いとしの広電1900形 ②  ~路面電車あれこれ噺~

広島1900列伝 ①

広島の1900形、続けます。思いのほか、多くの皆さんからコメントや思い出を頂戴し、皆さんの“1900愛”を感じています。改めて、広島へ行った際に、気張らずに撮った1900を調べてみると、そこそこの点数になっていました。番号順に挙げてみると、全車撮影かと気色ばんだのですが、結局15両のうち2両は撮り逃がしていました。ここでは、撮影した13両を番号ごとに、紹介していきます。冬晴れの広島を行く1902(「桃山」←京都1917←京都917) 原爆ドーム前

的場町のカーブを曲がり相生通りに入る1901(「東山」←京都1916←京都916)宇品線終点の広島港、大屋根の下にホーム3面を有する 1902 紙屋町交差点で右折する3系統、遠景でも、グリーンにオレンジ帯は、すぐ識別できる。1902元宇品口付近で左折、宇品通りに入る1903(左)(「舞妓」←京都1918←京都918)1900同士の交換も珍しくない。1904(左)(「かも川」←京都1923←京都923)狭い街路に石畳み、そして1900、もう京都市電を見るようだ。1907(左)(「銀閣」←京都1924←京都924) 宇品三丁目皆実町六丁目で右折する0系統、定期系統1~9に該当しない区間運転や入庫系統は「0」系統となる。ビートルズのLPジャケット“ABBEY ROAD”にそっくり? 1906朝は通勤客・通学生で埋まる紙屋町西付近、ビルのすき間から差し込む光に1900は輝きを見せる。1907原爆ドームと1900は、広島へ行くたびに狙った組み合わせ。1907

(以上、おもに2010-12-10撮影)

 いとしの広電1900形 ②  ~路面電車あれこれ噺~」への1件のフィードバック

  1. 総本家様が1905号を撮り逃されたようなので、貼り付けました。2010年5月の日赤病院前です。
    2008年に転職した建設会社の創業地が広島で、施工物件もたくさんあり、広電と物件の撮影、ミュージアム巡りにほぼ毎年のように、広島詣でをしてきました。日赤病院前電停の左側にある「広島赤十字原爆病院」も施工物件です。旧病棟は原爆投下の際、建ち残った数少ない建物で、負傷者救護の拠点となりました。

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