五十年前に見た 当たり前の風景  -9-

夏の狂化合宿先、阿仁合線荒瀬の朝

50年前の夏休み、恒例の“夏の狂化合宿”は、7月に飯田線温田、8月に阿仁合線荒瀬で行われています。私は阿仁合線2泊3日のキャンプに参加し、そのあと、東北各地をメンバーとともに回りました。阿仁合線という、何の特徴もない線区で合宿が行われてたのか、「青信号」27号の旅行記を見ても理由は不明です。阿仁合線始発の鷹ノ巣で食糧を仕入れ、リュックを担いでキャンプ予定地の荒瀬に着いたものの、夕立に見舞われて、キャンプ地は水浸し、急遽、駅前にあった公民館に頼み込み込んで、一泊させてもらい、畳の上で寝て、本当のキャンプは翌日一日だけで、昼間は阿仁合線を写しまわっています。とくに「上杉」という駅は、文字どおり杉林の中を突き切っていて、印象に残り、翌年一人でもう一度訪問したほどでした。阿仁合線は一日旅客が9往復、当時は多く見られた典型的なローカル線、そのなかの荒瀬は、沿線の中心の阿仁合から、ひと駅、終点の比立内へ行ったところにあり、今から見ると、朝のラッシュ時には、信じられないほどの乗降がありました。地方のローカル線の当たり前の風景でした。阿仁合線参加のメンバー

奥羽本線鷹ノ巣から分岐する阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)、当時はC11が一部の旅客、貨物を牽く、ごく当たり前のローカル線だった。この地が、当会の栄えある、狂化合宿の地に選ばれた。乗り降りしたのは「荒瀬」、どこにでもある棒線一本、ホーム一面の無人駅だった。特に朝の時間帯、驚くほどの乗降があった。“日本三大美人”の地らしい雰囲気も漂う(昭和46年8月)。

行ったのは8月下旬だが、東北ではもう小学校が始まっている。“小学生が列車に乗って通学”なんて、少子化、過疎化、減便化の今では信じられない。7時41分、荒瀬に到着の226D、先頭は北海道向けのキハ22、東北にも結構の配置があり、JR移管時にはJR東日本に54両がいて、そのあと、秋田縦貫にも貸し出された。

 五十年前に見た 当たり前の風景  -9-」への12件のフィードバック

  1. 阿仁合線の合宿懐かしいですね。私が新入生として初めて参加した合宿でした。まだ西も東も分からず、阿仁合線がどこにあるのか知らずに参加したのではと思います。キャンプも初めての経験で、雨が降って公民館で寝ることになった時は正直ほっとしました。確か公民館で泊まった時、地元の女子中学生?が差し入れを持ってきてくれたのではなかったでしょうか?先輩方が女の子としゃべっているのを遠目で見ていた記憶があります。何せ初めての合宿で印象深いことが多かったのですが、その前後どのように行動したのか全く記憶に残っていません。合宿中の先輩方の印象が強烈だったのでそれ以外の事がすっかり飛んでしまったようです。

    • おぉ、同行者が現れましたか。私も「青信号」を読み返し、地元の女子高生が差し入れに来てくれて、一部の会員とイチャついていたと書かれていましたが、私には、全く覚えがなく、たぶん爆睡していたと思います。その前後、ほとんど記憶が飛んでいるのですが、唯一、86さんを撮った写真です。鷹ノ巣で下り急行に乗って、逃走(?)する3人組です。

      • 総本家さんに脱走をしっかり撮られていましたか。脱走後、北海道に渡りました。その時使った道南周遊券を見ると上目名、美唄、倶知安の下車印がありました。写真もニセコ、美唄鉄道のものがありましたが、合宿中の写真はなぜか見つかりませんでした。青信号を読み返すと私は津軽2号で行ったようです。青信号記事の冒頭、「71年度の夏期大狂化合宿は7月24,25の両日、阿仁合線で行われました」を見ておや?私の道南周遊券は8月23日より有効となっています。この年1か月の間に2度も北海道に行ったのかと思いましたが、調べてみると合宿は8月24、25日でした。思わぬところで50年ぶりに青信号の誤植を発見しました。

  2. 質問です。
    参加者写真の右側後列、柵に腰掛けている三人の左端でチロルハットの様な物をかぶっているのは、後にわらくろや旅行社社長となる方ではありませんか?

    • 米手作市様
      ご指摘の人物はわらくろやさんではなく、私と同期の’71年度生S氏です。写真を見るとこの合宿には新入生が私含め4名参加していました。

  3. 鷹ノ巣は1966年8月に駅の近くの旅館に泊まったことがあります。暑苦しくてあまり眠れなかったことを覚えています。また、1969年9月20日北海道からの帰途、C61を撮るために降りて線路際を歩いています。その時、阿仁合線の貨物が鷹ノ巣に向って到着するのを撮っています。大学はめでたく卒業できたので現役生の狂化合宿には参加しておりませんがついでの写真貼り付けます。もうひとつ、鷹ノ巣と言えば今話題のオリックス中島監督の故郷です。

    • 準特急様
      貴重な写真をありがとうございます。後部に軌道検測車のマヤ34?をつないでいるようですね。うしろのC11は片道マヤを牽いたあとの回送扱いかも。材木やチップ専用の無蓋車を連ねていて、林業が元気だった時代の光景ですね。

      • そうですね。林業がまだ盛んであったかもしれません。この線も乗ったことはなくクモハ73106東ウラさんの車で撮影はさせていただきました。マヤ34よりはオハユニ61あたりの方が格好がつきますね。

  4. 旧阿仁合線ではなく、旧角館線区内ですが、平成29年6月に秋田内陸縦貫鉄道を1本だけ撮っていました。AN-8801号のようです。

    • 西村さんが撮られた秋田縦貫と言えば、ある無人駅をルポ的に撮られた写真が印象に残っています。たしか写真展にも出品ではなかったでしょうか。どの駅でしたでしょうか。

        • あれは由利高原でしたか。矢島線が由利高原で、角館線、阿仁合線が秋田縦貫、だんだん国鉄線と三セクのつながりが分からなくなってきました。

総本家青信号特派員 へ返信する コメントをキャンセル

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