四国 格安快適 早回り旅 〈3〉

多度津の鉄道遺産を見る
予讃線から土讃線を分岐する、JR四国の結節点が多度津です。今までは多度津は通過するだけで、車窓から駅付近を眺めただけでした。今回、松山方面から、高知へ向かうことになり、多度津で乗り換え時間が30分ほどできて、初めて下車をして付近を観察することができました。車窓から見える煉瓦造りの給水塔は知っていましたが、下車してみると、多度津の歴史を感じさせる、いくつかの遺産も見ることができました。
下り方右手にはかつて多度津機関区があり、現在でも、蒸機時代の名残りを示す2基の給水塔が現存している。煉瓦造りは、この地に多度津駅が移転してきた大正2年の建築と言われ、登録有形文化財にも指定されている。

乙訓老人からは「多度津の港から“コトサン(琴平参宮電鉄)”が、金比羅さんへ参拝客をたくさん運んだんや」と聞かされ、多度津のことが刷り込まれていた。多度津は、瀬戸内海の重要な港で、物流拠点として栄えるとともに、各地から琴平宮への参詣客を乗せた船の寄港地としても賑わっていた。しかし、多度津からは歩くしかなく、そこで、明治22年5月、多度津を起点として、丸亀・琴平に至る、15.5kmの讃岐鉄道が開業し、鉄道で参詣することができるようになった。最初、多度津駅ができたのは、現在駅の西へ1km、現在の多度津工場付近で、これが現在のJR四国の発祥となった。続いて琴平参宮電鉄が多度津桟橋~善通寺赤門前を開通させることになる。

駅前には「四国鉄道発祥の地」の碑と説明板がある。もとの多度津駅から移転の際に碑も移された。その横には、四国ではもっともポピュラーだった8620の動輪が置かれている。

8620は実物も保存展示されていた。徳島の小松島に長く配置されていた58685であり、ご覧のように、デフつきだが、形式入りプレート、化粧煙突という、改造の多かったハチロクには、珍しい原型に近い姿だった。

ロッドの位置は残念だが、上屋もあって、きれいな保存状態、記念碑にも、複製されたのかプレートが埋め込まれている。

別角度から見た給水塔、右側の鉄骨製は、後年の増設。その横にも「食堂」と書かれた一軒家があり、もとは、蒸機華やかなりし頃に見られた機関区の職員食堂のようである。

多度津駅舎、前記のように、最初の駅は、現在の多度津工場付近にあり、大正2年に移転してきた。改札口には「祝・讃岐鉄道開業130周年」の看板が掲げられていた。

駅は、二面四線のホームがあり、ホーム端にある地下道で駅本屋とつながっている。この構造、九州の鳥栖駅と全く同じ構造であることに驚いた。

 

 四国 格安快適 早回り旅 〈3〉」への1件のフィードバック

  1. 改めて、鉄道全盛時代の多度津の蒸機の様子を、動力車配置表で調べました。配置は、8620、C11、C58と、とくに食指の動くような形式はありませんが、小松島と並んで、四国第一の蒸機配置区でした。多度津工場とともに、四国の鉄道の要衝だったことが分かります。配置表を見ると、キニ05、キユニ07、キユニ15と言った多彩な気動車もたくさんいました(配置は高松)。この時代に四国へ行ったことはありませんが、昔も今も魅力あふれる四国を改めて感じました。

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