昭和の電車 改訂版(91)ー尾道鉄道デキ1ー

前回の時に、西村さんから「脱線転覆事故」に関しての詳細報告がありましたので付記しておきます。
《デキ1の転覆大破について若干の補足を。終戦から1年後の昭和21年8月13日13:00頃 木造単車のデキ1に定員を大幅にオーバーした約150名を乗せた尾道発市行き電車は石畦駅を出て急勾配を登り 峠の上の畑駅にたどり着く手前のトンネル内でポールが外れ 後退を始める。お盆で人の行き来が急増したのか 尾道発10:30の電車が9km先の石畦駅を出たのが13:00ということは各駅での乗り降りが尋常ではなく 少ない便に何が何でも乗ろうとして寿司詰め状態だったのだろう。超満員の電車はどんどん加速し約1km下った石畦駅手前のカーブで脱線転覆したのであった。死者37名負傷者100名余の大惨事となった。戦後まもなくのこと 運転手が経験の浅い見習いで 突然トンネル内で停電し応急の対処ができなかったことと ブレーキにも不具合があったようです。国道184号線を走るたびに ここを逆走したのかと思うと鳥肌が立つ思いがします。この事故をきっかけにポールがビューゲルに変更されることになりました。電車の馬力やブレーキについての解説は長老方のご出馬をお願い致します。》

6 thoughts on “昭和の電車 改訂版(91)ー尾道鉄道デキ1ー

  1. もう少しで登れば諸原駅。ここからスイッチバックしてさらに登って尾道へ。

      • そうです。廃線跡です。右側もスイッチバックして尾道方面の廃線跡です。以前、西村さんと三原港で待ち合わせして鞆鉄道、尾道鉄道の廃線跡を訪ねた時の写真です。

  2. どですかでん様
    諸原にご一緒したのは2014年10月でしたね。もう5年以上が経ちました。あれ以来諸原を訪ねたことはありませんが、多分景色は変っていないと思います。江若鉄道が半世紀を経てもなお沿線住民に懐かしまれているように、尾鉄も同様に地元には尾鉄に心を寄せる人たちがいるようです。先日の中国新聞に添付のような記事が載りました。コメント欄への添付写真では本文は読み取れないと思いますが、尾鉄終点の御調町の有志が活動されているようです。諸原のスイッチバック跡やトンネルを後世に残したいとの想いが伝わってきます。尾道市側にも「尾道学会」があって、時々尾鉄が話題になっているようです。コロナ騒ぎで動きが鈍っていることと思いますが、また備後路にお越し下さい。お待ちしています。

    • あの時は南港よりフェリーで四国へ、そして三原港へ行ったのですが、あの時のオレンジフェリーはコロナ禍以前に全席個室の新造船になりました。今のコロナ禍では比較的感染に対してすこし安心できる乗り物ではないかと思います。尾道鉄道だけでなく、鞆鉄道や井笠の保存車両も見てなかなかいい旅でした。三原を流れる芦田川もよく洪水が発生していたようで鞆鉄道の橋梁も流れてとんでもない被害を受けたようですが、湯口先輩の「鞆鉄道」をあらためて読んでみると国庫から復旧費用の6割近くの補助を受けて復旧したとありました。これからどこで水害が発生してもおかしくないようで心配です。今はちょっと行けそうもありませんが、福塩線に乗って、吉舎や上下の町やなにもない塩町も見たいと思っています。

      • どですかでん殿
        上下には例の「洋酒ケーキ」もあります。ご所望なら宅急便でお届けしますよ。そういえば「はっさく大福」もお気に入りでしたね。

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