井笠鉄道連載 その6

7月8日は休載でした。7月9日掲載分で連載最終回となりました。

湯口様 神高鉄道に関する解説コメント ありがとうございました。

井笠鉄道連載 その6」への1件のフィードバック

  1. 井笠鉄道に乗車したのは昭和40年8月1日一度だけで、上郡の叔母宅に宿泊して姫路発門司行の227レに乗車。笠岡に10時17分に到着して構内に停まっていたDCや客車を撮影しているうちに、次の岡山発三原行の431Mがクモハ51206+サハ17×2+クモハ51の4両編成が到着した。(7月3日【14014】「昭和40年頃大船から明石に転属した車両」の下から4番目の写真)当時の岡山周辺の国電は、全車大阪、東京からの転入車であったが、17mのサハ17は酷いと思った。それでもEF58の引く客車列車よりは断然速かった。戦前製の電車が山陽路を疾走していた訳である。
    ホジ+ハフの2連の井原行に乗車して次のくじ場で下車して車庫見学。次の列車で井原まで行き、神辺行きに乗換えた。こホジ12の単行であった。扉が片側1カ所の短い車体にもかかわらずボギー車で、運転台に丸形のハンドブレーキがあり、エアーブレーキはなかった。先程乗った本線の列車は2両編成でも満席であったが、こちらの乗客は疎らであった。神辺からは福塩線のクモハ11+クハ16の2連で福山に出て、EF58の引く客レで倉敷まで戻り、倉敷市営鉄道に立寄ってから叔母宅に戻った。
    余談になるが、4年に叔母が亡くなり、久々に上郡駅に降りたが、智頭鉄道との分岐駅になり特急も停車するようになって、さぞかし立派な駅に生まれ変わっただろう思っていたところ、駅の佇まいは40年前と変わらなかった。

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