たーちゃんの電車めぐりシリーズは思わぬビッグヒットになりそうですが、阪和線の項で河昭一郎様より「電車はないのか?」「ED38は?」とのご質問がありました。また、大阪駅の西の端にEF52が捨て子されていた、などの書き込みがありましたが私にも少々写真があります。でも毎度のことでひどい物です。どなたかいい写真を出展されるまでのツナギ、時間稼ぎとして見て頂けたら幸いです。
▼私が見たのはEF52ではなくEF14でした。
▼鷹取工場のED384
これが私が見た最初で最後のED38。解体待ち 昭和34年頃
▼たーちゃんは国鉄に興味なし!私は電車の興味なしですからほとんど撮っていません。
河様にご覧に入れるには余りに恥ずかしい物ですがお許し下さい。
▼電車を撮るつもりが無い写真ですが写っていますのでご覧下さい。
これが私の持っている国電のほとんど全てです。河様、形式も分かりませんがご笑覧下さい。
なさけない話ながら、大阪駅でEF52が留置されていたしたが、どうもEF14であったのではないかと迷っております。情けない老人ですからご容赦下さい。
乙訓の老人様 米手作市様
そう言えば、小生も今の今までEF52と吹聴していましたが、EF14かな?と不安になって来ました。
なにしろ外観は、ほぼ同一ですからね。
以前、小生の投稿した写真がピク誌に掲載された事がありますので、これから本やネガをひっくり返して見ます。
『デジ青』上に誤報があっては大変ですので、確認が必定です。
“た~ちゃん”シリーズ、ブレイクの予感とのこと、お手伝いした私もたいへん嬉しく思います。ご本人も、まだまだ写真は用意すると張り切っておられます。私も、米手さんに続いて、本格的な介護士の道を歩みます。
米手作市様
EF52の誤認事案に動転し、『電車、電車』と騒ぐ小生の我が儘をお聞きいただいたのに、お礼を述べるのが遅れました事をお許し下さい。
貴殿の写真の一枚毎に目を奪われました。
特に、クモハ20・クハ25の100番台車のR付き窓や、4葉目の縦桟付きオリジナルドアーに見入りました。
クモハ60も形式写真の理想的なアングルで『モノ』にしておられるのが良いですね。
電車区等の構内での撮影では『ドア開きや窓開き』は付きものですね。
勝手に閉めて良いものか、いつも迷いましたが、撮った後直ぐ元通り開きに行ったものです。
しかし、逆に開いた状態を撮影しておくのも必要だったな、と思ったりしております。
クモハ60の次の写真にはクモハ20が手前に写ってますが、パンタは独特の大型オリジナルからとっくにPS13に代えられてますね。
そうそう、ED38。 これはまた臨場感溢れるショットが最高にリアルですね。
堪能させていただき、ありがとうございました。
河さま、お世辞と分かっていてもうれしいです❗️
いま、松江でこれを見ています。会合での同席の方が鉄ちゃんなので一緒に見ています。
ありがとうございました。
乙訓の老人様 米手作市様
回答が出ました。 EF14が正解です。
ネガやピク誌の旧号をひっくり返すのは、普段から整理整頓が苦手な小生の事、思っただけでも面倒で悩んでいたら、フト思い付きました。(未だボケ老人にはなってなかった!)
JR東海ではないが、『そうだ、配置表を見よう』。その方が引っ張り出しやすい。
で、手持ちの中から1964年版を見ると、EF14 1と2が吹二に居ました。
他方EF52は天オトに7両在籍していました。 以上、ご報告です。
河 さん、EF14が吹田で留置していた姿は言われて初めて思い出しました。学割証は国鉄しか乗れませんから、それなりに利用していた学生時代でした。