1 thought on “井笠鉄道連載 その5

  1. 井原笠岡軽便鉄道(以下「井笠」とする)笠岡-井原間開業は1913年11月17日、両備軽便鉄道(以下「両備」とする)は神辺-高屋間に1918年7月13日免許を得、1922年4月9日開業しました。この両者間4.1kmを結ばないと、旧山陽道上の要所府中、瀬戸内側の福山との接続が出来ませんから、残る高屋-井原間は、井笠と両備の競願になりました。
    1923年3月30日井原-高屋間は井笠に免許。理由は出願日が井笠の方が1日早かった(1922年4月14日受付)、両備側はこの区間の経営主体にかかわらず不自由はないが、井笠は他社が経営すれば極めて不利益となる。両備は10%配当、井笠は7.5%であり、出部村、高屋町の物資購入、生産品出荷で笠岡町との関係が深く、岡山県側の笠岡町商工協会、井原実業協会の支援が強い、等々の理由が挙げられています。要は岡山県内のみの区間を、広島県の鉄道に免許はできない、ということに尽きるように思えます。
    結局この区間は井笠が1925年2月7日開業し、たった12km足らずなのに両備、井笠の2鉄道が高屋で接続することで決着。しかし貨車の直通は絶対必要で、連結器高を井笠(349mm)が両備に合わせて501mmに改造し、かつ列車も直通していました。
    ところが両備鉄道が1927年6月25日電化し、電機牽引の福山-府中間は1933年9月1日買収され、福塩南線となり、直ちに改軌工事に着手、買収から漏れた神辺-高屋間は神高鉄道を設立して譲渡。ガソリンカーを導入するなど合理化に努めたものの、結局採算償わず、井笠に10万円での買取を申し出ました。ところが井笠が5万円に値切り倒して成立せず、神高は1938年12月9日廃止を申請。
    沿線町村や商工団体の存続要望を受け、当時鉄道省監督局総務課長の佐藤栄作(広島県出身)が仲介し、7万1,500円で井笠が引き取った、というのが神辺線の経歴です。つまるところは、旧山陽道という現実的な物流ルートを無視した、「県ごとの地方交通利権」が根本にある、と見れば話は割合簡単なのですが。

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