に気動車化されます。

高松桟橋15:20発、高松15:24発で、多度津までは高知・宇和島行き「南風」を併結、多度津では、16:07に「南風」が先に発車し、C58 255の牽く「せと」は16:11に発車する。「多度津附近」と記されていて、われわれが2700系特急を撮り、街歩きのために渡った踏切の当たりだろうか。多度津機関区に置かれていたマッチ箱客車、一瞬、過日、井原さんから紹介された佐川町に保存され、以前、多度津工場に展示されていた、ロ481かと思ったが、窓配置が違っていて、下等車の廃車体のようだ。こちらは特徴ある車体からして、キハニ5000と分かる。昭和4年の国鉄初のガソリンカーで12両が造られた。地方の小運転に使われ、四国では、徳島~小松島で用いられたことが知られている。正面屋根の大きなラジエターはもう無いが、取り付け座が残っている。続いて長老は、多度津工場へ行かれている。検査上がりで、ピッカピッカのオハ31 465をまず撮影、末期のボロボロの姿しか知らない身には、衝撃的な美しさ。まだ四国では31系客車が大活躍していた時代だった。多度津工場の救援車、ホエ17011 当時でも「ホ」級の救援車は比較的少数だった。工場の一角に泥だらけの「ツ」や、長物車に載せられた車体だけの貨車が連なっている。左のように、ひしゃげた貨車もある。この年の5月11日に、宇高連絡船「紫雲丸」が、貨車航送船「第三宇高丸」と、高松沖で衝突、沈没し、多くの犠牲者を出した紫雲丸事故があった。いずれかの船で航送中に沈没し、引き揚げられた貨車が、証拠物件として工場にで保管されていたようだ。

 これが65年前、昭和30年の多度津・琴平〈上〉」への5件のフィードバック

  1. 前編・後編通して見させて頂き圧巻です。
    これに匹敵するのは40年以上前のB5サイズの「Rail」に乗っていた戦前の四国の鉄道訪問記くらいだと記憶します。
    (根本さんだったか、筆者をあとで調べてみます)
    私個人の思いは、四島で国鉄の電化が最後まで取り残されたところ。
    その代り気動車の時代に弾けるように、いや鬱憤を晴らすように気動車準急と急行列車網が予讃・土讃二本線を中心に走り回り、夜行便まであったところ。その四国の開国前か夜明け前の風景を見るようでした。

    四国は運輸量の関係で、8620とC58が主役で、私はD51投入の記録は雑誌「蒸気機関車」の記事で知っていました。
    四国に取りエース機のC58が準急「せと」と「南風」を牽き始めた時代は、戦後の混乱が収まり湘南電車が登場し、次代の新性能電車による高速化とディーゼル動力で無煙化を国鉄が目差し始めた時代に、明るい知らせであったと思います。
    北海道や四国、それに九州の福岡県以外が、暗黒の大陸とは思わないのですが、本州に較べて一段二段劣る交通機関の旧い設備と車両に、学生時代に旅行をする度に衝撃を受けた、十代後半から20代前半の感覚が懐かしい。
    今回の四国旅行を鉄道で達成できて、本当に自分も長く生きたなあと感じました。山科の大先輩が見て歩かれた時のご感想が聞けたらなあと、思った次第です。

  2. コメント失礼します。
    小生は白帯を巻いた事業用代用の有蓋車が好物で現在、番号と配置局、それから用途を纏めて1277両まで調べました…
    しかし、1963年以前のワム1形、ワム3500形についてはまた調べていませんが、ホエ17011の隣は四国局配置の救援車か多度津工場配給車代用のワム1形かワム3500形でしょうか?
    もしご存知ならばホエ17011の隣の車両は何なのか教えてください。
    よろしくお願いいたします。

    • 白帯ワムのファン様
      ご返答が遅れて失礼しました。ご覧いただき、ありがとうございます。「白帯を巻いた事業用代用の有蓋車」がお好きとのこと、1277両も調べられたとは驚きです。それほどの両数があったのですか。佐竹さんのネガを取り出して、再度調べましたが、残念ながら該当の貨車は写っていませんでした。少し時間は掛かりますが、佐竹さんが多く撮っておられた客車の横に、よく白帯車が入っているケースもありますので、調べておきます。

      • 総本家青信号特派員様、こちらこそ返信が遅くなりましたが、私は白帯車などの事業用代用有蓋車を探索及び調査していて、現在白帯付き以外の車両含め1,881両まで到達したところです。なかなか白帯有蓋車の写真が探しても出てこないので、このサイトでもいつしか白帯を巻いた有蓋車の投稿があれば良いですが…。そういえばかつて貨車の研究家であった故吉岡心平氏が出版した白帯を巻いた貨車の本にも使用されなかった白帯有蓋車の写真が多くあるようで…、こちらも誰かが公開して欲しいものですね、白帯有蓋車の世界はまだわかってない車両がほとんどですから。

        • また間を空けておりましたが、また機会がありましたら白帯を巻いた有蓋車の写真投稿お願いいたします…

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