寒中北海道旅行記が遅延状態であることを承知しつつ この記事を書いています。昭和36年6月号の時刻表を見ると上り1114レ「きぼう」号は神戸始発8:55、終着品川着18:15、上り1112レ「ひので」号は京都始発19:55、終着品川着5:10、下り1111レ「ひので」号は品川始発8:43、終着京都着16:30、下り1113レ「きぼう」号は東京始発20:00、終着神戸着5:58と設定されています。特急「第1つばめ」が京都・東京間を約6時間で走っている時代に 上り「きぼう」号は京都・品川間を約8時間で走っているので、決して鈍足ではなかったようです。当時の中学生にとって あのせまっ苦しい車内に押し込められての夜行列車は決して楽なものではなかったでしょうが、「きぼう」に満ちた時代だったのでしょう。さて準特急殿の投稿に刺激されて 中学時代にハーフサイズで撮った写真を探してみたところ、「ひので」「きぼう」を撮っていましたので 恥ずかしながらご紹介します。まずは昭和37~38年頃です。
中学2年生頃 京都から東は草津、西は吹田あたりまで出かけて駅撮りしていました。
昭和39年になると東海道新幹線が走り始めます。試運転が始まった頃には 今熊野の東山トンネル出口へよく見に行きましたが、写真を撮りにくい場所でした。さすがに京都駅の開業前の新幹線ホームには入れないため、梅小路機関区から数多い線路を横切って東海道本線の築堤に登り 新幹線や東海道線を撮っていました。多分新幹線狙いで待っていたときに、上りの「きぼう」号が通過していったようです。
草津駅での駅撮りは問題ありませんが、梅小路横での撮影は今では考えられません。勿論 線路横断の際にはしっかり左右確認はしていましたが、機関区を抜けて本線そばまで行っているのですから 鉄道職員の目にとまらぬ筈がありません。しかし本線脇で通りかかったヘルメット姿の作業員に叱られた覚えもなく、おおらかな時代だったと思います。この地点での新旧対比写真を撮ることはできないですね。
西村雅幸様
小生と時代が重なる写真に、想い出が重なります。
155系、151系、153系、EH10、更に後の0系(この頃は0系とは言ってませんでしたね。)に続いてEFゴハチ、みんな懐かしくついこの間の事のように感じます。
155系はやっぱりペタンコ屋根が歴然ですね。
ゴハチは、特急色の緑+黄色がありましたが、このモノクロ写真では緑にしては色が濃く見えますネ。他には確か紺色+黄色?も居たような記憶がありますが。
鉄道職員の件、この頃はカメラを持って車両を撮影していると黙認で、高槻電車区内では『気い付けて撮りや~』と言われた事があるくらいでした。
何となく仲間意識で接してくれていたような気がします。
事実、田町電車区では休息時間中の職員の方に151系の車内まで案内して貰った事がありました
河 昭一郎様
コメントありがとうございます。ゴハチは多分紺色の方だと思います。鉄道職員の件も全くおっしゃる通りで 温かみがありました。私鉄はどうかわかりませんが、普段私が接するJR職員は鉄道員というより単なる会社員という感じです。昭和は遠くなりにけりです。
この場所はどこでしょうか?
背景を拡大すると大宮陸橋の西方向、西大路駅までの間と思われます。
木立が見えますが八条壬生川にある六孫王神社の森ではないでしょうか?
米手作市様
梅小路機関区のターンテーブルの真南ですから、地図で確認しますと六孫王神社の森に違いないですね。よくあんな所まで行ったものだと思います。同様に向日町駅から向日町運転所の構内をどんどん歩いて撮影し、神足駅まで何度か歩いたものです。怖いもの知らずだったのかもしれません。
西村様、
それでは私も同じところで撮った写真をアップしますので見て下さい。
向日町へは同じコースでよく行きました。