キサハ34

キハ141系、キハ33に続きまして、客車改造の気動車キサハ34をご紹介します。
キサハ34は、0番代の1~2(オハ12 1000番代からの改造),500番代の501~502(スハフ12 1000番代からの改造)の合計4両の小グループでした。
1992年3月14日の時刻改正から運用開始しました。冷房付きキハ58・28とで氷見線列車が冷房化されました。
通常、朝のラッシュ時にキハ58とキハ28に挟まれた4両で氷見線を走りました。
廃車は1996年3月31日で、キサハ34は約4年という短命な形式でした。

左からキハ28+キサハ34 1+キサハ34 501+キハ58   高岡
ドア上のシールは「禁煙車」
日付は全て1993年6月10日

【キサハ34 1金タオ】

能町
1と2には終着駅名札挿がありません。
1と2はキサハ化改造で便所を封鎖し、化粧室は洗面台を撤去してフタをしました。
501と502は1000番代化改造時に便所を封鎖し、化粧室は洗面台を撤去してフタをしました。

 

【キサハ34 2金タオ】

能町
左端の窓2個分、右端の窓1個分に保護棒があり、立っている乗客が窓にくっついていますので座席がないことがわかります。

キサハ34 2 車内   画面左右両端の窓2個ずつに保護棒があります。
キサハ化の際に客室仕切戸を撤去して仕切開口部を1,200mmに拡大しました。
向こうはキサハ34 502

 

【キサハ34 501金タオ】

高岡
501と502には終着駅名札挿があります。

 

【キサハ34 502金タオ】

高岡
鈴木その子の「美白」か志村けんの「バカ殿」を連想してしまいそうです。

高岡
両端の窓1個分の座席がありません。

キサハ34 502 車内

車内の下の改造銘板は、改造前の車号が記入されたものです。JRになってこのような銘板が取り付けられた時期があったようです。

 

 

キハ58,28と並んだキサハ34   高岡
朝のラッシュ時に、左のキハ58とキハ28の間に右の2両のキサハ34が挟まれて走ります。

 

【番号履歴】
オハ12 164(1970年5月15日富士製) → (1985年12月27日鷹取工場改造)オハ12 1019 → (1992年3月12日(P誌では2月13日)松任工場改造)キサハ34 1   1996年3月31日廃車

オハ12 194(1970年4月8日日車製) → (1985年9月6日鷹取工場改造)オハ12 1021 → (1992年2月25日松任工場改造)キサハ34 2   1996年3月31日廃車

スハフ12 26(1970年3月21日新潟製) → (1985年2月10日松任工場改造)スハフ12 1001 → (1992年3月12日松任工場改造)キサハ34 501   1996年3月31日廃車

スハフ12 90(1971年5月24日日車製) → (1985年3月6日松任工場改造)スハフ12 1003 → (1992年2月25日松任工場改造)キサハ34 502   1996年3月31日廃車

【現車調査】
キサハ34 1     定員120    自重28.8t   換算積3.5空3.0  全検2-8HB  銘板 日本国有鉄道・45富士・60鷹取工場改造・(車内)JR西日本松任工場3年改造旧車号オハ12 1019

キサハ34 2     定員139    自重28.4t   換算積3.5空3.0  全検2-7幡生車所  銘板 日本国有鉄道・45名古屋日本車輌・60鷹取工場改造・(車内)JR西日本松任工場3年改造旧車号オハ12 1021

キサハ34 501   定員117   自重35.1t    換算積4.5空3.5  全検4-3MT  銘板 日本国有鉄道・45新潟・60松任工場改造・(車内)JR西日本松任工場3年改造旧車号スハフ12 1001

キサハ34 502   定員131   自重34.7t    換算積4.5空3.5  全検3-6松任工  銘板 日本国有鉄道・46名古屋日本車輌・60松任工場改造・(車内)60松任工場改造・JR西日本松任工場3年改造旧車号スハフ12 1003

これを見て気付くことは、
1.定員がバラバラです。
普通、0番代と500番代とあればそれぞれの番代内では同じ定員で然るべきだと思いますが、キサハ34の場合不思議なことに4両全て違います。
それは座席配置が、
キサハ34 1   … 中央部に両側で56名分のクロスシートと内妻まであるロングシート
キサハ34 501 … 中央部に両側で48名分のクロスシートと内妻まであるロングシート
キサハ34 2   … 中央部に両側で24名分のクロスシートと内妻に届かないロングシート
キサハ34 502 … 中央部に両側で24名分のクロスシートと内妻に届かないロングシート
上記のように違うからで、2と502は1992年8月31日松任工場で座席を一部撤去したという記録があります。なぜキサハに改造した半年後にこんな工事を実施したのでしょうか。氷見線で運用してみたら窮屈だったということでしょうか。それにしては1と501の座席は1000番代化された時のままのようですが、さらに座席が減少したという記録は確認できませんでした。

2.全般検査もバラバラです。
改造の場合、その程度・時期によって、改造に必要な箇所だけでなく同時に全検を満足する項目も分解したり修繕・交換して全検併施とすることがあります。501がこのケースで全検時期が近かったのかもしれません。1,2,502は改造時に全検は実施していないようです。

3.501と502の換算は、積が4.5とスハフ時代より重くなりました。4.5は客車では「マ」級です。

4.車内の銘板が「平成3年改造」となっている理由がよくわかりません。

私が訪問したのは平日で、氷見線の朝の混雑はなかなか激しく、能町で撮影した後、426Dに乗ったところ高校生で恐ろしく混んでいましたが、次の越中中川でゴッソリ降りてガラガラになり高岡に着きました。

 

キサハ34」への9件のフィードバック

  1. 井原 実様
    最近連続して井原さんらしいゲテモノを発表されておりその研究成果にいつも感心しております。趣味誌は毎号見ていますが、若い頃のように端から端まで丹念に目を通すこともなく趣味の対象も絞られてきたような感じがします。要するにあまり趣味誌を見ていないということです。そのような中で12系や50系の客車が気動車化されたということは恥ずかしながら今回のデジ青の井原シリーズで始めて知った次第です。私もゲテモノは好きな方ですので改造された情報を知っていたら撮りに行ったと思いますが後の祭りですね。ただ、札沼線(学園都市線)の50系にしろ、高岡の12系のキサハ34にしろ他の気動車に混じってもあまり違和感を感じません。それは客車の鬼と言われた米手作市さんの名言「客車は扉が手で開けられて便所は垂れ流しでないと客車とは言えない。12系や50系は電車と同じようなものだ。」 を思い出したからです。だからあまり違和感を感じないのがわかったような気がします。

    • 私はいろいろとくだらないことを言っているようですな。
      書かれる度に冷や汗が背中を流れるのを感じます。
      それにしても準特急さんの名声は全国に鳴り響いているのを最近知り、友人でいることができる光栄に感謝しております。
      末永くご指導下さい。

      • 米手作市様
        私は自分ができないのにいつも「鉄道ファンである前に常識ある社会人であれ」をモットーにしております。米手さんはそれを地で行く方です。最近は何が常識かよくわからない時代になってきましたが、米手さんとは末永くお付き合い願えればと思っております。

    • キハ08は客車臭さが十分残っていましたが、12系以降はおっしゃるように見た目電車や気動車に近くなりましたから、気動車になっても違和感があまりありません。下の画像はキサハ34 501の種車スハフ12 1001です。1985年8月9日金沢駅で撮影しました。

  2. 井原 実様
    鉄道趣味は模型、写真、乗りつぶしほかいろいろあるようですが、高齢趣味者の強みとして古い写真を活かして新旧対比など面白いものだと思います。キサハ501と種車スハフ121001を両方発表できるとは頭が下がります。と申しますのは現役時代にその車両が後年改造されて異形式になることを予測して撮影はできないと思いますのである程度写し込んでいないと対比ができません。私のやっていた「保存蒸機とその現役時代」は機関車であるが故に現役時代に撮っていたものが多少ありますが、12系客車をあのような形で撮っていたとは余程の客車ファンでないとできないものです。最近は海外にも日本の車両が譲渡されていますが、現役時代に撮った車両に出会えると嬉しいものです。日本国内の例えば大手私鉄から中小私鉄への譲渡なども同じことが言えるので譲渡の多い西武や東急の車両はひょっとしたらどこかに行くのかと思って撮った車両、例えば東急1000系や西武101系もあります。何れにしましてもある程度乱写でもいいから撮っておくべきだと思いました。脱線して失礼しましたが、またの発表を楽しみにしております。

  3. 一昨日まで、氷見線、城端線をウロウロしていました。以前から、とくに雨晴の海岸沿いや、城端の終着の雰囲気が好きで、前から何回か訪れていましたが、私はついぞ、こんな車両に巡り会うことはありませんでした。米手さんは、“霊感がある”と言われていますが、そう言えば、最近の井原さんには、なにか霊能者のような、近寄りがたいオーラが漂っているような雰囲気が感じられます。写真にある能町も、以前は専用線が伸びていたり、興味深い駅でしたが、すっかり寂しい駅になりましたね。

    • 米手さんからは「霊感がある」、特派員さんからは「オーラが漂っている」と要するにまともでないといわれてこれはパワハラかいじめのようですが、私は至って普通ですので仲間はずれにしないでください。
      ところで、高岡から能町付近まで万葉線が並行しているのですね。知りませんでした。

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