【101230】駿河・甲州・信濃 早回り旅

学生時代から約半世紀、結構全国を旅したつもりでも 実は通過しただけの県も多く、最近ではなるべくそのようなスキマを埋める旅に出かけるようにしています。長野県塩尻市付近で10月に行われる某行事へのお誘いを受け、若干紅葉には早いけれども喜んで参加することにしました。広島から塩尻へ行くなら名古屋で中央本線に乗り換えて、というのが一般的なルートなのですが、上記のようにスキマを埋める工夫もしなければなりません。そこであえて遠回りのルートを設定し、鉄目的ではなく 観光が主目的の旅に出ることにしました。まずは静岡へ向かいます。私はジパング族ですから「のぞみ」には乗れません。早起きを苦とせず、なるべく乗り換えなしで、急ぐ必要のない田舎のジパング族向けに、広島始発6:13の東京行き「ひかり460号」という列車が設定されています。三原発は6:41で、京都までは各停、そのあとは名古屋、浜松、静岡と停まる「区間急行」のようなダイヤです。8分とか10数分とか停車する駅もあり、長時間座ったままではエコノミー症候群になるので、ホームへ出てストレッチやウオーキングができるようにと、心配りあるダイヤとなっています。このダイヤの列車は日に1本しかなく、なぜか下りには岡山止まりしかなく、広島行きは設定されていません。

4時間ほど乗って疲れてきた頃の10:32に静岡着です。ここから先はレンタカーです。まずは三保へ向かいました。

清水運送DB152 平成30年10月16日 旧三保駅跡

かつては国鉄清水港線という盲腸線がありました。尼崎港線、飾磨港線などとともに列車本数が少なく、結局乗る機会がないまま廃線になってしまった線区のひとつです。清水港線は昭和59年3月末に廃止されています。その終点三保駅跡は公園となっていて、清水運送(日通)のDB152と日本軽金属のアルミナ専用タンク車タキ8453が保存されています。DB152は昭和45年 日車製の15Ton機ですが、海にも近く、野ざらしのため 相当傷んでいました。

タキ8453  日軽金の清水工場から蒲原工場にアルミナを運んでいたアルミ製タンク車

三保駅跡に建つ避難塔

太平洋沿岸では珍しくなくなりましたが、津波対策用の避難塔が広い三保駅跡に建てられていました。

三保駅跡は清水湾、清水港側にありますが、丁度反対側の太平洋側には有名な「三保の松原」があります。三保の松原は訪ねるには決して便利なロケーションではないので、観光客はまばらなのだろうと思い込んでいました。が、大間違いでした。続々と大型バスが到着し、砂浜まで外国人の長蛇の列が続きます。これには驚きました。丁度この日は曇天でしたが、幸運にも富士山頂がはっきりと見えて、皆さん大騒ぎ状態でした。

三保の松原越しに見る富士山

考えてみれば 東名高速を走ってくれば東京からそれほど遠いわけではなく、富士山を巡るツアーが盛況なのがよく分かりました。大型観光バスだけではなく、少人数のグループを乗せた、昨今問題視されている「白タク」らしきワゴン車も多く見られました。

さて、三保のあとは富士川の西側を遡って甲府方面に向かいます。身延線は富士川の東側対岸を北上するため、一度も遭遇しませんでした。

身延山久遠寺の斜行エレベーター

天台宗が延暦寺、曹洞宗が永平寺というように仏教各宗派には総本山がありますが、日蓮宗の総本山が身延山久遠寺です。高野山などと同じように身延山高校・大学も境内にあり、周辺には数多くの僧房、宿坊があり 一大宗教都市のような雰囲気です。なんとここで「斜行エレベーター」に出くわしました。本来、参詣者は駐車場から長い石段を登って本堂に向かうのですが、高齢者や身障者のために設置されたようです。

2台ある斜行エレベーター

それぞれの乗り場にあるボタンを押すと、ゴンドラがやってきて乗り込めるというまさにエレベーターです。モノレール式でレール側面にラックレールもありましたので、ケーブルカーではなく、それぞれが動力を持ったエレベーター式です。どこのメーカー製だろうかと銘板などを探しましたが、見つけられずに終わりました。このエレベーターのおかげで息を切らすこともなく、楽にお参りができました。ビルのエレベーターが無料なのと同様、この斜行エレベーターも無料なのですが、乗り場にはしっかり「浄財」と大書きされたお賽銭箱が置かれているので、つい小銭を投げ入れてしまいました。

平成30年10月16日 山梨県南巨摩郡富士川町 利根川公園にて 元山梨交通モハ8

かつて甲府駅前から甲斐青柳までの20.3Kmに山梨交通の電車が走っていました。昭和37年には廃止されており、私には全く縁の無い鉄道でした。廃止に伴い、モハ7、モハ8が上田丸子電鉄丸子線へ移り、モハ2341,2342となりました。その丸子線も昭和44年に廃止されましたが この2両は幸運にも廃車を免れ、今度は江ノ島電鉄の801,802号となって昭和61年まで湘南海岸を走りました。山電時代にはビューゲルでしたが、上田丸子に移ってパンタ化され、江ノ電時代には3扉化、固定編成化改造やヘッドライト2灯化がなされました。そして801が再び故郷甲州に里帰りし、大切に保存されたようです。さすがにビューゲルには戻されず、パンタのままです。なおここでの保存当初は江ノ電の塗色のままだったそうですが、現在は山電色に塗り替えられています。

しっかりとした屋根の下に保存され、非常に良好な状態。屋根まで赤い。

江ノ電時代は2両固定編成。その連結面側。

次は国鉄ED16に会いに行きました。

平成30年10月17日 南アルプス市寺部 若草スポーツ公園にて ED1615

中央本線で活躍したこのED1615も良好な状態で保存されていました。昭和6年7月 三菱神戸造船所製で、来年には米寿を迎える古参機です。

ED1615の銘板

この機関車には2つの製造番号があります。三菱電機の製番はNo.111、三菱造船(三菱重工)の製番はNo.44です。銘板には三菱造船の製造番号44が表記されています。ところが「四四」とはせず「卯卯」のような変字にされているのは「四」を忌み番と考えたためでしょうか?ちなみに 岩堀春夫氏著「鉄道車両銘板」に記載されているED163の銘板(製番No.41)も「卯壹」となっています。なおこのED1615は昭和53年10月31日に立川区で廃車になっています。

今回の旅で最も見たかったのが、甲府市内の土木建設会社に保管されているアメリカ製のガソリン機関車でした。

甲府市飯田 長田組土木の正門前にて プリマス製機関車

軌間610mm

説明板

この会社 長田(おさだ)組土木は地元の有力企業のようで、武田信玄公を祀る武田神社境内に立ち並ぶ多くの玉垣にもこの会社名が彫られていました。日本鉄道の延伸に伴い、土木工事を請け負ったのがこの会社で、明治36年の初狩・甲府間の工事用に最先端の内燃機関車を輸入したようです。

特徴的なのは今日のトルコンの元祖とも言うべき、逆転・変速機構です。摩擦円板式と呼ばれる 至って単純なメカです。

摩擦円板式逆転・変速装置  左側がエンジン。

エンジンから伸びるシャフトの先端に大きな円板があります。この円板に直角にスポーク車輪のような摩擦板が接しています。この摩擦板は中心の角型軸の上を左右にスライドします。一定の回転数で回る円板の中心に摩擦板を持ってくると、摩擦板の回転は止まり、円板の外側にスライドさせてゆくと円板の周速は速くなり、摩擦板も速く回転します。また摩擦板を円板の中心を越えて反対側にスライドさせると、摩擦板の回転方向が逆になります。この摩擦板の回転をチェーンで車輪に伝えて正転、逆転駆動するという方式です。この摩擦板を左右にスライドさせるのに かなりの腕力が必要だったのではと思います。

実は以前 もう1両のプリマス機関車を撮影しています。

平成13年12月29日 岡谷市 諏訪湖天竜川取水口付近にて

これも岡谷組という土木建設会社が有していたもので、軌間は762mmと長田組土木のものより大きく、また長田組の製造年は不明ですが、岡谷組の製造年は1923年(大正12年)ということで長田組よりは新しいものだと思われます。プリムス機が日本に何両輸入されたのか全く判りませんが、加藤製作所、酒井製作所などの工事用国産機が出現するまでの比較的短期間の輸入機であり、かつ現存機は極めて少ないのではと思われる、貴重な機関車です。幸い非常に保存状態は良く、社宝的な扱いをされているのはうれしい限りです。

最後の保存機は塩尻市役所近くのD51155です。

平成30年10月19日 塩尻市役所付近 D51155

これも雨ざらしですが、比較的良好な状態でした。

以上が駿河、甲州、信州の早回り旅で出会った保存機などです。イージーなレポートで失礼しました。

 

駿河・甲州・信濃 早回り旅” への2件のコメント

  1. 西村雅幸様
    充実した旅行記有難うございます。私は自分の車でも運転が下手なのでレンタカーは乗りませんしほとんど電車と徒歩で撮影に行きます。山梨交通の電車は甲府時代は間に合いませんでした。西村さんの御趣味の範疇の独特の車両はよくわからずコメントできませんが、D51保存機は興味がありました。155号機は現役時代に撮ったことはない機関車ですが、塩尻駅から徒歩10分くらいでしたので雨の中撮影に行ったことがあります。おしゃられる通り保存状態はまあまあでした。また続きを見せてください。

    • 準特急様
      いつもながら、コメントありがとうございます。実は甲府・塩尻間は「スーパーあずさ」に乗りました。中央本線に乗るのは久しぶりで車窓に目を凝らしました。しかしとにかくスピードが速く、かつてはスイッチバックだった駅もゆっくり観察する暇もなく通過してしまい、トンネルでショートカットされたりして、確かに速く便利にはなったのでしょうがゆっくりと景色を楽しむ昔の旅がなつかしくなりました。塩尻から名古屋間の「ワイドビューしなの」も同様でした。エンジンフル回転、もうもうと排気ガスを吹き上げて勾配に挑むキハ58の急行時代がなつかしかったです。木曽福島駅構内にD51が、上松駅構内には木曽森林鉄道の車両が保存されていましたが、番号を見る余裕もありませんでした。古虎渓もあっという間に通過でした。準特急さまの保存蒸機シリーズも楽しみにしております。

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