【102347】 秋の北陸 定番の撮影地 早回り旅 ②

早回り旅2日目は、黒部峡谷鉄道へ向かいました。このトロッコ列車に初めて乗ったのが、一昨年春のクローバー会での旅行でした。どですかでんさんの世話で、宇奈月温泉にみんなで一泊し、翌日、1900生さんと一緒にトロッコ列車に乗りました。窓のない素通しの客車から眺めた渓谷の新緑が格別に美しく、忘れられませんでした。つぎは、ぜひ紅葉の頃に訪れたいと、以前から思っていました。同社のHPを見ていると、“シニア運賃半額”の文字が飛び込み、このチャンスを逃すまいと、宇奈月温泉入りとなりました。晩秋の陽光をいっぱいに浴びて、色づいた渓谷沿いをトロッコ列車が行く。


宇奈月を出たトロッコ列車は、すぐ新山彦橋(中央)を渡り、黒部川をさかのぼる。左手は、クローバー会旅行で泊まったホテル黒部。

まもなく宇奈月ダムによってできた、うなづき湖が見え、赤い湖面橋が映える。

黒部峡谷鉄道の歴史をたどると、発電所を建設する資材・作業員輸送を目的とする黒部専用鉄道として、日本電力によって、大正12年に工事が始まる。大正15年に猫又、昭和5年には小屋平まで開通、昭和12年には、欅平まで20.1kmが開通した。当時としては、工事専用鉄道だったが、黒部渓谷の探勝を希望する観光客が絶えないため、便乗証を発行し、トロッコに便乗していた。昭和26年に関西電力が専用鉄道を引き継ぎ、昭和28年に地方鉄道法の認可を受けて、関西電力黒部鉄道として、旅客営業を始めた。その後、旅客営業を専業する会社として、昭和46年に関西電力から分離し、黒部峡谷鉄道として発足した。西洋の古城を思わせる新柳河原発電所のある柳橋で最初の列車交換、ここでの旅客乗降の取扱いはない。黒薙を出てすぐ後曳橋を渡る。沿線で最も急峻な渓谷に架かる高さ60mの鉄橋。出平で交換、ここも旅客乗降の扱いはない。渓谷が深くなってきて、落葉が進む。猫又でも列車交換するが、ここも旅客の乗降の取扱いはなく、発電所勤務者のみが乗降する。旅客列車以外に、回送を兼ねた職員輸送列車、貨車の併結もあって、交換可能駅では、ほぼすべてで交換が行われる。
鐘釣駅はホーム有効長が足らず、わずかな高低差だが、両端部がスイッチバックになっている。かつての信越線熊ノ平(信)や長野電鉄湯田中と同じ方式で、左の乗車列車は、本線から引上線に入って停車中。交換列車の発車後、バックしてからポイントを渡って本線に入る。小屋平で最後の交換、列車は回送を兼ねた関係者の専用列車。一般客が誤乗しないよう、各駅の時刻表に表示されている。終点の欅平は、黒部川の渓谷にへばりつくような細長い駅構内、ホームは乗降分離式となっている。

欅平で周辺を散歩したあと宇奈月温泉に戻る。素通しの普通車は、さすがに寒く、戻りの列車は窓ガラスのある特別車に変更した。宇奈月に着いてから、撮影の名所「やまびこ展望台」から、新山彦橋を渡る列車を撮影する。

各所で保存されている車両。左上は新幹線黒部宇奈月駅前、右上は宇奈月駅前のトロッコ広場、左下は黒部川電気記念館の前庭の保存車、右下は十分の一程度の模型が宇奈月駅に置かれていた。富山に戻ると、日没直後のトワイライトタイム。絶好の撮影時間で、夕食を買い求める10分間を利用して、駅前の路面電車を速写することに。高架の富山駅直下の路面電車乗り場からは、頻繁に出入りがある。現在は、地上のまま残っている、あいの風とやま鉄道下り線が、2019年3月に高架化され、富山駅全体の高架化が完成と最近の新聞でアナウンスされている。待望の南北の自由通路ができ、2020年3月には、市内線とライトレールとの相互乗り入れも始まる。富山駅北口の宿泊先の目の前に、富山ライトレールが発着しており、夕食後、さっそく出掛ける。ライトレールは20時台までは15分ヘッドだから、晩になっても撮影効率は良い。“サクッと撮って、すぐ戻る”を実践した。

 

 秋の北陸 定番の撮影地 早回り旅 ②” への2件のコメント

  1. 総本家青信号特派員さま
    一昨年初夏のクローバー会旅行時の新緑も綺麗でしたが、黒部渓谷はやはり紅葉の秋でしょうね。今回行かれたのは正解だったと思います。小生も十数年前にぷるぷるさんと10月中旬に乗りました。縁あって欅平から先の黒四ダムまで、高熱隧道を含む区間を関電さんに見学させてもらうことになり、その際に乗りました。前日に立山の初冠雪もあって気温が下がり、紅葉と冠雪の絶景でしたが、宇奈月から震えながらの乗車でした。黒部渓谷鉄道の初乗車は関電時代の昭和39年夏でした。当時はまだまだトロッコ時代の雰囲気が色濃く残っていて、雰囲気としては遊園地の鉄道の延長のような感じでワイルド感がありましたね。今は地方鉄道になってスマートになり過ぎたようです。39年は家族旅行で信州から大糸線で糸魚川へ、2等格下げのオハ?(形式を忘れました)で黒部へ、今は無き黒部~電鉄桜井間の連絡線を経由して宇奈月に入りました。地方鉄道と思っていた地鉄に当時まだ新車の14700系の特急が走っているのを見て驚いた記憶があります。余談ですが当時の黒部トロッコの人気はもの凄いもので、まともには朝方はおろか午前中の便の指定席が入手できないといわれ、各旅館の番頭さんが早朝の発売時間前から駅に並び、宿泊者用の指定券を入手していました。入手できるかどうかが宿の営業成績にも影響するので皆さん必死だったようです。我々家族もそのお陰で計画より少し遅めの便でしたが乗車することができました。この時にも一昨年総本家さまとご一緒した猿飛峡へ行っていました。
    途中にスイッチバック駅があったとは気が付きませんでした。これも余談ですが、スイッチバック駅といえばやはり昭和39年頃に、初めて飯田線に乗った際に旧伊奈電区間の数駅にもあり、ビックリした想い出があります。当時の飯田線は殆どの列車が4両編成でしたが、クモハ14系17m車等を含んでの編成が多く、20m車導入で駅の有効長が不足していた駅があったようです。鐘釣駅同様交換駅では安全側線にまで頭を突っ込み、発車するとガクンと一旦バックした時にはビックリしたものでした。

    • 1900生さま
      トロッコ列車の思い出を長文で聞かせていただきました。ありがとうございます。1900生さんとは、一昨年のクローバー会旅行で、ご一緒に欅平まで往復し、猿飛峡へもウォーキングし、この時も思い出話を聞かせていただいたと思いますが、昭和39年に、もうすでにトロッコ列車に初乗車されているこに驚きました。切符の入手も大変だったのですね。今でこそ、長大編成が各駅で交換する運転頻度ですが、当時は編成も短かく、入手困難だったのでしょう。国鉄黒部~電鉄桜井の支線にも乗られているのですか、凄いですね。
      スイッチバックも、短編成時代の有効長を延長した結果、スイッチバックが設けられたのでしょう。飯田線の旧伊那電区間にもあったとは…、伊那電も路面電車のようなものでしたから。有効長を延長した関係でスイッチバック式に改造されたのでしょう。

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