さっそく大津の86さんがレポートして頂きましたので、私は補足説明的に2日間の印象に残ったシーンをご紹介します。まずは8日 新見から乗車した443D(キハ120単行)の混雑ぶりです。
岡山で伯備線に乗る前にお弁当を買い、新見からの芸備線車内で沿線風景を楽しみながら食べようと思っていましたが、伯備線新見行き849M(2連)の混み具合から考えると、かなりの人が芸備線443Dに乗り換える雰囲気で とても443Dでは座れそうになく、伯備線内で急いで弁当を食べました。正解でした。青春18の期間は避けねばなりませんね。
備後落合まで約1時間半 443Dからの車窓風景を楽しむどころか 立ちっぱなしでした。途中駅での停車時に「木次線に乗り換える方は手を挙げて下さい」と運転士がアナウンスし、「約20名ですか?」「いや 30人?」「もっといますよ!」とのやりとりがあり、ジャンボタクシーを手配することが告げられました。ジャンボタクシーは定員が決まっていますから、こんなアバウトな数え方で積み残しが出たらどうするのかと心配になりました。備後落合に着くと、ジャンボタクシー2台とタクシー2台、そして木次鉄道部の総務科長さんが駅前で待機していました。しかし案の定このタクシー4台の定員以上の乗客がいることがわかりました(多分40人以上)。科長さんからは改めてタクシーを追加手配するので、不公平になってはいけないので 全員が乗れるだけのタクシーが揃うまでお待ちくださいとの説明でした。追加手配するといっても どこの町から走って来るのか判らないような山あいですから、全台数揃うまで発車を待ってくれという説明に文句を言う人も出るのではと思いましたが、誰も文句を言う人がいなかったのは どこかの国とは違うなと思いました。科長さんに「我々の団体17名はバラバラになりたくないので、他の乗客の皆さんが今来ている4台に乗れるのなら、先発してください。我々は待ちます。」と申し出て 他の乗客には先発してもらいました。そして我々と科長さんが駅に残り、記念撮影をしたりしながら、代行バスを待ちました。すると予想外に早く中型バスが来てくれました。科長さんも同乗し 我々だけの貸切バス状態で備後落合を出発しました。先発したジャンボタクシーは出雲横田までの代行輸送で 乗客は本来の1462Dに乗り換えです。しかし我々のバスは出雲横田での1462Dへの乗り継ぎには間に合わないだろうとの判断で 木次まで直行となったのです。
さて今回の木次線ツアーの目玉は何といっても出雲坂根の3段スイッチバックの乗車だったと思います。翌日にまた備後落合に向かう人は良いとしても、宍道に向かうメンバーにはさぞかし残念だったであろうと思いました。そこで我々だけの貸切バス状態であることを良いことに、総務科長さんに 出雲坂根駅で延命水を飲み、駅構内を見るために臨時停車して欲しいとお願いし 約10分程度停めてもらいました。そんなロス時間を含めても結果的には木次にはほぼ定刻に着くことができました。
天野館は創業が明治時代、別館は大正の建物ですが、きちんとメンテされていて清潔で食事も申しぶんありませんでした。何より本館の宴会場から満開の夜桜が見えるのは最高でした。
C56108保存会の堀江副会長のお話も非常に興味深く、またプロジェクターに映し出される人間国宝氏や準特急氏の貴重な写真を お料理を運んで頂く女将や女性陣も座り込んで見ておられました。地酒や木次ワイン、焼きサバ寿司などで遅くまで話に花が咲きました。
翌朝 天野館から木次駅までは10分余りですから、私は朝食前に出撃しました。9日は日曜日ですから木次着6:24の5440Dは運休ですが、7:00前に3本撮影できます。駅周辺で出発風景を撮影しました。
斐伊川堤防の桜も見事でしたが、駅の裏手の山の桜もすばらしかったです。どんよりとした曇り空だったのが残念です。
天野館は道をはさんで本館と大正時代の別館に分かれていますが、別館にはよく手入れされた庭や茶室があり 風情豊かな宿でした。(越後鹿渡館、加太村田屋と同様 DRFC/クローバー会指定旅館にしてはと 陰の声)
天野館から木次駅に向かう途中に 昨夜味わった地酒「美波太平洋」の醸造元 木次酒造がありました。ここも古い建物が現役で使われていました。
朝の掃除をされていた奥方に「なぜ美波太平洋という銘柄になったのですか?」とお尋ねしましたが 「名前の由来はよくわかりません」とのことでした。
私は「奥出雲おろち」号で備後落合に向かいました。備後落合に向って 先頭が開放型のスハフ13801、次いで暖房の効いたスハフ12801 そしてリモートコントロールのDE15の推進運転です。スハフ12は雨天時などの控車ですから、2両に1両分の乗客が乗っているわけです。この日は満席と聞いていましたが、先頭のスハフ13は空席が目立ちます。防寒対策をしていない人には先頭車は寒く、うしろのスハフ12の方が混んでいました。
車内販売の木次乳業の冷たい牛乳、ヨーグルトなどはさすがに売れ行きが悪そうでした。
八川駅では 予め注文してあったソバを買うお客さんも多かったです。昨日落石で不通になった区間を難なく通過し、出雲坂根に到着です。地元のボランティアガイドさんが車内で案内してくれるのは有り難いのですが、もう少し静かにしてほしいとも思いました。エンジン音、走行音を楽しみたい乗客もいるのですから。
出雲坂根から三井野原にかけての山かげにはあちこちに残雪が見られました。
この区間の最大のパノラマ 奥出雲おろちループの国道314号線三井野大橋が見える地点に一時停車しますが、霧雨か雲なのか かすんで見えました。
やがて三井野原駅です。このおろち号で備後落合駅に着いても、接続列車は約2時間待ちです。備後落合で時間をつぶすより、三井野原で下車して出雲坂根まで国道を歩いて戻り 次の1449Dで落合に向かうというT氏、N氏、M氏の3名が下車されました。
備後落合に定刻着。20分後に木次行8422レとして発車しますので、駅を出て急いで国道を戻りました。
撮影後 駅に戻っても1時間以上あります。車内販売で買った 仁多米を使った笹ずしを食べたあと 構内に残るターンテーブルを見に行きました。
運転台に銘板があり 福島市三河北町 株式會社 福島製作所 昭和25年と読めます。下のプレートには製造番号まで打たれています。帰宅後調べたところ この福島製作所は現在も盛業中で主に船舶の甲板機械類などを手掛けているようです。津山市の旧津山機関区(現在の津山まなびの鉄道館)のターンテーブルも同社製だそうです。
そうこうするうちに 14:21まず三次からの356Dが到着し、14:25には新見からの443Dが到着。最後に14:33に宍道からの1449Dが到着し備後落合駅ホームが日に一度賑わう時間帯となりました。
三井野原・出雲坂根間を歩かれた3氏も無事1449Dで到着されました。感想を聞いたり別れを惜しむ暇もなく二手に分かれて14:37新見行き444Dは発車し、14:43私が乗った三次行き359D(キハ120単行)も発車し 私を含め4人が一路三次、広島に向かいました。キハ120に乗り慣れたあとの 三次発広島行き快速のキハ47が広々と感じられました。広島駅到着の少し前に デーゲーム広島:ヤクルト戦が終わっていたようで マツダスタジアムから広島駅に向かうカープロードが帰宅する人たちで赤一色に染まっていたのが印象的でした。広島駅構内も真っ赤に染まっていて 皆さんの明るい様子から今日もカープが勝ったことが伝わってきました。
20名参加予定だったこのツアーでしたが、急な諸事情で17名にはなりましたが、関東方面からも参加頂き バス代行、見違えるように整備されたC56108との再会、満開の桜など思い出深い旅になりました。木次での受入れに何かとお心遣い頂いた堀江様、旅には参加されなかったけれども フォトブック製作などでご尽力頂いた総本家氏はじめ写真提供者の皆様にも感謝申し上げます。
西村様
詳細にわたってレポートしていただきありがとうございます。
また、今回の木次線ツアーでは事前の手配、資料の準備など大変お世話になりました。特におろちさんとの交流を手配いただき、宴会の場で講演をお聴きするなど大変有意義なものとなったこと、西村先輩のご尽力に感謝しております。
宿泊した木次については予備知識なかったのですが、きれいな桜と歴史を感じさせる街並み、次回はもう一度木次に泊まってスイッチバックを体験してみたいと思っています。
大津の86様
スイッチバックの体験ができなかった方には心残りな旅になりましたね。出雲坂根と同様の通り抜けができないJRのスイッチバックは肥薩線の大畑と真幸、豊肥本線の立野と出雲坂根以外は九州です。立野は熊本地震での崩落で不通となっていて 復旧がいつになるのかわかりません。是非リベンジで木次線を訪ねて下さい。トロッコ列車もいいですが、エンジン音を響かせて30‰を登るキハ120もいいですよ。今回の桜は感動的でしたが新緑の奥出雲も撮り甲斐があります。我が家のディーゼルカーもいつでも出撃できますので また木次で一杯やりましょう。