山科電化当時の記憶(その2)

山科大築堤での直線部分ポール建植/ビーム取り付けが終わり、次いでカーブ部分が着手された。前者のポールは先端がやや細くなったものだが、カーブ部分は根本から先端まで全部同じ太さのズングリである。


中央腰にカバンを下げているのが責任者 右側制服姿は立会いの保線区員

東山隧道東口付近でポールを下ろす作業を撮影していて、若い監督と仲良くなった。恐らくは大卒の電気技術者であろう。腰に下げたカバンには、非常時用の雷管や発火信号が入っている由。無線機もない時代だから、もし作業中に本線運行に支障するような事態が発生すれば、赤旗かレールに仕掛ける雷管信号(列車が踏むと火と煙が出て非常事態を告げる。相当に走って前方に仕掛けないと効果がない)、それに発煙信号しかないのである。

山科-京都間5.5kmには途中に亘り線などないから、山科からポールを運んできたトロリーは、荷を降ろすとまた山科に戻らねばならない。その帰りのトロに乗せて貰った。車輪径が小さく、床が極めて低いからバラスをかすめて這うようで、速度は40~45km/hぐらいかと思うが、何とも迫力充分で、そのスピード感は小生の乏しい表現能力を超える。安全ベルトの類は一切なく、何かに掴まっているだけだから、放り出されたら「一巻の終わり」は間違いない。流石に天下の東海道線だから50kレールだが、スプリングはいいとは言えず、結構突き上げショックや縦横斜めの「全方位」振動があり、余計迫力を増す。

運行休止中の中央線(上り右側線)を走ったのだが、途中D51745牽引の976レを後ろから一気に追い抜いた。1/50ぐらいでシャッターを切ればまさしく迫力満点の列車写真が撮れるのだが、何分ともトロリーの振動が激しく、1/250にせざるを得ず、余り地面も流れていない。それでもブレているのはトロリーの振動である。画面をクリック拡大してご覧あれ。撮影は1956年1月24日。


976レを追い抜いたトロリー列車

その翌日だったか、翌々日だったか、朝刊雑報を見て絶句した。大築堤上で電化工事関連輸送中のトロリー列車が脱線転覆し、何人かが殉職。その中にあの若い技術者もいた。原因はスピードの出しすぎとあった。


直線部分には既にポールが建ちビームも取付済 京津線は200型

穴にポールを吊り下げてソロリソロリと入れ 土を埋め戻し踏み固める 全て手作業

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